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第1話 VS サークルクラッシャー

※すごくギャグです。ファンタジーヨーロッパに見せかけて体育でバレーをしたりする謎世界観です。


「僕と君との婚約は破棄だ、ジュスティーヌ。君の悪事については調べがついている!」

「え、殿下?あく……なんですって?あくし……?」


 (……あ、握手?)

 思い至り、やれやれとジュスティーヌは手を差し伸べる。

 王太子殿下は黙ったまま握手をし、そして


「って違ぁう!!」

 突然叫んだ。

 驚いて落としてしまった扇を従者が取り替えてくれる。ありがとう。


「えっ、違いますか。殿下が突如私との握手に目覚めたのかと」

「人を変な性癖に覚醒したように言うな!なんで舞踏会で!婚約者で王子のこの僕が!貴様に突然握手を求めると思うんだ!!『悪事』だ!貴様の悪事!」


「……なるほど?」

「ぽかんとした顔で分かったフリをするな!完全にわかってない顔だろそれは!」


 (しまった、うっかり顔に出てたわね……)

「しまったって顔してますよお嬢さん」


 従者に指摘され、あわてて扇で隠しつつ――しかしジュスティーヌには本当に心当たりがなかった。


 ここは今王子が言ったように王族と良家の子女ばかりが通う学院のダンスホール。

 習ったマナーやダンスの実践、今後の人脈づくりのため、学院主催の舞踏会は定期的に開催されている。


 そんな、上品なオーケストラが響くこの空間で、突然王太子に婚約破棄を告げられ、さらには悪事を告発されたのだ。


 自慢ではないがこのジュスティーヌ=マリーア=バリィ、『正義』を意味する名前に則りバレるような悪事を働いた覚えなどない。やはり何かの聞き間違いかもしれない。


「……もういい。話を進めるぞ。いいか、貴様と僕の婚約は今この時をもって破棄とする。貴様がヒナに行った悪行、許すことはできない!」

「あく、ぎょう……」

「やめろ!灰汁業あくぎょうとかいう謎の職業を考え始めてるだろ!悪行だ悪行!悪い行い!」


「――やめてくださいっ王子!」


 スープの灰汁あくを取る仕事について考えていたら、王太子の背後から甘い声が上がった。

 よく見ると、そこには王太子に隠れるようなサイズの、可愛らしい少女がしがみついている。


「お、王子……!あたし、いいんです……ジュスティーヌ様は悪くないの、あたしが……あたしが悪かったからっ……」

「ああ、何て健気なんだ、ヒナ……!」


 ガバッと抱きつこうとする王子をうまくかわす黒髪の少女を見て思い出した。

 ああ、あの黒髪は有名な……

「スナイパー・ヒナ……!」


「クラッシャー・ヒナですよ、お嬢さん。婚約者付きのイケメンばかり落としていくことから異名がついたご令嬢ですね」


 長身を折った従者が、訂正しつつ私の耳元で囁く。

 なるほど。あの有名人、確かに最近王子の周りによくいるなと思っていたら、とうとう王族の婚約をクラッシュさせたのね。

 ふむふむと改めて相手を見直して記憶をあさる。


 ヒナ=スズキ。黒髪ストレートに垂れ目がちの童顔、少しドジなところも微笑ましい平民出身のご令嬢。

 片や自分は金髪ウェーブに高身長、キツイ顔立ちのバリィ家公爵令嬢で王子の婚約者。


 見た目だけなら確かにジュスティーヌの方が悪役らしい。

 しかし繰り返すが、ヒナへ「悪行」とかいうものを働いた心当たりがまったくないのだ。


「あの、殿下。申し訳ございませんがやはり覚えが……」

「この期に及んでなおとぼける気か!体育のバレー中にヒナをつき転ばせたそうではないか!」

「あ、レシーブで突然下がってこられたので避けきれなかった時の……?」

 ちなみにこちらも転んだ。


「婦人用のトイレで集団で恥をかかせたとか!」

「ドロワーズにドレスの裾が入ってしまっていたのでみんなで直してあげた時のことでしょうか……」

 そのまま外に行ったらもっと可哀想なことになると思ったのだが……


「貧乏人は無教養と嘲笑ったとか」

「歴史の教科書を忘れてらしたのでお貸ししたこと……かしら……」

 確かにあの時ヒナ嬢は『あたしが貧乏だから恵んでくれるってワケ!?』とキレていた。

 怖かったのでそれ以上話しかけなかったのだが……


「そして何より……昨夜、悪漢をけしかけてヒナの身を危険に晒したと」

「そっ……」


 それはまったく覚えがなかった。

 思わず絶句したところ、最早言い訳もできぬか!とやかましい声が追いかけてくる。 


 誰かと間違えているのではと周囲に視線を走らせたが、

 返ってきたのは隠しきれない好奇の目や、他人の不幸を喜ぶヒソヒソ声達だった。


 (これは……)


