時の中にこぼれ落ちて拾えない
それでもやらねばならぬことはやりましょう。
学費は自分で払うのが高等魔法院の決まりだ。なので今日は労働に身をやつさねばならない。
図書室での本の整理がカンナの仕事だ。返却された本を本棚に戻す作業だけ。返却手続きなどは司書がしてくれるので、カンナがやるべきはただ本を分類して棚に入れるだけである。
台車に積まれた本をひとつずつ書架に戻していく。キロ族の字の文化について詳細に解説している分厚い本を棚へ。それから土神を信仰する亜人種の竜族について解説された本をその隣へ。
確か台車の底のほうに雷神の信徒シャフ族について書かれた本があったはず。積まれた本を崩して下のほうから目的の本を探して棚にしまう。
「タイヘンそうダネェ」
「ヴィト!」
「や。ドーモ」
いつの間にいたのだろう。台車にもたれかかるようにして肘を置いたヴィトがひらひらと手を振って微笑む。
"灰色の魔女"がここにいてもまったく騒ぎになっていないのでおそらく迷彩魔法を使っているのだろう。そうか、以前彼女は常日頃迷彩魔法を使っていると言っていたがこのためか。"灰色の魔女"である自分が歩き回っていては騒ぎになるだろうから、と。あの時は理由を言っていなかったが、成程そういうことか。
「聞いたヨ。ナツメとナニか画策してるんだって?」
「うん、まぁ……ちょっと、ね」
ばれている。まぁ当然だろう。どうしよう。言うべきだろうか。あなたの不死をどうにかしたい、と。
少し悩み、そして意を決する。何も悪いことは計画していないのだし、正直に伝えるべきだろう。
「あなたをどうにかできないかと思って」
「ボクを?」
曖昧な言い方だったが、そんな言い方でもヴィトには伝わったらしい。おそらくこれまでにも同じことは言われたことがあるのだろう。そんな理解の早さだった。
「ムリだネ」
きっとカンナのように彼女の状況に同情して寄り添おうとする人間は過去にもいたのだろう。そのたびに期待して、裏切られたに違いない。その背景を確信させるような断言の口調だった。
だけど、とカンナは言い縋る。やれる手段はあるのだ。このベルダーコーデックスを使えば、あるいは。少しでも状況が変えられるかもしれない。ベルダーコーデックスでもって改変するものは不死の体質かそれとも別の何かか。そのあたりの具体的な方法は決まっていないが、可能性はある。
「ベルダーならきっと……」
「あぁ……ナルホドネ。そういうコト」
ベルダーコーデックスでもってヴィトを改変する。成程ね、とヴィトが頷く。
リグラヴェーダが『カンナならあるいは』と言っていたのはそれか。確かに真実改変の偽書ならば何だってできる。条件さえ整えば世界の常識さえ塗り替えられる。不死を消し、『殺せる』と書き換えることだって容易いだろう。
だが、それはあくまでも『条件さえ整えば』できるという話。それを行うには厳しい条件があるし、その条件はカンナには整えられないだろう。カンナがだめだという話ではない。他の誰にもだ。
「ボクを書き換えるのは難しいと思うヨ」
単純に『ヴィトから不死を取り除く』なんて書き換えは不可能だ。
ベルダーコーデックスでもって書き換えが可能なのは、その対象の『真実』を知り尽くしていること。人間を対象とするならばその生い立ち、思考、その他諸々のパーソナリティを把握していなければならない。
他人のパーソナリティなど全部把握できるわけがない。真実の書でもって覗くことができる『真実』はほんの一部で、その人のすべてではない。
例え歴史書を漁って"灰色の魔女"の生い立ちを知ろうとも、ヴィトと会話を重ねて性格を掴もうとも、パーソナリティすべてを把握できはしないだろう。把握できなければその者の『真実』は掴めず、掴めていないのなら改変は成り立たない。
「ボクもボクのコト忘れちゃったしネ」
長い時間を過ごした結果、ヴィト自身も自分のことなどわからなくなってしまった。
今この口調でこの性格だというのも、『確かそうだった』という記憶と、一般的にこういうシチュエーションではこういうリアクションをするという認識をなぞっている模倣にすぎない。カンナには明るく溌剌とした女性に見えているのだろうが、それも嘘。感情など色褪せてしまった。
唯一覚えているのは"大崩壊"の日のことだ。あの日の絶望の慟哭だけは2000年経っても褪せない。
それ以外はすべて長い時間の中に沈殿して浮かびあがってこない。
「ボクは死ねないのに記憶だけは死んでく。ズルいよネェ……」




