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ラピスラズリのかけら  作者: いうら ゆう
第5章 継がれた名
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第97話 夕星の灯し風【4】

 シュザネの馴染みの店に着いた途端、店主のボッチェが「やっぱり来たか」といかつい丸顔を歪ませ豪快に笑った。

「こんばんは。ボッチェさん」

「おう、テト。こんばんは。こっちも場所がなくってな。この辺でもいいか?」

 二つ向こうの店で宵の歌姫の宴が開かれるため、中に入れなかった客がこの店にも流れてきているらしい。テトとシェラートも会場の店先まで人が溢れているのを見て早々に諦めた口だった。

 中年の店主は括り付けの棚上に並んでいた杯を太い腕で雑に押しやり場を空け、通りがかった店員に奥から椅子を三脚持ってくるよう言いつける。

「残念だったなぁ。フィシュアを見にきたんだろ?」

「あぁ。相変わらずすごいな」

「ここらの奴らは、フィシュアがイリアナさんに付いてまわってた時から知ってるからな。歌が聞きたいのはもちろんだが、元気にしてるかも確認したいんだよ。あとは、それに乗じて騒ぎたいってとこだな」

「イリアナさん?」

 ボッチェの昔の船乗り仲間だったという店員たちが、横を通る抜けるたびテトの髪をからかいながら、かき混ぜていく。交互にやってくる腕を手で追い払いながら、テトは聞いた。

「前の宵の歌姫だよ。フィシュアの師匠だ。早くに死んじまったけどな。あの人の歌も本当に綺麗だった。聞き惚れるって、ああいうのをいうんだろうなぁ。圧倒的だった。吟遊詩人の恋人ができてからがまたすごくって。そいつの五弦の楽器(ヒュンテ)とあわさるとまたぱっと世界が変わってな、格別華やかだったんだ。あれは聞いたもんじゃなきゃわからん」

 昔を懐かしむボッチェの語りに、先代の歌姫を知っている年嵩の者たちが同調する。おっさんらはいつもこうだ、と二十前後の若者らが揶揄まじりにカラカラと笑った。

 黙り込んでいるテトとシェラートに、ボッチェは「おっと」と焦って手を振り否定する。三ヶ月前にフィシュアが連れ帰ったことで噂がたった目の前の二人は、彼女と親しい間柄だとシュザネから紹介されていた。

「違うぞ。性質が別ってだけだ。聞き手を楽しませるって点じゃ、むしろフィシュアのほうが上手うわてだよ。帰ってくるたび益々すごくなっていくしな。じゃなきゃ昔からの付き合いとはいえ、こんなに集まらんさ。今ここに来ているのは間違いなくフィシュアの歌を目当てにしている奴らだ」

