リイシェン
「ランファ様。リイシェン様がいらっしゃいました」
使用人に呼び起こされ、ライラは顔を上げた。
疲れが溜まっているためか。
いつの間にか眠っていたらしい。
「……応接室にお通しして」
「畏まりました」
「念のため、浄化の魔法道具を応接室で使ってくれる?」
「そのようにします」
使用人が頭を下げ、ライラから魔法道具を受け取った。
部屋から使用人が出て行くと、ベッドの上でペノが跳ねた。
「ほら、ライラ。早く着替えて会いに行かないと」
「言われなくても分かってますよ」
「ほらほら、早く」
ペノが急かし、部屋と扉まで先に駆けて行く。
リイシェンが訪ねてくるときは、いつもこうだ。
ライラは溜息を吐き、適当に着替えを済まして部屋を出た。
応接室の前へ行くと、ペノが扉の前で待っていた。
扉の隙間からは、浄化魔法の光がこぼれ出ていた。
扉を開けると、魔法の光がふわりと溢れ、流れた。
「お待たせしました」
応接室に入ってすぐ、ライラは深く頭を下げた。
魔法の淡い光に溢れた応接室には、若い女性がひとり、静かに待っていた。
女性の名はリイシェン。ファロウの貴族であるソウカンの妻であった。
リイシェンはライラの礼を受け、自らも頭を下げて返した。
「お気になさらず、ランファ様」
「……新しい診療所の件でしょうか」
「その進捗もですが、一番はランファ様の体調を気にしてのことですよ」
リイシェンが笑顔で言った。
ライラはほっとして、再びリイシェンに頭を下げた。
ライラが準備している新しい診療所。
その準備は、大幅に遅れていた。
アテンが病に倒れ、グナイも危険と思われたからである。
「遅れる理由がその程度のことか」
診療所開設の遅れを知ったソウカンは、当然渋い顔をした。
しかしライラは毅然と、首を横に振って答えた。
アテンとグナイは、ただの使用人ではない。
ライラの心身を支えてくれる、大事な友人なのだから。
ソウカンは納得こそしなかったが、それ以上ライラを咎めなかった。
代わりに、定期的にリイシェンをライラの邸宅へ訪ねさせた。
アテンの病状と、ライラの健康を確認するためだ。
そのうえで改めて、出来るかぎり早く診療所を開くよう突いてきた。
「すみません、ランファ様。こんなことをチクチクとお伝えしたくはないのですが……」
リイシェンが困り顔を見せ、頭を下げた。
ソウカンとは違い、リイシェン自身は申し訳なく思っているらしい。
その優しさに、ライラは少し、懐かしさを覚えた。
言動こそ違うものの、メノス村のソフィヌに似ている気がしたのだ。
「お気遣いありがとうございます、リイシェン様。……診療所の準備は、一応進んでいます」
「無理はしないでくださいね。ソウカンには私から良く伝えますので」
「助かります」
「でも、ソウカンを悪く思わないでください。あの人なりに、手を尽くしてくれているのです」
リイシェンがそう言って、ライラの目を見据えた。
「もちろんです」と、ライラは深く頷く。
ライラに協力すると決めたソウカンは、今この時も、あちこちへ手回ししつづけてくれていた。
主に、ファロウ中の診療所に対し、ライラの意見が通るようにしてくれている。
それ以外にも、ライラの診療所への物資が滞らないように配慮してくれている。
並の貴族では通せないような無理を、ソウカンは通せるようにしてくれていた。
しかしそれほどの力強い援助は、当然ただではない。
ソウカンの手回しが無駄になることを、ライラは絶対にしてはならなかった。
万が一無駄となったら、ソウカンの政治的な立場が危うくなるからだ。
話を持ちかけたライラたちも、ただでは済まない。
「必ず結果を出しますと、ソウカン様にお伝えください」
「ええ、そのように。アテンという使用人の方も、ランファ様が考案された治療によって重症化していないと聞いていますから」
「……ええ、まあ」
ライラは笑顔に影を落とし、頷いた。
アテンは重症化こそしていないが、徐々に悪化しているからだ。
アテンが治らなければ、グナイに感染するのも時間の問題だろう。
それで上手く治療できていると言えるのだろうか。
「ランファ様。それほどに気を病むことはありません」
ライラの思いを察するように、リイシェンが微笑んだ。
どうやらリイシェンは、アテンの病状の詳細を知っているらしい。
しかしあえて問い質さないと、リイシェンの手がライラの手を包んだ。
ライラはほっとして、リイシェンに感謝を伝えた。
リイシェンが帰った後。
ライラの肩の上でじっとしていたペノが跳ね飛んだ。
「さあ! おやつの時間だ!」
そう言ったペノが向かった先。
リイシェンの置き土産が、ふたつあった。
ひとつは、美しいランプだった。
ライラがランプを多く集めていると、どこかで聞いたらしい。
「こんなのより、こっちこっち!」
ペノの目は、美しいランプよりももうひとつのお土産に向けられた。
リイシェンは訪問時に必ず菓子を持ってきてくれる。
今回もランプとは別に、菓子を持ってきてくれていた。
「……ペノはリイシェン様のお菓子が好きですよね」
「もちろん、そう! しかも手作りで、最高に美味しい! エルオーランド一位の美味しさだと言っていいね!」
「……味の階級はともかく……貴族なのに、変わってますよね」
「素晴らしい人間だよ。ソフィヌを思い出すよねえ」
ペノが満面の笑みで、リイシェンの菓子を食べはじめる。
ペノでもソフィヌを思い出すのだなと、ライラは少し驚いた。
同時に寂しさも覚え、目を細めた。
「その寂しさが、この菓子を甘くしてくれるよ」
見透かすようにしてペノが言った。
意地悪いウサギだなと、ライラは苦笑いした。
ライラは苛立ちの想いを込め、ペノの手から菓子を奪い取った。
「ああ!! 返してよ!!」
菓子を奪われたペノが、ぴょんぴょんと跳ねた。
ライラは気にせず、菓子の箱の中を覗く。
中には、砂糖を散りばめたクッキーのような菓子が詰められていた。
「……たしかに美味しそうですね」
そう言ってライラは、菓子を一口食べた。
やはりリイシェンの菓子だ。今回も非常に美味しい。
美味しさのあまり二口三口食べていると、ペノが物欲しそうな表情でソワソワとしはじめた。
「でしょ! だから早く返して?」
「アテンにも食べさせたいから、ダメです」
「そんな! ひどいよ!」
「その辛さが、口の中に残ってる菓子を甘くしてくれるかもしれませんよ」
ライラは意地悪そうに笑ってみせる。
ペノは苦笑いを返し、確かにそうだと言って両耳を折るのだった。