 涙目のチワワのような、愛くるしい少女が震えて王子の服にしがみつき。

 物語のように、王子が愛にあふれた態度でヒロインを守り。

 黙っているだけで「怒ってる?」と聞かれがちな吊り目の女(私だ)が、二の句も告げずにいる。


 これはやばい。


 真実だろうとなかろうと、劇場の幕は上がってしまっていた。

 観客としては舞台上の三人のうち、可愛げのない女を悪役としたほうが面白い。

 どうにか流れを取り戻すべく話を続ける。


「昨日は……生徒会の打ち合わせで、従者共々王子のところを訪ねたはずですが」

「その裏で人をやり、ヒナを襲わせたのだろうが!貴様と違ってヒナのように優しい女性は人を疑うことなど知らぬからな!」


「優しい女性がなぜ夜道を一人で歩いていたのです」

「僕には詳しく言えないが用があったそうだ!」


「私が行ったという何らかの証拠がおありで?」

「ああ!現場に貴様のバリィ家家紋付きハンカチが落ちていた!」


「悪漢がそんな家紋付きのハンカチをわざわざ置いていったのですか?」

「ヒナが現場で拾ったと言うのを疑うのか貴様!」


 これは埒が明かないと一旦諦めかけたその時、


「あのー」


 突然のんきな声がして全員が一斉にそちらを振り返る。

 声をあげたのは先ほどからずっと私の後ろにいた従者――ロトだった。

 手袋をした手で片眼鏡を直しつつ、注目をものともせず続ける。


「それ、うちの屋敷前でお土産として売られてるやつです」

「「お土産?!」」

 王子とハモってしまった。


「公爵家の屋敷ともなるとちょっとした観光資源ですからね。土産屋を出してみたらこれが結構イケまして」

「あんたそんなことやってたの!?」

「ハンカチ売れますよーでもお嬢さんをイメージしたクッキーは中々売れなくて」

「今その情報いらないわよね!?」


 待って待って今シリアスな空気だったじゃない!

 今まさにジュスティーヌという公爵令嬢が王太子殿下に婚約破棄されたわけで、これがロマンス小説だったら悪役の私が国外追放か処刑台かっていう展開――

 そこでハッと気が付く。

 (ロト、もしかして私のことを助けようと……)


「てかうちのお嬢さんが証拠なんて残すわけないじゃないですか。やるなら今頃ヒナ嬢に石詰めて海に沈めてますよ」

「あっ全然助ける気ないわねあんた!」

「確かにジュスティーヌならそうするな」

「殿下も納得しちゃったわよ!」


 そこで、カッ、と上等な革靴の音がした。

 振り向けば深い青の髪をそよがせ、優雅な立ち振る舞いでこちらに手を伸ばす美形の男性。


 くっ!展開が早い!ついていけない!

 確かこの方は最近よく学園で話しかけてくださる……


「失礼、実は私、隣国の第一王子ジブリール・ド・アインスと申します。ジュスティーヌ嬢、婚約を破棄されたとのこと。よろしければ美しい海が輝く我が国で私と結婚――」

「うちのお嬢さん泳げないんでそちらの国は多分無理かと……」

「国際問題ィー!」


 自分を差しおいて勝手に会談を始めようとする従者を凄い勢いで引っ張り戻し、

「体調が悪くなりましたので失礼!」

 と明らかに怪しい挨拶をして舞踏会場を早足で去る。

 とりあえず一時撤退だ、この舞台の上は心臓に悪い!


