君は彼にふさわしくない
「お姉ちゃん、アップルビーさん?」
背後から声をかけられ、コーデリアは素早く振り返った。
ぶかぶかのハンチング帽をかぶった少年がひとり、大きく目を見開いてコーデリアを見上げていた。知っている顔ではないが、この街ではよく見かける、どこかのお屋敷の小間使いらしい身なり。いまはお使いの途中、といったところ。
「どうして私の名前を?」
「アップルビーさんで良いなら、伝言を預かっています。ここに停まっていた馬車のひとから」
少年はコーデリアの確認に対し、ハキハキとした口調で答えた。
(何か事情があって、馬車ごと場を離れることになって、とっさにこの子に伝言をお願いしたの?)
状況から判断し、コーデリアは少年に丁寧に続きを促した。
「ありがとう。すごく助かります。どういった内容でした?」
「さっきここの道路で突然倒れたひとがいるんです。男のひとです。馬車のそばに立っていたひとがすぐに助けてました。バートさんです。僕に伝言をしてきたひとです」
「そう。それから?」
倒れたひとと聞いて心臓が止まりそうになったが、バートが倒れたわけではないとすぐに知れて良かった。さらに尋ねると、少年はそのときの出来事を口にした。
「倒れたひとが、バートさんに『生き別れの息子に似ている』と言ってしがみついて離れなくなっちゃったんです。で、『具合が悪くて病院に行かなきゃいけないけど、死ぬかもしれないからここでバートさんと別れたくない』って泣きながら言い出して。急ぎみたいだから馬車で病院まで送ることになったけど、お嬢様が戻ってらしたときに困ってしまう、って。僕、たまたまそばで見ていたんですけど、このことを伝えてほしいとお願いされました。付き添いで病院まで行くから、一度お屋敷まで帰っていてほしいっていうのと、馬車を借りてしまってごめんなさいって」
「そういうことなの。命に関わる病気なら、馬車を探すより、乗ってきた馬車を使う方が良いと私も思う。よくわかったわ、ありがとう。えぇと……」
ほっと胸をなでおろす。それから、バートが少年に何か渡していたとしても、自分もお礼をした方が良いに違いない、とコーデリアは思案する。ちょうど手にしていた紙袋を差し出した。
「もらいものだけど、マフィンが入っているそうよ。もしよければどうぞ、進呈します。お使いの途中? 足止めしてごめんなさい、すごく助かりました」
新聞社で打ち合わせ中に渡されたものの、手を付けないでそのまま持ってきたものだった。少年はぱっと顔を輝かせて「ありがとう!」と紙袋に飛びつき、背を向けて走り出す。
その後ろ姿を見送り、コーデリアはそっと吐息した。
(いざとなればこれで連絡がつくけれど……)
左手首にはまったシルバーのシンプルなバングルを、指で軽くなぞる。
通信用の魔道具で、一度物理的に接触させて登録した対の機器とは、離れていても音声でのやりとりが可能だ。便利ではあるが、登録できる相手の数は非常に少ない。しかも魔力をなじませた本人しか使用者として認識せず、他人のものは使えない制約がある。
魔道具としては高価なものであはるものの、バートは騎士として支給品を所持していた。その登録先は限定されていたが、コーデリアが魔道具士になった兄に自分の分作ってもらうときに細工をしてもらい、こっそり通信できるようにしていたのだ。
ただし強い魔力を要するということもあって、軽々しく使えない。二人でこれを連絡手段とするのは「奥の手」である。
この場を立ち去るときにバートが使わなかったということは、緊急事態とはいえ伝言すれば大丈夫という判断があったはず。
慌てず騒がず、待とうと決める。
(それにしても、生き別れの息子……? もし気弱になったその男性の錯覚だとしても、困っているひとにすがられたら、バートの性格上助けるに決まっている。私はおとなしく家に帰って待ちましょう、たいした距離でもないから歩いても大丈夫)
コーデリアはトランクの持ち手を握り直して、石畳を歩き出す。
このときはまだ、これが彼とのしばしの別れになるとは、想像もしていなかった。
* * *
帰宅してから、バターつきパンと紅茶を口にした。
髪に櫛を入れたり外出用の服から着替えたりと、忙しく過ごそうとした。それでいて、着替えている間にもバートが戻って来るのではと気持ちが落ち着かず、何も手につかない。結局、諦めて玄関ホールでウロウロとしながら待ち続けた。
魔道具のバングルを通じての連絡もない。
やがてアップルビー家の御者と馬車が戻ってきたが、バートは一緒ではなかった。
「病院に運んだ男性が、バートさんを離しませんで。お嬢様に伝言が伝わっているか不安だから先に帰るようにと、バートさんから……」
「それは大丈夫だったわ、少年がきちんと伝えてくれたから。あなたもありがとう。でもそうすると、バートがここまで戻ってくるのが大変になるわよね。どうしましょう、迎えに行っても行き違ってしまうかもしれないし」
御者の説明を聞いて、コーデリアは再びウロウロと歩き始める。じりじりと時間は進み、昼過ぎ。さすがに遅すぎるから一度連絡してみよう、とバングルに触れたとき、正面玄関から来客があって執事が対応した。
わずかの押し問答の後、執事が相手を玄関ホールに通す。
仕立ての良いコートを身に着けた、中年の男性。秀でた額に鷲鼻で、癖の強い目つきをしている。コーデリアに気づくと、ぎろりと濃い茶色の瞳を向けてきた。
(服装や顔立ちは貴族っぽいし、態度の居丈高さもそれらしいけれど。女性をじろじろ見るあたり、あまり品が無いわね。それに、全然見覚えもない。お父様のお知り合いにこんな方いた?)
