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稀代の悪女を書く令嬢

 そしてステファニーは言ったのだ。


「苦労や努力をしたひとが報われる世の中であってほしいものです」


 聖堂のステンドグラスから注ぐ光を質素な修道服をまとった身に受け、慈悲深い聖母のような笑みを浮かべながら。

 子どもの頃からとても苦労を重ねてきたというステファニーの言うことだけに「説得力がある」とその場の誰もがその言葉に頷く。

 しかし、アガサは知っている。

 ステファニーが、日がな一日養護院の子らを小突き回して重労働を押し付け、ときに鞭を打ち、食事を抜き、虐げていることを。

 着の身着のまま、やせ細った子どもたちを見下ろし、ステファニーは言うのだ。


「私を見ればわかるでしょう? どれだけ苦労や努力をしたって、良い生活なんて到底望めないの。上を見ればきりがない、せいぜい自分より下の人間を見て溜飲を下げるだけの毎日よ。下がらないけどね、あんたたちのシケたツラを見ていても」


 ぶっきらぼうな口ぶりで、手近な子どもを意味もなく打ち据え、顔をしかめながら。

 子どもたちは、大人のようにうまく言い表すことができないながらも、ステファニーの邪悪さを漠然と掴んでいた。

 彼女がひとびとに向けて語る偽善に満ちた言葉の意味は、つまりこうだ。


「苦労や努力をしてきた私が報われない世の中なんて、間違えている。皆が皆、辛く苦しい思いを味わえば良い。そうすれば私の住む世界は今よりほんの少し楽しくなる」



 ◆ ■ ◆



 窓から差し込む朝日の中で、コーデリアは目を覚ました。

 いつの間にか机に突っ伏して寝落ちしてしまっていたらしい。ハッと机の上に広げたままの原稿に目を向ける。

 インクをつけた筆先が、書き終えた文字の上にべったりとはりつき、黒々としたシミを作っていた。


「あーっ。稀代の悪女ステファニーの残虐極まる悪行がーっ。決め台詞がーっ」


 ペンをはねのけ、両手で紙を持ち上げ、陽の光に透かす。もちろん、潰れた箇所は読めない。机に残った数枚の紙に目を落とし、少し前の文章を読んで記憶を探る。


「ステファニーはこのとき……、このとき、そう、なんて言ったんだっけ……。こう、見た瞬間、むかっときてイライラが止まらないあの……ああ」


 ぶつぶつと言いながら、紙を机に置く。それから窓の外を見て「いけないっ」と叫び、両手で両頬を覆った。


(寝過ごしてる、もう時間が無い……! 早く届けないと……! 潰れたところは走りながら思い出そう!)


 原稿を束にして角を揃え、一番上の一枚に署名を記す。

 

 トーマス・ノーマン


 男性名の、筆名。コーデリアが小説仕事を請け負う際に使っている架空の名前。

 インクが乾く間に、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、身を翻した。

 外出に先立ち、最低限の身支度に取り掛かる。


 コーデリアは、アップルビー子爵家の次女。社交シーズンを過ごすための屋敷は街中にあり、こぢんまりとしてはいるが、どの部屋にもきちんと魔道具で水を引いた洗面室もついている。暮らしぶりは中の上、もしくは上流に引っかかっている貴族。

 とはいえ、朝まで執筆活動に励んでいるコーデリアは、由緒ある家の令嬢としては変わり者の部類だった。


 ざばざばと水で顔を洗い、鏡を見れば、ぼさぼさの銀髪に翠の瞳、目元にうっすらとクマのある不健康そうな娘が映り込んでいる。

 ドレッサーなどとうの昔に使う習慣をなくしているため、肌のケアも洗面台のそばに置いたワゴンから化粧水のガラス瓶を手にして、かろうじて頬や額に叩き込む程度。

 メイドを呼ぶことなく、部屋着から外出着の花柄のワンピースに自分で着替え、つばの広い帽子をかぶり、顎の下でリボンを結ぶ。

 原稿を小ぶりのトランクに詰めて、慌ただしく部屋を飛び出した。


 階段を駆け下りているときに「お嬢様」とメイドに呼び止められたが「ごめんなさいね、時間がないの! 私の食事は気にしないで! どうにかするから!」と叫んで玄関ホールを突っ切り、ドアに向かう。今しも外へと出ようとしたそのとき、「お嬢様」と横から呼び止めた青年がいた。


「ずいぶんお急ぎのようですが、どちらまで? ジョンソン通りの新聞社ですか?」

「ああ……っ、バート、おはよう」


 そばに立った相手を見上げて、コーデリアは呻くようにその名を口にした。

 茶色の髪に同色の瞳。姿勢がよく、背筋がすっと伸びた青年。整った顔立ちで、コーデリアに向けられた笑みは品が良く甘やかであった。


「原稿の締め切りが昨日で、今日は一日おやすみにできるはずだから、一緒に出かけよう……と約束したのが二週間前のことで」


 笑いを含んだ感じの良い声で告げられ、コーデリアは地団駄踏みたい気持ちになりながら、手にしたトランクを持ち上げた。


「原稿、まだここにあるの。朝イチで届けるって言っていたのに、まだここにあるの!」

「表に馬車を用意している。行こう」


 必要なことだけを告げ、バートはドアをさっと開く。

 光に目が眩んでコーデリアは一瞬瞑目する。バートがその手を取り、「気をつけて」と言いながら正面玄関の石段を下りた。すでに人が行き交う、にぎやかな通りには子爵家の一番小さな馬車が待機していた。


