ソウカン
ライラが最初にはじめたのは、ファロウの街の貴族に会うことであった。
それはライラやブラムが考えたことではない。
ペノの入れ知恵であった。
「お金の力は上手に使わないと、無駄になるからね?」
貴族の屋敷の門を前にして、ペノの両耳がぴんと立った。
ライラもまた背筋を伸ばした。
馬車に乗ったまま、窓から顔を見せ、屋敷の門衛に声をかける。
「ランファと申します。本日訪問すると許可を得ているのですが」
ライラはさらりと偽名を使った。
不信な表情を浮かべていたあ門衛が、しばらくじっと、ライラの姿を見つめた。
しかし別の門衛が駆け寄ってきて、ライラに向かって深く頭を下げた。
「お待ちしておりました、ランファ様。さあ、お入りください」
「ありがとうございます」
ライラは礼を言い、馬車の窓を閉じた。
門衛の掛け声と、門の開く音。
馬車がゆっくり駆けはじめる。
ライラはほっと息を吐いた。
これまで、本物の貴族に会う機会はさほど多くはなかった。
この世界での貴族は明らかに高位で、特別な存在だからだ。
大金持ちというだけではない。
権威、権力がある、というだけでもない。
独特の強い存在感があった。
その妙な圧がライラは苦手であった。
「でも何度か結婚を申し込まれたことがあったじゃない? マーウライだって、一応貴族だったし?」
ペノが首を傾げて言った。
神様にとって、貴族も一般人も大した違いはないのだろう。
「……マーウライは他の貴族とは違いましたよ。とにかく苦手なものは苦手なんです。感性が何だか変ですし」
「ライラも大概変だけどねえ」
「普通ですよ」
「普通かなあ。まあ聖人でも悪人でもないのは間違いないかな」
ペノがライラの肩の上で、とんと跳ねた。
次いで、長い耳でライラの頭をとんとんと打った。
どうやら頭も少し悪いと言いたいらしい。
本当に一々苛立たせてくるウサギだ。あとで引っ叩こう。
ライラが苦笑いしているうちに。
貴族の屋敷の大扉の前で、馬車が止まった。
ライラより先に、ブラムが馬車を降りた。
差し出されたブラムの手を取り、ライラも馬車を降りた。
しばらくすると、屋敷の大扉が開いた。
「ランファ様、よく来てくれました!」
扉から出てきた中年の男性が、両手を広げて言った。
男性の後ろには若い女性がひとりいて、ライラに向かって静かに頭を下げた。
「本日はありがとうございます、ソウカン様」
「いやいや、こちらこそ。お会いできる日を楽しみにしておりました、ランファ様」
ソウカンと呼んだ中年の男が、にかりと笑った。
ソウカンは背の低い男であったが、妙に威厳を纏っていた。
加えて、貴族特有の独特な雰囲気も漂わせていた。
笑顔ひとつとっても、ただの笑顔として受け取れない圧があった。
ライラの緊張を察してか。
傍にいてくれたブラムが、半歩ライラに寄ってくれた。
その半歩が、小心者のライラの不安をほんの少し軽くしてくれた。
「単刀直入に言いましょう」
応接室に通されて席に着くや、ライラは早々に口火を切った。
微かに軽くなった心が重くならないうちに、話を切り出したかったのだ。
「流行り病を抑えるために、協力をお願いしたいのです」
「……ほう!」
ソウカンが驚くような表情を作った。
わざとらしい。
今回の話は、事前に書簡で伝えていたからだ。
こうしたわざとらしさも、貴族たる所以なのか。
「必要となる物資は、すべて私が調達します」
「それは頼もしい!」
「ソウカン様には、私が“やりやすい”ように取り計らっていただきたいのです」
「ほほう。なるほど……!」
またもわざとらしく、ソウカンが驚き、頷いた。
ライラたちの狙い。それは、街の役人の後ろ盾を得ることであった。
