ファロウ
鐘の音。
どこか遠くで、揺れた。
馬車の駆る音に混じる。
胸の底へ、しとりと沈んだ。
チャウライたちと別れて、十日。
ライラたちはファロウの街に辿り着いた。
ファロウは、ヴァンハー高原とロウカウ河に挟まれた大きな街である。
カウナほどではないが、交易も盛んであった。
交易を盛んにしている要因は、ふたつあった。
ひとつは、北方のクローニル地方に近いこと。
もうひとつは、ロウカウ河の存在であった。
ロウカウ河の川幅は広大で、川底も深い。
外海の船がロウカウ河を遡ることが出来るほどであった。
そのためウォーレンでは古くより、外海の向こうの国々と交流を持っていた。
交流の拠点はロウカウ河の北にあるぺウランと、ここファロウであった。
「でもなんだか……以前に比べて、外国の方々の姿が少ないですね」
ファロウの街に入って、ライラは首を傾げた。
百年以上前にファロウを訪れた時は、外国人が多かったからだ。
「……そうだな。というより、街自体が少し活気がねえな」
「そう言えば、そうかもしれません」
「……ま、百年もすりゃあ、ちったあ変わるか」
「そう、かもしれないですね。少し残念ですが」
「飽きりゃあ、次のデカい街に行けばいい。どうせ永住するわけじゃねえんだからよ」
そう言ったブラムが、馬車の窓から離れて座席にどかりと腰かけた。
ブラムが座った勢いで、ライラの家馬車がわずかに跳ねる。
ライラは馬車の揺れに顔をしかめ、ぐっと唇を結んだ。
ファロウの街を駆ける、ライラの家馬車。
今回は念のため、幻影の魔法をロジーにかけさせていた。
止まっていない馬車に魔法をかけるのは面倒だとロジーは嫌がったが、無理を通させた。
おかげで今回は、カウナの時のように目立ってはいない。
「……ご主人様、早く……早く、ご邸宅に着いてくれないか。俺はもうヘトヘトだ」
ロジーが疲労困憊の表情で懇願してきた。
どうやら演技ではないらしい。
魔法をかけつづけている手も、かすかに震えている。
「観光しないですぐに邸宅へ行くから、あと少し頑張って」
「ひどいよ、ご主人様! 観光する予定だったのかい??」
「ロジーのことだから、意外と平気なのかなと思っていまして」
「ちょっと待ってくれよ、ご主人様。過去の記憶を揺さぶり起こして、もう一度俺の声を思い出してほしい。そう、ちょっとキザな俺の声をさ。とにかく前も言ったけど、幻影魔法ってのは地味に面倒なんだ。細部までイメージしないと崩れてしまうからな。それが動いているってなるとホントーに面倒臭いったらない。動きに合わせてイメージしなきゃいけないんだ。分かるかい? つまりだね、そこにいる御者くん? トリッキーな運転をしたら、絶対に後で締めるからな??」
「…………御意」
ロジーに迫られ、御者の男が短く答えた。
下級の精霊であるらしい御者の男は、ロジーに逆らうことはない。
言われた通りに黙々と、丁寧に馬車を走らせつづけた。
やがて邸宅に辿り着く。
いつも通り、アテンとグナイがライラたちを出迎えてくれた。
「お待ちしていましたよ、ライラ様」
アテンがにこりと笑い、馬車から降りたライラの手を取った。
ライラは到着が遅れたことを詫び、アテンとグナイに頭を下げた。
「あらあら、ライラ様。百日遅れたって構いやしません」
「それはさすがに遅れすぎじゃないですか。怒ってくれていいかも」
「いいえ、ライラ様。ライラ様のことだから、またなにかに首を突っ込んだのでしょうと思っていますから。それがライラ様の良いところです。お仕えし甲斐があるってもんですよ」
「えええ……そうかなあ」
ライラは戸惑い、隣に目を向ける。
隣には、荷物を持って馬車から出てきたブラムがいた。
アテンとライラの会話を聞き、眉根を寄せている。
「アテン。こいつのことを甘やかしすぎるんじゃねえ。こいつはただの考えなしなんだからよ」
ブラムがライラを指差して言った。
ライラもブラムと同じくらい眉根を寄せ、ブラムを睨んだ。
「……ブラム、ちょっとひどくないですか?」
「ひどくねえだろ。いつか痛い目を見る前に、ちったあ思慮深くなっておけってこった」
「……なんだかそれだと、私が頭の弱い子みたい」
「そう言ってんだ、馬鹿ライラ」
「だから、馬鹿って言わないで!」
「あはは! それもまた、ライラ様の良いところですよ!」
「……アテン……それだと褒められてる気がしないからあ」
ライラはがくりと肩を落とす。
同時に、ファロウの街の鐘の音が三度鳴った。
にかりと笑ったアテンが、ライラの背をとんと撫でるのだった。