損をするのは
この国における公爵位は、王族に次ぐ準王家としてかなり重要な位置を占めるにも拘わらず、適当な人材がいないせいで現在、宙に浮いている。
後継者として有力と考えられているのが、前公爵の弟君で現在は絵描きとして活躍中のエイブラハム・ガーランド。
そして、亡き公爵の四男で庶子のバート・スタンフォード。
「つまりあなた」
貞操の危機まっただ中で、バートはキャロラインの説明を拝聴していた。
(薬……薬はいつ効いてくるんだ……。どうにか逃げ出さないと……!)
真面目な顔の裏では催淫剤とやらによって自分がどんな獣になってしまうか気が気ではないバートであったが、焦りを気取られないための注意は怠らなかった。
とにかく、見るからにキャロラインは子作りに対してやる気がない。いやいやで仕方なくといった態度を、隠す様子もない。
そこに活路を見出す、とバートは慎重に機会をうかがいつつ、さりげなく話の続きを促した。
亡き公爵と、残された息子たちによる跡目争い、そしてまさかの全員死亡の顛末。
その後探されていたのが「四男」のバートであり、隣国にいることを叔父にあたるギデオンに嗅ぎつけられ誘拐沙汰になっているのだ、と。
「いま一番公爵の地位に執着しているのは私の父ギデオンだけど、いくらエイブラハム伯父様御本人にやる気がないとはいえ、順序的に伯父様を差し置いて父が公爵位につくのは難しい。正統性のようなものが、足りていないから。かといってバート、あなたの場合は庶子で、しかも人生の大半を異国で平民として過ごしてきている。今さら、こちらの国で数々の要職を担う必要がある公爵位は荷が重いでしょう。貴族の中の貴族、求められる教養や知識も段違いですもの。周囲もあなたの生まれ育ちを侮って、いっせいに潰しにかかってくるはず。味方もいないことだし、苦労どころじゃないわ」
キャロラインは軽く身じろぎして眉を寄せ、「聞いているの?」とツンとした口調で言った。
相槌をし忘れていたことに気づいたバートは、そこで深く頷いた。
「決め手に欠ける叔父上と俺が結託し、キャロラインさんとの間に子どもが生まれてしまえば『その子に公爵位を継がせるまでのつなぎ』として叔父上はガーランド氏を退け、公爵家の実権を握ることができると。よくわかりました」
「公爵家に返り咲くことが父の悲願なの。そのためには……」
思い詰めた口調で言いながら、キャロラインの手がバートの胸元を探る。さわさわっという感触にバートは心の中で悲鳴を上げた。
(ぎゃああああああ。コーデリアにもそんなこと、されたことないのに!!)
もちろんおくびにも出さず、不敵な笑みを浮かべてバートは「なるほどね」と積極的に話の腰を折りに行った。
聞くべきことはだいたい聞いたので、後はもう時間稼ぎと精神統一、そして逃げの算段のみ。
「親子とはいえ、そんなひどい企みにのる必要はない。君は、ここで好きでもない男の上に乗っている場合だろうか!?」
「好きでもないのはその通りなんだけど、ここで私のお腹にあなたの子どもができれば生涯安泰の贅沢暮らしができるって……。苦労しっぱなしの母にも親孝行になりそうだし。まあ、それも良いかなって」
(俺は良くなーーーーーーーい!!)
心の中は大変うるさいバートであったが、あくまで余裕の表情は崩さずに、ふっと目を細めて心からの忠告を試みる。
「君は、自分を安売りしてはいけない」
「むしろ、自分史上最高値で売ろうとしているところよ。父は貴族の出とはいえ、後継者にならない限りは平民、その娘のわたしもただの平民。それが、子どもができれば家族揃って公爵家に入り込む足がかりができるのよ。人生でこれ以上私の貞操が高く売れる機会、他にある?」
正論。
ぐ、とバートは歯を食いしばって、返事を飲み込む。
(あっぶな……いま納得するところだった。これ、俺の意思が完全に無視されていることをのぞけば、企てそのものは結構まっとうだよな? 公爵家は血筋的にそれほど遠くない後継者を得ることができるし、叔父一家は安泰だ。俺は薬を盛られて子どもを作った後は、公爵位にまつわる面倒事を叔父上に押し付け……、ん?)