 その時後ろからぽつりと聞こえた、元婚約者の声。


「ジュスティーヌ、君は一人でも大丈夫だろう。でも彼女のようにか弱い子は僕が守ってあげなければいけないんだ」


 今までとトーンの違うその言葉に、さすがに一瞬心臓を刺されたような衝撃を受けたが――微かに奥歯を噛んで去る。


 その時、振り向かなかったこと。

 その時、あの小動物系少女が恐ろしい表情で睨んでいたこと。

 ――それらに気が付なかったのが落ち度だったなんて、予想できるものか。




 *




「ああ、もう忙しいったら……!」


 うなりながら、とりもなおさず自宅に戻り、両親に報告、周囲に根回し、調査指示と対策案の検討、実行。


 その他一旦できることをすべて行い……

 (――『一人で大丈夫な女』ね……)

 そう思ってがっくりと肩を落とす。


 こんな時にもその場で泣き崩れたり、誰かの胸にすがったりできない自分への呆れだ。

 確かにこれは守りがいのない女だろう。


『君は一人でも大丈夫だろう。でも彼女のようにか弱い子は僕が守ってあげなければいけないんだ』


 去り際に呟かれたその言葉は、あまりにも聞き慣れた言葉だった。


 よく知っている言葉だ。

 両親が自分の表彰式より弟の発表会を選んだ時も、

 自分だけ友人グループと違う班にされた時も、

 他の生徒会役員達が遊びに出て一人で仕事をした時も。

 何度その台詞を聞いたことか。


 (――それでも、やっぱり。)


 毎回同じ刃だろうと……心を刺されればそれは痛む。

 比較されるなら尚更だ。

 じわっと滲みかけた視界を、一旦瞼をきつく瞑ることで振り払う。


「…………はーー」

 王子の後ろのあの子の、何とまあ小動物的でか弱そうだったこと。

「守ってあげなければ、か……」


 ふとこぼれた声は、先程から主人と同様、何かの工作に動き回っていた従者に聞こえたようだった。

 ロトは顔を上げ、顎に手をやりながら答える。


「まあ確かに『守ってあげたい妹タイプ』は永遠に人気ありますけど……俺が好きなのは少し違いますね」

「いやあんたの性癖の話はしてないわよ……好みとか別に聞きたくないからね」

「俺は昔から身分差モノが好きでして」

「いいって言ってんのに!」

「ほらあの、身分差モノ……令嬢と従者の恋愛みたいなのをよく見たり……するんですけど」


 ちらっちらっ、と何故かこちらを窺いながら性癖の話を続ける従者。

 意図が掴めず、適当に返事をする。


「へえ、意外と乙女みたいな趣味してるのね」

「今気に入ってるやつは見た目がお嬢さんに似ていまして……」

「あら、金髪縦ロールの作品もあるのね。男の人って大体あの子みたいな黒髪ストレートが好きなのかと思ってたわ」


「……俺は割とああいうロリ系よりはお嬢さんみたいなキツめの美人が好きでして」

「ああ、あんた好きそうね。近所のお姉さんへの初恋を引きずってそう」

「……っはあー……気づかねえーー」


 突然マイブームの話を始めたと思ったら深いため息をついたロトに首を傾げつつ、話を戻す。


「……それにしてもあんた、落ち着いてるわね」


 この男とは大体いつも一緒にいるが、さすがに女子の体育やトイレの中まではついてこない。

 少しは主人を疑ったりはしないのかと言外に聞いたつもりだったが、


「ま、いつかこの状況が来るとは『知って』ましたからねえ」

 軽く流された。


「ああ、『いつものやつ』ね」

「おやおや、素っ気ないですねえお嬢さん。ちょっと前まで俺がこう言うと、『なんでー?ロトは預言者さんなのー?』って喜んでくれたのに」

「あんたのちょっと前は何年前の話なのよ……」


 いやあ歳を取ると時が経つのも早くって、と言いながら、優しい――けれど、ピントが微妙に合ってない目線をこちらに向ける。

 それはジュスティーヌを透過して、どこか遠く、想い出の中にしかない風景を見るような視線。


 10年以上の付き合いだが、たまにロトはこういう目をする。

 (――本当に私の何かを『知って』いるような目)