目を逸らすことなくコーデリアが見返すと、ふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。とても感じが悪い。
この場を外して二人きりにはできないと考えたのか、執事が呼び鈴で従僕を呼び「旦那様にお客様だ、丁重に伝えるように」と伝えて男の横に立つ。
大役を任された従僕が駆けるように去ったところで、男が口を開いた。
「コーデリアお嬢様というのは、そちらの娘さんかな」
執事がさっと立ち位置をずらして男の視線を遮り「お話なら私が」と申し出たが、コーデリアは顎をひいて執事の向こうに見える男に答えた。
「何か御用ですか」
「ああ、いやいや、あなたのお父上に話があって来たのだが、あなたにも関係があることで。ん~、なるほどなるほど。変わり者とは聞いていたが、身分もわきまえずいっぱしの口をきくところ、いかにも品のないお嬢さんだ。やはり子爵家ごときでは平民と区別がつかんな」
嫌悪感を掻き立てる話ぶりだった。
コーデリアも、まったく同じような感想を相手に持っていたが、わざわざそれを口にすることはなかった。思っても言わないのと、思ったことを全部言ってしまうのは品性に大きな差があるわよ、と胸の中だけで反論する。
(どれほどの上級貴族かは知らないけれど、礼儀は知らないみたいね。お父様にもどんな非礼を働くか、わかったものではないわ)
「私にも関係があるお話ですか。では、お話し合いには遠慮なく同席させて頂きますね」
コーデリアが冷ややかに応じると、男はくっくっく、と皮肉っぽく喉を鳴らして笑った。
「私もそれほど時間があるわけではないので、ここで用件を伝えてしまっても良いくらいだ。お嬢さん、あなたね。こちらの国ではバートと名乗っている青年と付き合っているそうだが、身の程知らずもいいところだよ。とんでもないことだ。これは、彼も君と別れて正解だな。大正解だ」
「なんですって」
「彼は君ごときが口をきくこともできない相手なのだよ。彼の叔父である私もね。私は、本来彼が受け継ぐべき諸々の爵位や財産について彼に伝えにきた。君は彼が本当のところ、何者かわかっていないんだろう? それでよく恋人だなんだと」
優越感を漂わせながら自分を見下してきているその顔を見つめ、コーデリアは警戒して尋ねた。
「ずいぶんと事情通のようですが、バートはなんと言っているんですか」
「バートだと! よしたまえ、君は身分が上の相手への接し方を親に習っていないのか? 彼は私の話を聞いて、すぐさま自分がなすべきことを理解したよ。すでに一足先に、しかるべき場所へ向けて発っている。正当なる地位に復帰するために」
男はにやにやと笑いながら隣国の名を口にする。それは、幼い頃移住してきたというバートの身の上話とも矛盾しない情報ではあるのだが。
(……バートに「生き別れの息子に似ている」と言った男性と関係がある? もしこのひとの言うことに何かしらの真実があったとしても、バートに限って、私との約束を放り出して、なんの説明もせずにこれ幸いとその足で隣国に向かうなんて……。結婚話が進んでいる今日このタイミングで、そんなことは絶対するはずがない)
彼のひととなりを知るだけに、何かがおかしい、としか思えない。
この話には裏がある。
「あなたが何と言おうと、何者であろうと、現時点であなたは私の知らないひとです。私はまずバート本人の口から、説明を聞きたいと考えています。バートに会わせてください。本当にもう隣国に向かっているんですか? 隣国のどこへ?」
「オルブライト公爵家」
男は、愉悦に満ちた表情でその名を口にした。
そして、無表情を保つコーデリアを見つめ、高らかに言い放った。
「彼は先だって亡くなった公爵の息子だ。彼にはすべてを継ぐ権利がある。わかるかね、下級貴族の娘が口をきくなどありえない相手なのだよ。理解する頭があるならここで身を引きなさい。二度と彼と会おうなどとは思わないように。君のような女は、まったく彼にふさわしくない」