真夏の思ひ出
夏の去来。
弥勒菩薩が、お堂の中で、鈍色に輝いている。
その眼は、なにか、恐ろしいものでも捉えるかのような。
蚊が飛んできて、蚊取り線香にやられている。
遠雷。夕立。陽炎。蜃気楼。夏の理。
蝉時雨が、滝のように。
いらかの群れにもくもくと入道雲が立ち昇る。
あぜ道の向日葵が嗤っている。
真夏のお寺は何か居る。
釈迦如来の眼差しに、どこからかお経の声。
鳴き止まない蝉が、ふいに一斉に鳴き止んだと思ったら、
ひんやりとした冷風がお堂を通ってゆく。
地鳴りのような声のお経と釈迦の眼が、不意に怖くなって、
その場を逃げ出した、夏の想ひ出。
ぴちゃりと、池の鯉が尾を跳ね上げた。
夏になって、やってきた祖母の家の仏壇に飾ってある日蓮上人の古い巻物を眺めながら、
線香の香りを吸って、仏壇は不気味だなと仏罰なことを考える夏。
外の側溝には死んだ蚯蚓が汚水の中でゆらゆらと沢山揺れている。
入道雲が脳を溶かしながら、私は揚羽を追いかけて、
町中の道を駆けずり回る。幼き頃。
夏になると人の死を悦ぶようになる。
勝手に死ぬ人が悪いんだ。
黙って小刀でノオトを切りつけてボロボロに。
私は悪い子です。
神社の境内で逡巡と悔恨を繰り返しながら、拳を強く握りしめ。
夏は、後悔と懐古の季節。
ジッと蝉が鳴いて走りだす。
その頃には、私は、すべてを忘れて、台所で水を飲んでいる。
玄関で、もしもしと、繋がっていない黒電話の受話器に耳を当てて、
聞こえもしない昔の人の幽霊の声を聴きたがる、茹だる灼熱の夏の日の午後———。
蝉の音と、かちかちという柱時計の音だけが、
しんとした部屋の、脳裏に響き渡り、
窓の外では入道雲だけが、真っ青な空に浮かんでいた、幼き日の想ひ出。
真夏の午睡。
大鯰に喰われる悪夢を見て、目を覚ます真夏の夢。
外では蝉時雨と、飛行機の音がゴゴゴと茹る部屋に響き渡る。
夏は、死の季節。
青々とした木々が風に吹かれ、カレンダーを見ると、八月一五日に赤丸がしてあった。
誰が丸をつけた。
テレビでは、黙とう――—、という声がして、はと振り返った。