 片眼鏡の奥の右目にだけは、この現実と違う何かが見えてるのかもしれなかった。


 そんな中、ロトが突然ピッと手袋の人差し指を立てた。


「さて、お嬢さん。このロトから預言をさせていただきますと、そろそろ『やって来ます』」

「は?」


 ロトの言葉通り、廊下から騒がしい足音と叫び声がして――

「ロト様ぁー!」

 バン!と、扉が開かれた。



 *



 そこにいたのは、何を隠そうあのヒナ嬢だった。

 突然の訪問に目をしばたかせているうちに、後ろからゼイゼイと王太子も追いついてくる。

 観客はいないが、また役者がそろってしまった。第二幕の開演だ。


「あの、殿下にヒナ嬢?一体なに――」

「ロト様!すーっごくお待たせしてごめんなさい!やっとロト様ルートに入れます!」


「る、ルートとは何だ、ヒナ?」

 王子の言葉を無視して、ヒナ嬢は流れるように言葉を続ける。


「もーう、長かった!ロト様ったら全員攻略後にしか入れない隠しルートなんですもん!さあ!さっきのイベント、ちょっと内容は違ったけど、ジュスティーヌ様が修道院へ送られることは決まりましたよね!じゃあロト様は自由の身になったところですね!」


「えっ私修道院に行くの?!」


「わー!やっぱりロト様かっこいいー!全然王子より身長たかーい!ね、ロト様、ロト様はもうヒナのものですよね?」


「なっ何を言っているのだヒナ、君は王家の嫁に……!?」


 さっぱり話についていけないジュスティーヌと王子を差し置いて、ロトだけが自分にまとわりつくヒナに笑顔を向けていた。


 (……うわ、あの笑ってない笑顔)


 幼いころから接しているのでジュスティーヌには分かるが……ロトの機嫌が悪い。

 しかし表面上だけは穏やかにロトは返していた。


「いいえ、ヒナ=スズキ様。『私』はジュスティーヌ様の付き人ですから。あなたのものではありませんよ」

「えっじゃあまだ解放されてないんですね、可哀想……!ヒナが言ってあげますから、少し待っていてくださいね!」


 トットッ、と可愛らしい足音を立てながら妖精のような少女がこちらへやってくる。

 可憐な見た目に反して先ほどから訳の分からない発言ばかりだ。油断しないよう身構え――


「ジュスティーヌ様!ロト様をあたしに返してください!」


「は……?」

 ――やっぱり訳が分からなかった。


「ええと、ロトって……?」

「俺の名前ですお嬢さん」

「ああ、そうね。良い名前じゃない、どなたが決めたのかしら」

「あなたがつけてくれたんですよ」


 などといつもの茶番をしていたら、黒髪の少女が痺れを切らしたように再度声を上げる


「あの!あたし、前世から一番魂が繋がっているのはロト様だけだと思うんです!」

「前世……」「魂……」

 ピンと来てない主従二人に、さらに彼女は言葉を重ねる。


「皆さんには分からないと思うんですけど、あたし実は『ゲーム』っていうのをしていた前世の記憶があるんです。そこで本当に愛していたのはロト様だけでした!」

「あ、愛……ヒナ!?」

 殿下完全無視。


「あたしロト様がいないと何もできないんです。食べることも眠ることも一人では寂しくて悲しくて……王子とかほかの男の人で代われないかと思ってもダメでした切ないんです前世からずっとロト様の記憶がぬくもりが恋しくてとても苦しくて息もできないくらいであたし」


「だ、大丈夫だヒナ、息はしている!」

「喋ってるものね」

「長台詞の息継ぎがお上手ですねえ」

「なので今すぐあたしにロト様を返してください!」

「めげない……!」

 あまりのめげなさに驚いて口から出てしまった。すごい。心が強い。


「ま、まあ、そう言ってもロトは元々うちの備品だし、移管するなら台帳も直さないとって執事のセバスも言ってたし……」

「いやお嬢さん普通に俺が必要だからとか言ってくださいよ。ていうか備品だったんですか俺」

「多分10万円以上だから消耗品ではないわねえ……」

「あと待ってくださいツッコミきれてないんですけどなんで俺の異動の話を上司としてるんですか!やめてくださいよ現場の人事異動にしゃしゃり出てくるのは」


「とにかく!前世からの魂があたし達を呼び合っている限りロト様もあたしが好きなはずなんです!返して!!」

 うっかり脱線しがちなジュスティーヌ達の間に(物理的にも身体ごと)ヒナ嬢は無理やり入り込んできた。


 王太子はいいのか……という空気が主従の間で漂ったが、この状態の相手に対してそれを口にするほど愚かではない。

 というのも目の前の彼女は、話してるうちに段々と興奮したのか、もはや目は血走り、呼吸音もひゅーひゅーとおかしく、何より瞳孔が完全に開いてしまっていた。


 やばい。次はナイフが出てもおかしくない。穏便に帰そう。

 そう考え、まずはあたたかなお茶を勧めて気持ちを宥めつつ、寄り添いの台詞を紡ぐ。


「ま、まあまあ座ってお茶飲んで……そうね、前世からの恋人と巡り会えたってことよね、ロマンチックだわ!あの、話を整理すると、あなたは今世でもロトと恋人になる為に王太子と仲良くなって修道院に、ええと……?」