「別に責めてない」

「うん。フィシュアもすごい人だったって言ってたなぁって。ね、シェラート」

「へぇ、そんなこと言ってたか。確かにイリアナさんが褒められると、フィシュアが一番誇らしげにしてたもんなぁ」

 ボッチェがしみじみと頷き、シュザネが「よく後ろにくっついてまわっておりましたからな」と酒杯を傾ける。見咎めたシェラートは顔を険しくした。

「おい、シュザネ。人が多いんだから、今日くらい大人してくれ。飲むならせめて何か腹に入れてからにしろ」

 すぐ近くの席ですでにできあがっていた客らに酒をわけてもらい、意気揚々と三杯目の酒杯を干したシュザネの首根っこをシェラートは引き捕まえる。

 ボッチェは苦笑いした。

「フィシュアの知り合いってより、今じゃ完全にシュザネさんのお目付役だなぁ」

「シュザネさん、酔っちゃうとどこかに行っちゃうから大変なんだよ。この間もごはん食べた後いなくて、僕たちが見つけた時、道の真ん中に寝転がっていたし」

 びっくりした、と訴えるテトに、長い付き合いな分、酔った賢者の奇行に思い当たる節がある店主も神妙な顔になった。

 シェラートは溜息をつく。

「……座れ。サジアル湖について知っていることがある。教えてやるから」

「なんですと!」

 シュザネは飛びあがって運ばれてきたばかりの椅子に着席する。さぁ準備は万端ですぞ、とばかりに、いつの間に筆記具まで用意した賢者の隣に、シェラートはテトを座らせた。

「サジアル湖って?」と尋ねてきたテトに、シェラートは声を落とし「魔人ジンが作った湖だ」と答えた。

「というか、原因はヴィエッダだ」

「あぁ、ヴィエッダさん」

 すごいね、と小声で返すテトの視界を遮るように、料理が数種盛られた大皿が運ばれてくる。

「悪いが今夜は全員同じ献立だ。テトとシェラートの飲みもんはいつものでいいのか?」

 二人が揃って頷くと、ボッチェは厨房に向かって合図した。

「まぁ、ここからも少しは聞こえるはずだから、楽しんでいきな」

「聞こえるの? こんなに賑やかなのに?」

「おもしろいくらい、ぴたりと止むぞ。特にはじめはな」

 今にわかるさ、とボッチェは分厚い掌でテトの頭をかき混ぜ、飲み物を運んできた店員に立ち代わり、厨房の奥へ入っていく。

 やがて静寂が店の外から潮騒のように満ちてきた。

 唯一、シュザネの手元で勢いよく響く筆記音を隣の客が聞き咎め、無言でガラスペンを取りあげる。

 二つ向こうの店から届いてきたはじまりを告げる歌に、皆が一心に耳を凝らした。



 店からやっとの思いで引き摺り出した途端「うひょひょひょひょ」と夜道へ躍り出た北西の賢者を、シェラートはやっぱりこうなったかと諦念をもって捕獲した。

 歌のみを目的としていた者たちは宴の終了と共にとっくに家路についていた。すっかりはけてしまったのか、道には人気がない。ただ残った客らの喧騒が店内の灯りと共に漏れ出し、夜更けの路地は存外明るかった。

 シュザネの襟首を掴んだ勢いで、肩車していたテトががくりと揺れる。

 大丈夫か、と慌てて背を支えれば、答えは返ってきたもののひどく眠たいらしい。船を漕ぎだしたテトの身体が不安定に傾いだ。

 力が緩んだ隙に逃げ出したシュザネの行方を目の端で追いながら、もう寝てしまえ、と手を添えテトの頭を自分の頭頂部に押し付けた。

「おや」

 知った声につられシェラートが面をあげると、連なる店の間の影から姿を現したのはロシュだった。

「奇遇ですね。酔っぱらいを連れているところまで同じとは」

「できれば同じじゃない方がよかったけどな」

 ロシュが抱き運んでいる人物に、シェラートは目を落とした。

 外套にすっぽりと包まれたフィシュアは、硬く目を閉じたままむず痒そうにロシュの肩口に頭を打ち付けている。ロシュは動じずに、フィシュアの頭からずれた外套の覆いを指先で整えた。足先で外套からこぼれたの舞台衣装が夜風に揺れる。

 珍しいなと思った。旅をしている間に幾度か宴には行きあったが、客たちに応えてまわりながら、フィシュアはどの席でもすいすいと酒を飲んでいた。

 相当に強いのだろう。普段もその土地の地酒を強い弱いに関わらず飲んでいたし、こうも酔い潰れた姿は見たことがない。

「そういえばシュザネ様の行きつけの店が、この近くでしたね」

「もう何度も連れて来られて、その度にこれだ……」

 シェラートは愚痴混じりに指を動かした。

 ふぉっふぉー、と高らかな声をあげ、他人よその家壁にはりつこうとしていたシュザネを魔法で足元に引き戻す。

「今回は断ろうと思ったんだが、フィシュアがこの近くで歌ってただろう? テトが会いたがっていたからな」

「いらっしゃっていたのですか?」

 姿は見なかったように思うのですが、と首を捻ったロシュに、シェラートは「いや」とかぶりを振った。

「人が多すぎて入れなかったから、結局シュザネのとこの酒場で聞いていた」

「そうでしたか。しかしそれならテト殿は残念がっていたでしょう」

「まぁな」

 あとちょっと起きていられれば会えたな、とシェラートは頭にしがみつくテトの手をぽんぽんと叩いた。

「フィシュア様も……」

 言いかけたロシュは、夢の中にいるフィシュアとテトを見比べ、ふと夜の路地に笑いをこぼす。

 怪訝に思ったシェラートの前で、ロシュが急にフィシュアを横に抱え直した。

「では、明日の予定を繰りあげましょう。私はこれからまだ用事がありますし、そろそろ家に帰らないと息子に顔を忘れられかねません」

「お前、息子がいたのか」

「いますよ。二歳……いや、今回の旅の間に三歳になったはずですね。そんなに驚くことですか?」

「驚いたというより、意外だった。ロシュもほぼ年中一緒に出歩いているだろ」

 昨日のうちに皇都入りしていたものの戻らなかったとシュザネから聞いていた。フィシュアがそうなら、ロシュも帰宅していないだろう。それで今夜のこれだ。

 よかったのか、と聞けば、ロシュは「はい」と応じる。

「息子には申し訳ないですが、私たちが互いに優先すべきはフィシュア様と昔から決めているのです。この方をお一人にしたら今度こそ妻にクビにされかねません。私の先輩方は怖いんですよ」