「今朝君を迎えに来たときに、事情は執事のフレデリックさんから聞いてる。だいたい状況はわかっているつもり。乗って」

「ありがとう……なんて準備の良い。そうなの、原稿がどうしても終わらなくて、あとインクが染みて読めなくなったところがあるから、いま思い出す。ええと……」


 喋り続けるコーデリアを馬車に乗せ、バートも乗り込む。御者に声をかけて発車。

 少し狭い車内で肩をぶつけながら、コーデリアはさらに額に人差し指を突き立て、ひとりでぶつぶつと呟いた。


「そう、ステファニーは周りのひとには聖母と勘違いされているけれど、その本性はまさに悪魔。こういう性悪女、どうして誰も気づかないのか不思議よね。よくよく言動見てみればわかるはずじゃない? ふとしたときの目つきが異様に冷たかったり、わざわざ言わなくてもいいような微妙~~な皮肉を言っていたり。『あれ? いつも良いひとだし、いまの気のせいかな?』なんて思ったときは要注意よ。そんなわけない、だいたいそちらが素。皮肉を言うようなひとは皮肉っぽい性格なのよ、気づくといつもいや~なこと言っているの。一緒にいると、いつの間にかごりごりに削られるんだから」


 まさに書きかけの小説の人物像についてであり、失われたセリフを思い出すための作業。

 邪魔をしないようにとの配慮か、バートは特段口をはさむことはなく、おとなしくしている。

 ふっとその存在を思い出したコーデリアが視線を向けると、にこにこと笑いながら「その悪役、モデルいるの?」と素早く尋ねてきた。


「いると言えばいるけど、特定の誰かというわけでは。身近なひとを悪役に仕立てるのって、何かと支障があるものよ」

「そうか。たしかに、君の家は気持ちの良いひとばかりだからね。ちょっと思いつかない」

「んん~、だけど伯母は要注意ね。顔の良いクズにたかられて、大判振る舞いするのが性癖なの。業が深いでしょ。いくつになっても、若い男が大好き。ときどき父にお金の無心に来るのだけど、あれはいただけないわ」

「そんなひとが、君の親戚に?」


 話しているうちに馬車が辻を曲がり、やや坂になった石畳を登り始める。

 目指す新聞社の建物を見て「この話はまた後で。降りるわ! すぐ戻るから!」とコーデリアはドアに手をかける。


「待って、危ない。そんなに焦らなくて良いから」


 バートがコーデリアを押し留めて馬車を止め、先に下りて外からドアまで回り込み、降車に手を貸す。


「ありがとう。さすが王宮の騎士はエスコートが一流だと思います」

「お褒めに預かって光栄です、コーデリアお嬢様。いってらっしゃいませ」


 恭しく手を取られ、丁寧に送り出される。そのすべての動作が淀みなく気品に溢れていて、気後れするほどに輝いて見えた。コーデリアは、頬が赤らむのを感じてさっと背を向けると、目の前の建物に駆け込んだ。


(いつもながらかっこいいな~~。バートはきっと、この国の王子殿下よりも王子様……!)


 いつ会っても眩しいばかりの好青年であるバートは、なんとコーデリアの結婚を約束した恋人なのである。

 偶然知り合い、交際に至ってはや一年。


 バートは、子供の頃隣国から母一人子一人で移住してきてずいぶん苦労したという平民の出だが、厳しい試験をくぐりぬけ、現在は王宮勤務の騎士職に就いている。その母もすでに亡くして、天涯孤独の身。なんの後ろ盾もない自分の身の上を気にする素振りもあったが、コーデリアとしては一切問題とは思っていない。

 貴族の出であるコーデリアは、結婚相手次第ではそのまま貴族として生きていく道もあったが、変わり者令嬢としてもとより社交界では肩身が狭かった。

 しかし目溢ししてくれた両親のおかげで得意分野である文章の能力を伸ばすことができ、今では小説家としての仕事を得ている。バートと結婚して平民になっても、なんら困ることはないのだった。むしろその日々のために、いま無理をして少しでも多く稼いでいる、とすら思っている。結婚資金、及びその後の生活のため、いまは働き時なのだった。


(そのせいでデートをすっぽかしている場合じゃないんだけど……! すっかり忘れてろくなオシャレもしていなくて)


 くよくよ悩んでいても仕方ない。

 コーデリアはさっさと仕事を済ませて、バートの元へと急いで戻ろうと館内を早足に歩き続ける。

 今日のデートは、忘れていたでは済まされないのだ。なにしろ、結婚指輪を選ぼうという話になっていたのだから。

 仕事の進捗を気にして、屋敷まで迎えに来てくれたのがさすがの気遣いといったところ。おそらくバートはこのまま外で待機していてくれるはず。早く戻らねば。

 


 逸る気持ちとともに仕事を済ませ、コーデリアは可及的速やかに新聞社の建物を後にした。

 お待たせしました、と走り込むつもりでバートを目で探す。

 しかし、待っていてくれると思っていたバートの姿も、馬車も見渡す限りどこにもなく。

 コーデリアは居てもたってもいられず、大きな声で名を呼んだ。


「バート!!」






 

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