「ロト様は借金を盾にこの家でこき使われていたんですけど、王子がジュスティーヌ様を修道院に送ったことでやっと自由の身になるんです!それで、実は前から愛しあっていたあたしとやっと恋人同士になれて……」


「そうなの、私がいなくなれば二人は恋人同士になるのね、素敵な物語だわ!なるほど、その『ゲーム』ではロトは前からヒナ様が好きで……」


「現実の俺はお嬢さんが好きですね」


「そう、現実のロトは私が――ってええ!?!」


 バッ!と縦ロールもほどける勢いで振り向けば、突然会話に入ってきたロトはいつもの読めない笑顔だった。


 空気とか!読んで!

 あっそうだ空気は読むものじゃなくて吸うものですよってこいつ前に言ってた!


「あああんた突然何言って」


「いやもうこの際だからはっきり言ったほうがいいのかと」


「や、やっぱりもうロト様はジュスティーヌ様に洗脳されて――!」


 カチカチカチ、と歯を鳴らしながら――ゆらりと目の前で黒髪を揺らし、ヒナ嬢が立ち上がる。


 ちなみに王太子は向こうで遠い目をして窓の外の緑を眺めている。現実逃避が早すぎる!



 (やばいやばいやばい洗脳とかいうよくわからない単語がまた出てきたわよ!?)


 とりあえずジュスティーヌも立ち上がったその時――


「失礼!我こそは隣国の第一王子ジブリール・ド・アイン…………」


「ジュスティーヌ、あんたさえいなくなればあああ!!」


「うおわあっ!?」


 また突然ドアが開いてやたらキラキラしたイケメンが入ってくるのと、

 ヒナ嬢がレターナイフを構えて突っ込んでくるのと、

 ジュスティーヌが咄嗟に相手のナイフを蹴り落とすのが同時に行われ――


 一瞬にして全てが始まって終わった。



 (ひ、ひい、危なかった……街以外でも護身術が役に立つことがあるのね……)


 冷や汗を隠しつつ肩で息をするジュスティーヌを、ヒナ嬢が驚愕の目で見る。


「え……ジュスティーヌの体術戦闘ステータスは……そんな……」

「す、すてーたす……?」

「な、ナイフを徒手空拳で叩き落としただと……?」


 またよく分からない単語を呟くヒナ嬢、

 構えたまま単語を繰り返すしかできない自分、

 部屋の入り口で立ち尽くす隣国の偉い人、

 (あと窓の外を見て「空がきれいだ……」と呟くうちの国の偉い人)


 という状況で――初めに動いたのは我が家の従者だった。


「ふ……うちのお嬢さんを舐めないでくださいよ?」


 一応この数秒できちんと主人を守る位置に移動してはいるが、結局何もせず立っていたくせにめちゃくちゃドヤ顔である。

 いや実際にやったの私だし。


「何であんたがドヤ顔なのよ」

 いえお嬢さんに喧嘩体術を仕込んだのは俺なんで、と穏やかな口調で笑って…………あまりにも軽く、ロトは長い脚で椅子を蹴り上げた。


 ガンッ!と。


 従者が控える為のただの丸椅子とはいえ、かなりの重さも細工もあるそれが、激しい音を立てて床に転がる。


 ヒッ、と少女が怯えた声をあげ、王子は尻餅をつき、ついでに扉の前で隣国の貴人も細長く縮み上がっていた。


 わかる、わかるわよその気持ち……怖いわよね、190cmが突然笑顔のまま椅子を蹴り上げたら。

 さらにその長身は、まったくその笑顔を変えないまま、別人のような口調で言葉を続けるのだ。


「さって……うっせえブタどもがピィピィと。仮にもお貴族様なら人間の言葉を喋れや、ガッコで習ってねえのか、あァ?」


「えっ……え、なん、ロトさ……ま?そのイベントは、あたしを不良から助ける時の……」


「はぁ?俺が聞きたいのはうちのお嬢さんにドスむけるなりのスジがテメェらにあんのかってことだけなんだわ。オイ王子、テメェが持ち込んだもんなんだからテメェが面倒見ろ。翻訳しろ翻訳」


