チャウライ
「ところで、ブラム」
食事の最中。ペノがブラムに声をかけた。
目の前の苦スープは飲み干していない。
ウサギにはまだ苦すぎるようであった。
「これ以上の味変はしてやらねえぞ」
ブラムがペノの言葉を遮るように手のひらを向けた。
しかし、「違うよ」とペノが首を横に振った。
「いや、スープの話しじゃなくってねえ」
「ああ? なんだあ?」
「この先にね、家があってね」
「……へえ? こんな辺鄙なところにかよ?」
「そうなんだよ。ところでブラム。昨日、食材が不足してるって言ってなかったかい?」
「そうだが……もしかして、その家から食材をパクろうってのか?」
「いやいや。物騒すぎでしょ? ちゃんと買うんだよ? まあ、ライラが買うんだけど。ついでにどんな物好きが住んでいるのか見てみたいんだ!」
「……そうかよ。間違いなく後者がお前の原動力なのは分かったぜ」
ブラムが呆れ顔を見せる。
しかしペノの提案を一蹴することはしなかった。
積んでいた食材が乏しいのは本当であるからだ。
食事の後。
ライラたちは小さな家を訪ねた。
警戒されないよう、家馬車は遠ざけておいた。
家の近くまで行くと、ライラは感嘆の声をあげた。
家を囲むようにして花壇が作られていたからである。
家と畑を繋ぐ小道も綺麗に整えられていた。
遠くから見えていた水路も、景観を良くしていた。
「どちら様で……?」
木戸の前まで行くと、突然後ろから声をかけられた。
ライラとブラムは驚き、振り返る。
するとそこには、三十代半ばほどの男が立っていた。
「あ、えっと、その……急にお邪魔して申し訳ありません」
「いえいえ。……ああ、旅人さんですか?」
「そ、そうです。偶然、近くを通ったものですから」
ライラは頷きつつ、深々と頭を下げた。
倣うようにしてブラムも礼をした。
男は、チャウライと名乗った。
妻と子の三人で、ここで暮らしているのだという。
ライラとブラムも自己紹介すると、チャウライの表情がやや和らいだ。
どうやらライラが着ている服を見て、「貴族が何故こんなところに」と構えていたらしい。
互いに挨拶と自己紹介を済ませると、ライラは立ち寄った事情を説明した。
もちろん、興味があったからなどとは言わない。
余っている食材があれば購入したいと願い出た。
「それなら遠慮はいりません」
「本当ですか」
「ええ。家族三人では食べきれないほど野菜などを作っていますから」
そう言ったチャウライが、広大な畑を指差した。
たしかにこれほどの畑で作る野菜を三人で食べきるのは不可能だろう。
ならば何故作っているのかと、ライラは首を傾げた。
その考えを察してか、チャウライが小さく笑った。
「畑は、私と妻の趣味です」
「趣味でこんなに??」
「はは。趣味だからこそ、こんなにといったところです」
チャウライが笑いながら、ライラを畑へ手招いた。
付いていくと、畑を取り囲む柵の戸をチャウライが開けてくれた。
身近で見る畑はとても美しかった。
野菜だけでなく、いくらか果物も作られていた。
「ずいぶん上等な食材じゃねえか、こいつは高く売れるんじゃあねえか?」
ブラムが言うと、チャウライが微笑みながら頷いた。
時折、立ち寄った旅人や商人に野菜を売っているのだという。
安値で売っていることもあり、定期的に訪れる商人もいるらしい。
「もちろん余った分しか売りませんが」
「慎ましいな。誰やらに見習ってほしいぜ」
ブラムがにやりと笑い、ライラの顔を覗いた。
ライラは頬を膨らませ、顔を背ける。
次いで、ブラムの足を思いきり蹴ってみせた。
そんなライラの行動が、チャウライの警戒をすべて解いた。
貴族らしくもなく、自分たちと大差ない人間だと感じたのだろう。
ライラがブラムを蹴る行為に慌てつつも、ついには大笑いしてライラたちを家に迎え入れた。
「妻のウィレンです」
家に入ると、チャウライが自らの妻を紹介してくれた。
