裏通りの蛇
かちん、と歯車が噛み合ったような音がして、転移魔法特有の足元の消失感。咄嗟に瞑ってしまった目を開けるとそこには温室とはまったく違う光景が広がっていた。
床から天井まである背の高い棚が壁一面並んでいる。それが三面。カンナの後ろにある面だけ棚はなく、出入り口だろうドアがある。ドアには大ぶりのベルつきのドアがついていた。
そして出入り口のドアから入って正面には応接用のソファとローテーブル。奥にあたる面にも床から天井までの棚があり、建物の奥へと続く出入り口のぶんだけ四角く切り取られている。
店内は薄暗く、窓はない。明かりのランプが頼りなく室内を照らしている。
近くにいなければお互いの顔さえ見えやしない。そんな薄暗い室内をぐるりと見回し、カンナは首を傾げる。ここはいったいどこだろう。すぐにヴィトが疑問に答えてくれた。
「聞いたコトあるデショ。何でも願いが叶う店って」
地理学のクロッケスあたりから聞いたことがあるだろう。校下町のどこかに『何でも願いが叶う店』という不思議なものが存在している、という噂だ。
誰も行き方を知らない、場所も知らない。だが『ある』と伝わっている幻。その店に転移魔法で直接乗り込んだのだ、とヴィトが付け足した。
「というコトでサ! オキャクサマなんだから歓迎してヨ、リグ!」
建物の奥へと続く通路への入り口には目隠し用の暖簾がかけられている。影と間違えそうな黒い布が揺れる。
影が動いた。ような気がした。深淵という言葉ですら表現が追いつかない漆黒がそこにいた。くすんだ長い金髪をそのままに下ろし、寡婦のように黒いベールをかけている。ベールの隙間から覗く目は世界を呪い尽くしたかのような色をしていた。
「……こ、この人がリグさん……?」
「あぁ、貴方は妹を知っているのね」
説明も何も後。まずは座りなさいと彼女が応接用のソファを指す。
遠慮なく座ったヴィトに倣ってカンナも腰を落ち着け、彼女もテーブルを挟んだ対面に座る。何でも無い動作だが、まるで闇色の大蛇がそこにとぐろを巻いたように感じられた。
この人が『何でも願いが叶う店』の店主なのか。緊張した面持ちのカンナの視界に真っ白な陶器に淹れられた紅茶が差し出される。まるでビスクドールのような真っ白な肌の少女が無言でこちらを伺っていた。
「リグラヴェーダ、何も言わずにいるのは行儀が悪いわ」
「…………すみません、お姉様」
「謝るなら客人へ」
「はい……すみません、お客様がた。お茶です。どうぞ」
まるで録音のように無機質に、しかしよく通る声で少女は茶を勧め、一礼して奥へと引っ込んでいく。
「ごめんなさいね、あまり人慣れしていないの」
「最近できた妹なのカナ?」
「そうね。……あぁ、いけない。置いてけぼりになっているわ」
すまないことをしてしまった。これだから意味深で冗長な会話を交わす仲は困るのだ。
体ごとカンナに向き直り、小さく会釈する。
「私は……いえ、私『たち』はリグラヴェーダというの」
一族の掟で、外界に出る時はリグラヴェーダという名前を名乗ることが定められている。
一族といっても血縁はなく、姉妹と呼び合っているのも概念的なものだ。先に生まれたので姉であり、後に生まれたので妹と呼称している。
「えっと、キロ族の字のようなものですか?」
キロ族もまた真名と字を分け、普段は字で呼び合うという文化がある。彼女らの『リグラヴェーダ』という名前もそのようなものなのだろうか。
問えば、まぁそういう理解でいいわと頷かれた。
「色々と秘密が多いせいで細かくは説明できないの。ごめんなさいね」
『そう』だから『そう』ということで理解してほしい。口外厳禁な事柄がごまんとある。些細なことでも口外厳禁の掟に触れかねないので自己紹介が満足にできやしない。
肩を竦め、彼女は嘆息する。まぁ今理解するべきはリグラヴェーダという名前は通称なのだということだ。この目の前にいる店主も、薬学を教えている教師も、そしてついでに言うならば図書室の司書も皆『リグラヴェーダ』だ。司書は名前が同一で混乱するのでジェーンドゥと仮の呼び名をつけているが。
「……じゃああの子も?」
「そうね」
先程紅茶を差し出してくれたあの少女もまた『リグラヴェーダ』だ。呼ぶことはないだろうが、もしあるならばそう呼んでやってくれと自己紹介を済ませ、それから、と知識の補填を再開する。
「さっきこの子も言ってたけど――」
――ここが『何でも願いが叶う店』だ。