 が、ガラ悪ぅ……。


 このモードの時のロトは、数度見たことがある自分でもドン引きするので初見の人間には酷だろう。

 その証拠に、標的の王子やヒナのみならず、アインス殿下も部屋の隅で完全に壁と一体化していた。国際問題にならないように後で根回ししなければ、と頭の隅にメモする。


 しかし王子はともかく、仮にも同い年の少女にあの状態のロトの相手をさせるのはよろしくない。

 ふぅ、と嘆息し、従者の名を呼ぶ。


「ロト」

「あ、はーい?何ですかお嬢さん」


 さっきまで暴力的にギラついていた瞳は、ジュスティーヌを振り向いた瞬間にいつもの笑顔になった。

 ひょいっと近づいてきていつもの位置――ジュスティーヌの背後に控える。


「ロト、ステイ」

「ステイですかー」


 にこにこと懐いた犬のような笑顔が返ってきた。

 相変わらずの豹変だ。敵にまわしたくはないわねえ、と考えながらジュスティーヌは目前の少女を見やる。


 そこには、涙目になりながらもぷるぷると、健気で愛らしい上目遣いを向けるヒナ嬢。


 同性ながらも魅了され、一瞬抱きしめてあげたくなってしまったジュスティーヌに比べ――ロトは彼女を平然と見下ろしていた。


「ろ、ロトさま……あたしのこと、信じてくれないの……?」

「信じるといいますか――俺は割と一途な男なんで、浮気性の女性はちょっと。」

「う、浮気なんて……!!」


 ひどい!と叫んでヒナの情緒がまた怪しくなってくる。

 (うーん……)

 言うまいか悩んでいたのだが、自分から部屋に飛び込んできたのだ。

 これは仕方ない。


「ヒナ嬢、あのね、ちょうど今頃、あなたが生徒会役員の男子生徒全員と『親密な』関係になっていたという話が陛下のところへ届いた頃だわ」

「はっ……!?」


「あと彼ら、『ヒナと真に愛しあっているのはオレだけだ!』と主張して殿下の居室へ殺到しているそうです」

「なっ……!?」


 そう言われ、チッ!と舌打ちする少女と、一瞬にして顔色を白くする王子。

 その反応の差は、あまりにも育ちの差が表れていた。


「う、嘘だろう!?ヒナ!そんな……」

「当たり前ですぅ!そんなわけないのに、王子あたしのこと信じてくれないんですか……?」

 愛らしい声の直後、バレたか、とヒナが呟いた小さな声は聞かなかったことにする。


 そんなところを追求したって仕方ない。どちらにしろ彼女にも殿下にももう逃げ場はないのだ。

 このジュスティーヌ・バリィと、その従者ロトが組んでいるのだから。


 そんな従者にちらと目配せしてアイコンタクトをとる。


 (もう一個いっちゃう?)(いきましょう。)


