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どんな時でもお金には困りません!  作者: 遠野月
放浪編 第十四章 囁きが染む
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できること


リイシェンの顔が、ひどく歪んだ気がした。

もちろん、ライラたちに対してではない。

診療所の隣の建屋内に並べた、大釜に対してである。



「……すごい臭いですね」



口元を布で覆うリイシェンが、目を細めた。


リイシェンが見ている大釜は、煮湯で満たされていた。

煮湯の中には、汚れた布が泳いでいた。

それらの布はすべて、患者たちのために使用したものだった。


並べられた大釜のうち、ひどい臭いを発している釜があった。

汚れた布を最初に投入する釜だ。

そこである程度汚れを落とした布は、次の大釜に投じられる。


最後の大釜は比較的臭いが少なかった。

浄化の魔法道具の効果もあってのことらしい。



「殺菌消毒のためですから」



ライラは、汚れた布を最初に投じる大釜を指差して言った。

リイシェンが再び目を細めた。



「さ……さっき、ん、しょうど……??」


「え、ええっと……つまり、清潔にするための一環です」


「こ、この臭いは、穢れは、問題ないのですか??」


「この臭いは穢れとは別ですよ。今は少し、換気のための設備が動いていなくて。じきに動きだしますよ。待ってみますか?」


「い、いいえ……普段問題ないのなら、構いません。外へ出ましょうか」



リイシェンが、口元へ寄せた布をさらに強く押さえて言った。

どうやら、もう限界らしい。

ライラは「作戦成功だ」と内心思った。

わざと臭いの強い大釜から案内したからである。

これでもう、あっちこっちを見て回りたいなどと言いだしたりしないだろう。


建屋の外へ出て、一息付いたあと。

リイシェンが顔をしかめながら建屋へふり返った。



「……外には、あのひどい臭いが広がっていないのですね」


「もちろん、臭いが漏れないようにしています。換気の排気側には、臭いを取るよう工夫しているのです」


「臭いを? 取れるのですか?」


「ウォーレンでも同じ目的で使われている、炭です」



そう言ったライラは、建屋の屋上を指差した。

屋上には煙突のような筒が幾つか設置されていた。

筒の中には、大量の炭を詰め込んでいた。


炭には脱臭作用がある。

ウォーレンでもその作用は知られていて、部屋の隅に置かれていたりしていた。

ライラは、その脱臭作用を建屋で使えないかと考えた。

その結果が、あの換気筒だった。


炭を詰めた筒に空気が通っていくよう、風の魔法道具も取り付けた。

その風のおかげで、建屋内の臭気は換気筒を通って排出されていく。

あとは建屋に別の吸気口を作っておけば、新鮮な空気が勝手に建屋へ入ってくる。



「すごい仕組みですね……ランファ様が考えたのですか?」



リイシェンが目を丸くして言った。

ライラは「まさか」と首を横に振った。



「以前に聞いたことがあって。真似をしただけですよ」


「そうなのですね。ですがそれでも、実際にこうして形にできるなんて、すごいことです」



リイシェンが尊敬するようなまなざしで言った。

ライラはまんざらでもなかったが、もう一度首を横に振っておいた。

炭の知識は、借り物の知識なのだ。

ここで得意気になると、あとで痛い目を見るかもしれない。


気を取り直し、ライラはリイシェンを診療所へ案内した。

とはいえ、正確には診療所内ではない。

硝子一枚挟んだ、隣の建屋である。

そこはガンカや事務職員が詰める管理事務所でもあった。



「ここから所内の様子を少し見ることができます、リイシェン様」



ライラは硝子越しに見える診療所内を指した。

リイシェンが硝子に張り付くようにして、診療所内へ目を向けた。



「病が移るかもしれませんから、ここまでで」


「ご配慮ありがとうございます、ランファ様。……ここからはよく見えませんが、治療はどのようにしているのですか?」


「浄化の魔法道具が置かれた部屋で、身体を温め、水分を摂ってもらっています」


「水を……? 特別な水なのでしょうか?」


「特別……と言えるかは分かりません。本当なら飲むのではなく、別の方法が良いはずで。……ですが、私にはその知識がないのです」


「というと、代案を用いているということですか」


「そういうことです。……ですから、これで必ず治るという保証もないので、今の治療方法をお教えすることはできません」


「……なるほど、そうですね。ですが、なにか進展があればご教示願いたいです」


「もちろんそのつもりです」



ライラは頷き、リイシェンに深く頭を下げた。

それからライラは、教えても問題の無さそうな、無難な老人病対策をリイシェンに伝えていった。


まずひとつは、清潔を保つこと。

これは簡単そうであるが、ファロウの人々には難しいことだった。

ゴミも下水も、路地裏に放り捨てる風習があるからだ。

風習を止めさせるのは、さすがのライラにも出来ないことだった。



「ゴミや下水については、ソウカン様の力添えが必要です。下水溝の改築に携わる働き手は、私のほうで集められるのですが」


「それは私からもお願いしてみましょう。宜しければ後日、屋敷へ来ていただけますか?」


「もちろんです」



ライラは快諾してみせた。

老人病対策のほとんどは、どうしてもソウカンの、貴族の力が必要なのだ。

貴族とお近づきになりたいわけではないが、今は我慢し、その手を掴むしかない。


ライラの思いを察してか。

リイシェンがとんと、ライラの小さな手に触れた。

励ますような触れ方だと、ライラは思った。

優しい姉のような存在に、ライラの緊張がほんの少し和らいだ。


次にライラは、浄化の魔法道具を取り出してみせた。

ライラはこの浄化の魔法道具を大量に仕入れる必要があると、リイシェンに訴えた。


浄化の魔法の効果は、すでにファロウで知られるものとなっていた。

しかし、数が圧倒的に足りていなかった。

魔法道具は回数制限もあるため、常に仕入れつづける必要もあった。



「魔法道具を仕入れるために、貴族の方が利用する商用口をお借りしたいのです」



ライラは浄化の魔法道具を指でつつきながら言った。

問題なく、リイシェンが協力してくれると信じていた。

しかしすぐ、リイシェンの表情が思いのほか暗くなった。



「難しいかもしれません」


「それは……どうしてですか」


「貴族には、特権というものがあります。その場限りではなく、後に不利益となる可能性があるものは、特権の侵害になるのです」



リイシェンが深く頭を下げた。


特権というのは、目的地へ付くための近道のようなものだと、リイシェンが言った。

近道を多くの者が知れば、それはただの道になってしまう。

それを貴族は、絶対に許さない。


なるほどと、ライラは頷いた。

庶民は庶民らしく、貴族に大金を払えというわけだ。

ならばそうしてやる。

ライラは申し訳なさそうにしているリイシェンに微笑み、「分かりました」と短く答えるのだった。

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