雨嵐
窓に雨風。
雨粒だけでなく、葉や小枝まで馬車の窓を叩く。
ウォーレン地方では滅多にない雨嵐が、ライラの馬車を襲っていた。
もちろん車内には雨も風も入ってきていないが、御者台は違う。
顔色の悪い御者が、雨風に打たれていつもよりも顔色を悪くさせている気がした。
「あそこに家があるよ?」
窓の外を見ていたペノが言った。
見るとたしかに、森の中にぽつりとひとつ。小さな家が建っていた。
ひどい雨ではっきりとは見えないが、明かりがこぼれでている。
誰かが住んでいるのだろう。
「あそこで休みましょう」
「馬も休ませたいよねえ」
「厩らしきものも見えます。間借りできないか聞いてみましょう」
小さな家の傍まで馬車を駆けさせ、ライラは馬車を降りる。
木戸の前まで行くと、ライラの後ろにブラムが付いた。
ライラが雨に濡れないよう、マントをライラの頭の上に広げてくれる。
ライラはブラムに礼を言い、木戸を四度叩いた。
「こんな嵐の日に、何用かね」
長い間を置いて、老夫が木戸を開けてくれた。
眉根を寄せ、ライラとブラムを睨んでくる。
「すみません。今夜だけ、休ませてもらえないでしょうか。厩の片隅でも構いませんので」
「厩だって? あんたがかい?」
老夫がライラの姿をじっと見て、首を傾げた。
高級品で身を包んでいるライラを、貴族の娘とでも思ったのだろう。
「もちろん、一晩の宿代は払います」
「ほう」
「……ダメですか?」
「いや、構わん。宿代が払えるなら、家に入りな」
そう言った老夫が、ライラたちを手招きする。
次いで木戸の外に目を向け、馬も厩で休ませていいと許可してくれた。
ライラはブラムと共に深く礼をして、家の中へ入った。
家の中へ入っても、嵐の音が力強く聞こえていた。
力強い雨風が、屋根や壁を叩く。
あまりにひどいので、ライラはアテンたちのことを心配した。
アテンとグナイには、別の馬車で次の目的地へ向かわせていた。
ライラたちが住む邸宅と、必要な家具等を先に整えるためである。
「まあ、十分に金を持たせているし、なんとかしてるだろ」
「そうだといいですが」
「心配してもキリがねえ。気にすんな」
ブラムがライラの背を叩く。
少し強く叩かれたので、ライラは咳き込んだ。
睨み返すと、ブラムが両手のひらを見せてにやりと笑った。
「……そういえば、御者さんもこっちに来ればいいのに」
「あいつは馬の傍じゃないと癒されねえんだよ。ほっとけ」
ブラムが呆れ顔で厩がある方へ目を向けた。
しかしそれは、御者のための芝居であった。
御者はロジーと同じく、精霊だ。
進んで人前に出ることはない。
ライラやブラムに対してだけ、彼らは特別なのだ。
しかし先ほどからチラチラとずぶ濡れの御者を気遣う老夫が、それを知るはずもない。
ならば「御者は馬のほうが好き」と言っておけば、口を挟んでくることはないだろう。
「おじいさん、宿代はこれくらいでいいでしょうか?」
ライラはの傍へ寄り、袋の中へ手を入れた。
「お金に困らない力」を使い、銀貨十五枚を手のひらから出す。
銀貨を見せると、老夫の顔色が微かに明るくなった。
あからさまというほどではないが、ライラたちのために食事の準備までしてくれた。
「厩にいる御者さんにも飯を持って行ってやってくれよ」
「もちろんです。感謝いたします」
「なに。こちらこそこれほど宿代をもらえるとは思ってなかったのでな」
老夫が眉を上下に動かす。
どうやら少し笑ってくれたらしい。
食事のあと。
ライラたちはしばらく、暖炉の前で身体を温めた。
自分で思っていたより、身体が冷え切っていたからだ。
火に手をかざすと、じんとした熱が身体の奥へ染み入った。
「ほう。カウナへ行くのかい」
老夫が、ライラとブラムにカップを差し出しつつ言った。
カップの中には、温かい果実の汁と、独特の香り。酒だ。
「ええ、急ぎではありませんが」
ライラはカップに口を付けず、答えた。
酒は少し、苦手なのだ。
「そうだろうな。まあ、ゆっくり行くと良い。道中には幾つか村もある」
「村、ですか。補給もできるでしょうか?」
「この辺りは豊かなもんだ。旅人に売る食糧ぐらいならあるだろうさ」
「それは助かります」
「まあ、お嬢様の口に合う食べ物があるかは分からないがね」
老夫がライラに手渡したカップを指差した。
ライラが口を付けないのを見ていたのだ。
ライラは苦笑いして、一口だけ温かい果実酒を飲んだ。
瞬間。酒の独特の香りが、全身を巡った。
乗り物酔いに似た奇妙な感覚が、ライラを襲う。
「はっは。お嬢様はまだ、酒を飲める歳じゃないらしいな」
「……あはは、そのようで……」
ライラは苦笑いし、カップの中の果実酒を睨む。
すると肩の上に乗っていたペノが、ライラの頬をくすぐった。
何を言われずとも、ペノが言いたいことは分かる。
ライラは三百歳を超えているのだ。
間違いなく酒が飲めない年齢ではない。
ライラはペノの両耳を掴む。
その様子を見ていたブラムが、老夫に見えないようにして笑うのだった。