確かな後ろ盾があれば、ライラは診療所に口出しが出来るようになる。
逆にそうしなければ、新参者のライラの言動など、歯牙にもかけられないだろう。
どれほど大金を積んだとしても、である。
最大の後ろ盾となるのは、やはり貴族だった。
街の領主も貴族であるからだ。
となれば、街の役人は貴族の手足。
役人の管理下に置かれる診療所も同様だ。
診療所と繋がるならば、先に貴族と繋がったほうが上手くいく。
ライラは自らの行動の自由を買うため、ここへ来たのだった。
「ランファ様、お望みのことは私が全て叶えられます」
「それはありがたいことです」
「それ故、私も単刀直入に言いましょう」
「もちろんです」
「お望みを叶えるためには、大金が必要です」
ソウカンが笑顔を張りつけたまま言った。
ライラは間を置かず、頷いてみせた。
ソウカンが必要だと言った大金は、賄賂の要求ではないからだ。
ライラの要求を街全体へ行き渡らせるための必要経費であった。
何事も、一番に金がかかるのは、人だ。
流行り病ですでに手一杯である街に、新たな要求だけを通すのは至難である。
とすれば、人手が必要なのだ。
人を増やすだけではなく、今働いている者への追加の報酬もいる。
そうすることでようやく、事を進める基礎が整う。
「もちろん、私への報酬もお忘れなく」
ソウカンがにかりと笑った。
卑しい笑いではない。
貴族にしては比較的柔らかく、親しみを覚える笑顔だとライラは思った。
「もちろんです」
「はは。話が早いですな」
「単刀直入と申しましたので」
「ならば私も、この街に素早く短刀を刺し込むとしましょう」
ソウカンが頷く。
それを見て、ライラは後ろに控えていたブラムに声をかけた。
ブラムが革張りの箱をライラに手渡す。
箱を受け取ったライラは、蓋をほんの少し開けた。
そうしてすぐ、蓋の内に手を入れる。
「お金に困らない力」を使い、箱の中に白金貨を詰めた。
蓋で目隠しされてライラの手がよく見えないソウカンが、微かに首を傾げた。
しかし間を置いて箱の中身を見るや、驚きの声をあげた。
その声は、これまでのわざとらしい驚きではない。
腹の底から絞るような、本物の驚きの声であった。
「……いやはや、ランファ様ほどのお方が、このファロウへいらっしゃってくださったとは」
これまでの独特な威圧感をソウカンがあえて崩した。
白金貨とライラを交互に見て、小さく唸った。
「これでお願いいただけますか?」
「十分です。しかし念のため、ご忠告を」
「なんでしょう?」
「このお話は、別の貴族へ持ち込まないほうが宜しい」
白金貨を詰めた箱の蓋を閉じ、ソウカンが目を伏せた。
そうして再び、貴族らしい独特な空気を纏いはじめた。
「それはどういう意味で……?」
「協力者というものは、増えればいいというものではありませんからな」
「そうでしょうか?」
「汚い話かもしれませんが、力を握っている者はひとりのほうが良いということです。ふたりになれば争いが生まれ、三人になれば牽制し合い、四人になれば裏切りを引き起こす。そういうものです」
「えっと、つまり……別の貴族が関わってきたら、ソウカン様がやりづらいということですね」
「単純に言えば、そういうことですな」
ソウカンがにかりと笑った。
笑顔以外のなにかを含んでいるようにも見えた。
しかしそうであっても、貴族の力は必要だ。
ライラはわずかに生まれた不安を飲み込み、頷いた。
「では、そうします」
「はは。ではお互いに、上手くやるとしましょう」
ソウカンがライラに向けて手を差しだす。
ライラはソウカンの手を取り、握手を交わした。
合わせるように。
ぐわん、ぐわん、と。
窓の外で鐘の音が揺れた。
その揺らぎが、飲み込んだ不安をとんと撫でた。