もしかして、子どもが出来たあとは自分はお役御免では……? という恐ろしい考えに行き着く。しかしそれも、すぐに打ち消すことができた。
子どもが女児だった場合、男児が出来るまでキャロラインにはバートの子どもを生ませようとするはず。さらに言えば、先の跡目争いでまさかの嫡子全滅の憂き目があっただけに、子どもが無事に成人するまでバートは生き長らえさせてもらえる可能性が高い。よそに子どもを作らぬよう、生活に制限はあるかもしれないが。
或いは「庶子」であるバートが今回ギデオン勢力に最大の益をもたらすことを思えば、目溢しされた範囲で女性と関係を持つことすら容認される線も十分考えられる。
(あれ……? これ、誰が損しているんだ……?)
そう思う一方で、もし誘拐という手段によらず、正面からギデオンに説得されていた場合、自分は断っていたという確信がある。
なぜなら、結婚を約束した恋人のコーデリアがいたからだ。
それをギデオンも調べ上げていたからこそ、問答無用で攫うという暴挙に出たのではないだろうか。
バートは、左手首にはまった騎士団の支給品であるシルバーのバングルを強く意識する。体内を巡る魔力を確認。
(ここがどこかはわからないけど、魔力枯渇でいったん意識を失うことになってでも、コーデリアと連絡をとらなければ)
コーデリアの元へ、帰らなければならない。
そのバートの考えを見透かしたように、眉をひそめたキャロラインが言った。
「恋人がいたと聞いているけれど、きっと面倒避けのために、父に大金積まれて追い払われているはずよ。その上、公爵家の威光を最大限利用して、追いかけてきたら他ならぬあなたの迷惑になるときつく言い含められていると思うわ。納得しているかどうかはともかく、わが国の高位貴族を名乗る相手と面と向かって喧嘩し、あなたを平民暮らしに引きずり下ろすだなんて。良識あるお嬢さんなら、そんなの自分の『わがまま』でしかないって、思いとどまるんじゃなくて?」
二人の間にあった、当人同士にすら目に見えない「恋心」さえなきものにしてしまえば、関係者全員が利益を手にしてすべて丸く収まるのに、と。
(もし本当にお金が積まれていて、それをコーデリアが受け取ったのなら、これは本当に誰も損をしない解決策と呼べるのかもしれない。でも)
バートは、キャロラインから目をそらさずに告げた。
「彼女が良識あるお嬢さんであることは間違いない。そしてすごくまっとうな感覚の持ち主だからこそ、突然俺が消えたら、自分で安否確認して納得するまで探してくれるんだ」
「信じているの? あなたを探すことで、そのひとにはなんの利益があるの?」
「利益……」
好きになった相手を失わずに済むから。
二人で生きていこうと誓った未来が守れるから。
バートを睨みつけてさえいるキャロラインに対し、どんな文言が説得力のあるものとして響くのか。
口ごもる。
言いたいことはたくさんあったが、一方でほんの一瞬、迷いが生じた。
彼女を頼るしかない状況に陥ってしまったのは自分のミスで、彼女に期待をするということはつまり、恋人を危険に巻き込むことに他ならないからだ。
どこか遠く、安全なところにいてくれるなら、それが一番なのではないかと。
コーデリアには、こんな情けない自分よりももっとふさわしい相手がいるのではないかと。
思い悩んで弱気になりかけて、唇を引き結んだそのとき。
左手首のバングルが淡く発光した。
バートが慌てて腕を持ち上げたそのとき、薄暗い部屋の中で銀色の煌めきがこぼれた。
光の奥から、コーデリアの声が響く。
“バート!! 起きてる!? この声が聞こえてる!? 返事ができるならお願い、答えて!!”