 言葉もなくうなずきあい、ジュスティーヌは一歩進み出て、ロトはその身長でアインス殿下からこちらの姿を隠す。


 ここからは隣国へは聞かせられないのだ。

 扇で口元を隠しながら近づいてきたジュスティーヌに、すでに蒼白だった王子の顔色がさらに悪くなる。


 それに構わず、彼の――清廉潔白な政治家の、跡継ぎ候補にだけ届くよう囁きを落とす。


「というわけで殿下、悪いお友達とやっていた例の薬のこともついでに報告…………」

「――っ!」


 すごい勢いで立ち上がり、掴みかかろうとする王子をロトが片手で止める。


「と、と、というわけって、ついでにって、きさまっ……」

「はいはい、王子様、うちのお嬢さんに指一本でも触れたら触れた先から切り落としますよ」

「まあ、落ち着きなさって。まだ報告『した』とは言っていませんわよ」


 扇を閉じ、子供のころから訓練された、貴婦人然とした微笑みを浮かべる。


「――楽しい交渉のお時間ですわ、元婚約者殿?」


 *



 ――とまあ、相手の大きな弱みと引き換えに、ジュスティーヌ=マリーア=バリィは今後何かあった際の後ろ盾を得た。

 いやあ、学生時代の過ちって恐ろしいわあ。


 あと例の隣国の皇太子殿下は何をしに来たのかと思ったらジュスティーヌに求婚して帰っていった。

 国際問題にならない程度にお断りしたけど。また来そうだけど。


 権力、財力、コネクション。


「……これでますます一人で何でもできるようになってしまったわ……」


 思わず出た独り言は、思った以上に疲れた声をしていて、とても人に聞かせられそうになかった。

 まあいいか。全員がドタバタと出て行った後、もうこの部屋にはロトしかいないのだ。


 何か飲もうと声をかけようとしたら、すでに出来上がった温かい紅茶が差し出された。

 さすがの従者ぶりに黙ってティーカップをつまむ。


 うん、今日もおいしい。


「……お嬢さん」

「何?ロト」


 お菓子でも食べようかしらと考えながら、うわの空で返事をする。


 (明日からどうしましょう。とりあえず生徒会がクラッシュしたわけで、しばらくは自分一人とロトで回せるか――)


「お嬢さんはまあ大抵一人でなんでもできますね」

「ああ、そうでしょうね……」

 なんだその話か、と言われ慣れた台詞にうんざりしつつ隣を見る。


 しかし意外にも真剣な瞳で、物心ついた時から一緒にいる従者はこちらを見ていた。

 少しどきっとして、距離を取ろうとしたのに――優しく腕を掴まれる。


 な、なに?


「そして、俺もスラム育ちなんで大体なんでもできます。つまり、なんでもできる人間が二人。」


 言いながらジュスティーヌと自分を指差す、ロトの長い指。

 普段より距離が近いので更に見上げる形になる。


「どっちかが何もできないより、何でもできる二人の方がいいに決まってるでしょう。」


 …………なるほど。


「……慰めてくれてるの?」

「まあ、備品なりに置いておいてもらいたい場所というのがあるんで」


「ばかね、備品なんて冗談よ。私にはずーっとロトが必要なんだから」

 苦笑してそう言えば、ロトは突然顔をおさえて天を仰いだ。


 とうとい……と、小さな声が聞こえるが、よく分からないので放っておく。


 うちの従者も、こういう訳のわからないところがなければ普通の女の子にもモテるんだろうに……


 ずずっとお茶を飲んでいたら、復活したロトがお菓子を用意してくれた。

 なぜか耳たぶが赤いが、よくこうなっているので体質なのだろう。


 周りに誰もいないことを確認してから、ロトを座らせて一緒にお茶を飲むことにする。

 本来使用人とするべきことではないだろうが、物心ついた時にはもうそこにいたのだ。


 どうやら記憶のない幼い頃から、ロトに一緒にお茶をしてとねだっていたらしい。

 従者はもう慣れたものでいそいそと自分のカップを取り出して主人の向かいに座った。


「――しかし『一人で何でもできる』は言い過ぎですよね。朝のお嬢さんは人間というかとろけるスライムですのに」

「そんなこと言ったらあんただって0時すぎたらおねむの3歳児になるじゃないの!」


「人間は夜眠るようになってるんですーお嬢さん夜更かししすぎなんですよ。子守唄うたう身にもなってください」

「う、うるさいわね!ロトの声が一番眠れるんだから仕方ないじゃない!」

「それは大変光栄ですけどこのままじゃお嬢さん結婚できませんよ」


「いいのよ!私は朝と夜以外は大体『一人で何でもできる』んだから!」


 そう言って、目が合って。

 どちらともなくつい吹き出した。


 そうだ。

 (どっちかがいないとダメとか、守らなきゃとかでなく……対等に、私たちはやっていく。)


 一人で生きていける同士が、わざわざ一緒に生きていく――その意味を、噛みしめながら。




 おわり。


↓長すぎるのでカットしたんですが、気に入っているシーンなのでここで供養。


「えっ私修道院に行くの?……うわ、確かに婚約破棄ならありそうね」

「いや大丈夫ですけど、まあその場合俺も修道院に行けませんかね。女装とかして」

「2m近い身長のシスターがどこにいんのよ」

「ボディガードとか」

「え、何すごい修道院に執着するじゃない……シスター萌えなの……?」

「この会話でその前に執着しているものがありそうだと思うんですが、さすがお嬢さん全然気が付いてくれませんね」

「?」

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