ウィレンはチャウライよりも若く美しい女性で、二十歳ほどに見えた。
「ライラと申します」
ウィレンの美しさに見惚れ、ライラはつい本名を名乗ってしまった。
いや、しかし、すぐに発ち去るから問題ないだろう。たぶん。
「いらっしゃいませ、ライラさん。大したものはありませんが、お好きなものを選んで買っていってください」
「感謝します」
「ウサギさんが食べる野菜も必要かしら?」
「……あ、えっと……この子の分は気にしないでください。何でも食べますから」
「そう? とても良い子なのね」
「ニャアン!」
良い子と呼ばれて、ペノの両耳が激しく揺れる。
揺れる耳がライラの頬を何度も打ったが、ライラは堪えた。
初対面の人たちの前なのだ。
さすがにペノを掴んで放り投げたりするわけにはいかない。
堪えているライラを横目に、ブラムがチャウライと交渉をはじめた。
日持ちする野菜を中心に注文していく。
ライラは自らの好物も入れるように言ったが、却下された。
ライラの好物は、だいたいどれも足が早いものばかりなのだ。
「最近はずっと湿気ってやがるからな。下手なもんを買っちまうと腐っちまうんだ」
「そういえば、なんだか雨が降りそうですものね」
「……なに、雨? マジかよ?」
ブラムが驚いたので、ライラは窓の外を指差した。
行く先の空に、黒い雲が犇めいていた。
今にも大粒の雨を降らせそうである。
ブラムがすぐさま外へ飛びだし、馬車の方へ駆けていった。
道がぬかるんでしまったら、巨大な家馬車では容易く嵌って動けなくなってしまう。
そうなる前に、少なくともこの家の傍まで移動したほうがいい。
しばらくして家馬車がチャウライの家の前に着いた。
その馬車の大きさと馬の数に、チャウライが驚きの声をあげた。
チャウライの家の裏に厩があったが、さすがにすべての馬を入れることは出来そうになかった。
そのためブラムが、チャウライと相談して厩の隣に簡易の厩を作った。
「すみません、お手間を取らせた分はお金を払います」
ライラはお金に困らない力を使った。
手のひらに現れた、金貨一枚。
チャウライに深々と頭を下げ、支払う。
「……こ、これは、多すぎると思いますが」
「雨が過ぎるまで、庭先に馬車を置かせてください。そこで宿泊するための料金です」
「な、なるほど、それなら……構いませんよ」
金貨を受け取り、チャウライが申し訳なさそうに頭を下げる。
ライラはチャウライが畏まることがないよう、重ねて礼を伝えた。
その日の夜は、チャウライの家に招かれた。
夕食はチャウライが作るとのことで、ブラムも料理を手伝った。
ライラはウィレンと共にお茶をして、料理が運ばれてくるのを待った。
その間。チャウライたちの三人目の家族は、現れなかった。
料理が運ばれてきても、食事を終えても、姿を見せなかった。
ライラは違和感を覚えたが、尋ねることはしなかった。
余計なことを言ってはいけないような、妙な空気を感じ取ったからだ。
「不思議、と思ってはいけないですよね」
しばしの団欒の後、家馬車に戻ってから。
ライラは首を傾げた。
しかしブラムが首を横に振る。
「こうして庭先を使わせてもらってんだ。恩を仇で返すかもしれねえことは言わねえほうがいいだろ」
「そう、ですよね。分かってはいますけどね。でも」
「黙って寝とけ。おい、ペノも余計なこと考えんじゃねえぞ」
「えええ? せっかく面白そうな話なのにい?」
「黙れ、陰険ウサギ。その長耳を固結びにすんぞ」
「こわあい」
ペノがぴょんと跳ね飛び、ライラの寝室へ逃げていく。
ライラは肩をすくめ、自らも寝室へ足を向けた。
すると目端に、妙な光が映った。
それは窓の外。雨の向こう側。チャウライの家の方からであった。
ライラは首を傾げ、光の正体を探す。
しかし先ほどの妙な光は、どこにも見当たらなかった。
「おい、黙って寝ろって言っただろ」
ブラムの声がライラの背を叩いた。
ライラはびくりと肩を揺らし、逃げるように寝室へ向かうのだった。