知恵は揺蕩い、激情は踊る
「私も負けてられないしね」
「誰に?」
なにやら対抗心に満ちた意気込みだったが、いったい誰に。彫金学の授業でライバルでもできたのだろうか。
カンナの疑問に、レコはかのルッカの名を告げた。ナツメ先輩に、と。
「ナツメ先輩に?」
「そ。あの人、キロ族だから」
火の神を信奉する信徒たち。原初の時代よりキロ島に住む彼らをキロ族と呼ぶ。
ナツメはそのキロ族の出身なのだ。ナツメという名前もキロ族特有の文化である字によるものだ。
字とは本来の名前、つまり真名とは別につけられる通称で、普段はこちらの名前で呼ぶ。偽名や愛称とはまた別のものだ。そして真名は名付け親である両親と伴侶にしか明かさない特別な名のことをいう。
その文化にならい、ナツメという名もまた字として名付けられたものだ。夏の初めに生まれたのでそれにちなんで夏芽という意味を込めたそう。彼の真名は他にあり、そしてきっと愛する魔女にしか明かしていないのだろう。
そして、字の文化を受け継ぎ拒否はしたものの、レコもまたキロ族だ。そこまで敬虔ではないが火神の信徒の血を引いている。
だから同じキロ族として負けていられない。ナツメが魔女殺しを果たす前に、彫金学を究めて世界最強の武具を作ってやるのだ。
「ナツメ先輩ってキロ族だったんだ……」
そうか。確かにナツメという名前の響きはキロ族固有の字の響きに似ている。カガリだのホムラだの、キロ族がよく名乗る名前の響きにそっくりだ。
そう言われれば納得する。あの良くも悪くも真っ直ぐな性格は確かにキロ族らしい。
性格占いに近いのだが、人間の性格の傾向は信仰する神が司る概念に似るという説がある。
苛烈さと忍耐を象徴する雷神の信徒は過激で派手好きな傾向にあり、また我慢強い。知恵と安穏を象徴する水神の信徒は穏やかで思慮深く、堅牢と怠惰を象徴する土神の信徒は伝統を重んじて頑固であることが多い。
そして激情と暴力性を象徴する火神の信徒、つまりキロ族は情熱的で、ひとつ何かに思い入れたら一直線だ。思い入れの対象が恋人であれば熱烈に愛し、敵であれば永遠に憎悪する。何かしらの目標を抱けば何もかもを犠牲にするくらいすべてを捧げる。
成程、だからナツメは100年以上もの間、真っ直ぐ魔女殺しを目指しているわけだ。その情熱の炎を燃やし続けられる気骨は信仰ゆえか。
「水神の信徒のくせにバカなやつもいるけどな」
「ベルダー! うるさい!」
そう。それに当てはめれば一応は水神の信徒であるカンナも穏やかで思慮深くある、わけはなく。残念ながらまだまだ至らぬことの多い未熟者だ。
何事にも例外はあるものだと揶揄するベルダーを叩いて黙らせる。ベルダーコーデックスは馬鹿にした笑いを引っ込めることはなかった。
***
夜。カンナは机に向かっていた。
「宿題か?」
「じゃなくて」
思っていることを紙に書き出し、思考を整理したいのだ。
自分の中にあるものを言語化することで見えてくることがあるかもしれない。
それくらい真剣なのだ。『魔女を殺す』以外でヴィトをこの運命から解放する方法を探したい。
魔女を殺す。魔女殺し。魔女とはヴィトのことだ。待てよ。
「……これって、書き換えられないかな?」
魔女とはヴィトのこと。この定義を書き換えられないだろうか。まるで紙に書いた文字を修正するように。
思いついた概念を表現するため、紙に書いた文字を書き換えてみる。魔女とは『ヴィト』のことである、という一文を一部空白にして、魔女とは『 』のことである、と。
こうやって世界の認識も書き換えられないだろうか。なにせカンナが持っているのは真実の書。あらゆる真実を示し、また書き換えることもできる。それを利用すれば。
改変能力をもってしても世界中の人間が持っている共通認識を書き換えることは難しいだろう。何がなんでも無理だ。だが。
何かできないだろうか。できないかもしれない。できるかもしれない。
わからないが、この発想はナツメに伝えるべきだろう。彼ならカンナのこの思いつきを現実的に実行できるレベルに練り直してくれるかもしれない。それが今後の方針を左右するだろう。
早速明日ナツメを探してこの事を話してみよう。
一条の希望を見つけた気がして、夜なのに明るい気持ちになった。
***
暗闇の中で煩悶する。
あぁ、あぁ、あぁ!
俺の力はいつ愛する女に届くだろう。殺しもできないなら何のための力だ。
殺したい。殺さなくては。男の欲望が女の柔肌を貫くように、その心臓を穿たねば。
自らの無力が恨めしい。何が最強のルッカだ。そう呼ばれるたび惨めな気持ちになる。『最強』の力は愛する女にほんの少しも届かないのに。
いくら研ぎ澄ましても刃は届かない。世界を巡っても足りないというのか。
なら、世界を平らげてでも。




