悲願を果たせ、と彼女は言った
ルッカが帰ってきた。息巻くようにイノーニが口を開いた。
高等魔法院は魔法のさらなる習熟を目指す場所。それは魔法という文明を与えてくれた神々への恩返しでもあり、その最たる恩返しは"灰色の魔女"の殺害である。
魔女が住む闇の塔があるせいで、特にヴァイス高等魔法院はその傾向が強い。魔女殺しを目指すルッカ候補は皆こぞってここに進学する。
だからこそその本願を果たせ。魔女を殺せ。人間の忌々しい罪を精算し、原初の時代のように人と神が寄り添う関係を取り戻すのだ。
「先生、質問です」
「何だ」
「闇の塔についてなんですが……」
闇の塔、そして光の塔。ヴァイス高等魔法院には2つの塔がある。光の塔は再信の時代において神々へ祈る最も神聖な場所に建てられた、いわば記念碑のようなものだ。そして闇の塔には"灰色の魔女"が住む。
光と闇。その対極は美しい。だが、闇というワードから連想されるイメージと、ヴィト本人の人柄がそぐわない。"灰色の魔女"だから闇というおどろおどろしいものを想起させる場所に閉じ込め、レッテルを貼っているのでは。
神は尊く、魔女は忌々しい。その構図とするためにわざわざ闇の塔なんてものを建てたのではないか。
「あぁ。或れは魔女本人が建てたのだよ」
建てたというか、そこに作るよう指示したというか。かつて不信の時代、始源のルッカが魔女を封印する際にそうしたのだという。わざわざ自分で封印される場所を作ったのだ。
そうして封印、あわよくばそのまま朽ちて死ぬことを望んだ。無事封印された後は朽ちることを望んで眠り続けていたが、経年劣化で封印が緩んで自由になってしまった。
話が逸れた。そうして魔女は自身で自分の墓標を建てた。それが闇の塔だ。その名付けは魔女本人がしたものだ。誰かが魔女に悪のレッテルを貼るために作ったものではない。
「詳しくはリンデロートに譲るが」
詳しいことは神秘学を担当するリンデロートに譲るが、まぁ属性の基礎的な知識だ。
火、水、風、土、雷、氷、樹。この世界を構成する7属性の他に、光と闇の極性がある。
そしてそれぞれの属性はあらゆる概念を司っている。火は憤怒と過激さを、水は知識と貪欲さを、風は自由と奔放さを、土は堅牢と怠惰を、雷は契約と試練を、氷は真実と独占を、樹は希望と束縛を。他にも細かなものはあるが、代表的なものはこれらだ。
そして光と闇の極性もまた、ひとつの概念を司る。神を象徴する光属性は神々への畏敬と至上存在ゆえの高慢さを、強大な力を象徴する闇は力に膝を折る忠誠と神に並ぶと錯覚する傲慢さを。
それ故に、魔女は自身の住処を闇の塔と名付けた。"大崩壊"を起こした力の強大さを由来として。闇というワードにまつわるおどろおどろしいイメージは雑音だ。
「奴は自身が神と対等で在ると思って居るのだ。忌々しい」
"大崩壊"を起こしたその力を神々に対して振るえば、神さえ殺すことができる。闇に象徴される概念を拾うならその解釈もできる。そしてそれは事実正しいのだろう。神の国にいるという神々と接触できないのでやれないだけで、もし対峙できるならそれを実行できる。
それは驕りではなく自分への正当な評価だ。できるのなら、やれるし、やる。だからこそ世界に君臨する大罪人なのだ。
だからこそ殺さねばならない。神々を殺すだなんて不敬極まる魔女を殺し、神々に許しを請うのだ。"大崩壊"に端を発する人間の裏切りを詫び、そうしていつかあったように蜜月の時代を取り戻すのだ。
魔女を殺さねば人間たちは永遠に神々から許されない。魔女を殺して初めて神々は人間に振り向いてくれるだろう。神の国に閉じこもった神々はようやくその首を人間たちのいる世界へ向けてくれる。
「殺せ。殺せ。殺さねばならない。ルッカに続け、お前達一人一人が魔女殺しを成せ……!!」
呪詛のようにイノーニは吐き散らす。これは神々を狂信する人間の悲願だ。
あの魔女を殺せ。でなければ人間は永遠に停滞し続ける。神々と不仲となったまま、ずっとそこで立ち止まってしまう。故に、だ。
「人間の悲願を果たせ」