 茶化すようなロシュの物言いに、閃くものがあった。

「——ホーリラか!」

 今度こそ驚いて、人を介し何かと世話を焼いてくれる女官の名をあげると、皆まで答えずロシュが笑みを深める。

「そういう訳ですので、フィシュア様をよろしくお願いします。ちょうどよいところでシェラート殿に行きあい助かりました」

「は?」

 勝手に礼を言いながらロシュが、眠るフィシュアを預けてくる。

「おい、ロシュ、ちょっと待て、落ちる」

 事態が把握できずにいる間に傾けられた重みをシェラートは動揺しながら受け止めた。頭にしがみついてくれていたテトはなんとか無事だったものの、意識が途切れたせいでまたシュザネを解放してしまい、シェラートは軽く呻いた。

 睨むも、ロシュは涼しげな顔をしている。

「シェラート殿なら転移できますし、皇宮に戻るのも簡単でしょう? 早く休ませてさしあげたいと考えてはいたのです。……っと、これを忘れてはいけませんね」

 ロシュは腰に佩いていた短剣を一振り外すと眠るフィシュアの手にしかと握らせる。流れるような一連の所作に、シェラートは目をみはりながら、護衛官の有無を言わせぬ笑みに結局は押し切られた。

「……重い」

「失礼な。フィシュア様は軽いですよ、充分」

「そりゃあ、ロシュにとっては軽いだろうけどな。……これユアルグか?」

 諦めてシェラートがフィシュアを抱え直すと、鮮やかな橙色の実をつける果実の香りが鼻先を掠めた。

「匂います?」

 肘を曲げたロシュが、自分の服の匂いを嗅ぐ。

「自分じゃわかりませんが……多分そうです。チルを飲んだので。明日の休暇を賭けて、飲み比べをしたんですよ。ちなみに私が十六杯、フィシュア様が十五杯で、私が勝ちましたので明日は一日休暇です」

「は!? チルをそんなに飲んだのか!?」

 思わず叫べば、テトとフィシュアが揃ってびくりと身を震わせた。

 シェラートは反射的に硬直する。

 二人を起こさなかったか確認したシェラートを目の当たりにし、ロシュが笑いを噛み殺した。

「ロシュは大丈夫なのか?」

 平原で牧畜されるパカの乳と汁気の多いユアルグを発酵させ作られるチルはほどよい酸味と甘さが売りの酒だ。まろやかで飲みやすい口あたりに反し、非常に強い酒でもある。

 勝敗がはっきりわかれることから、この国では昔から飲み比べに使うとは聞く。だが、いくら酒に強いとはいえ、普通なら飲めて三、四杯が限度だ。二人が飲んだのは異常すぎる量だった。

「私はほぼ酔わない体質なので平気です。フィシュア様はいつもより頑張っていらしたかもしれません」

「……また無茶していたのか」

「たまには無茶が必要な時もあるんですよ」

 片手に短剣を握りしめ眠るフィシュアを、ロシュが柔らかい表情で見守る。

「とにかく今夜はフィシュア様のことをよろしく頼みます」

 ただし、とロシュが言い添える。

「我が君によからぬことをした際には、いくらシェラート殿といえど容赦しませんので、そのおつもりで」

 牽制してくるロシュの表情は穏やかそのものであるものの、夜陰で翳る空色の双眸はまるで笑っていない。

「そんなに心配なら自分で運べ。大体テトもフィシュアも俺からすると、そう変わらない」

「子どもですか?」

「そういうところもあるな」

 呆れと苦笑をないまぜにして、シェラートはテトが落ちないよう気をつけながら、右腕にフィシュアを抱え直した。姿が見えなくなっていたシュザネを足元に転移させ、左手で襟首を引きあげる。

「……シェラート殿。そのフィシュア様の手ですが」

 ロシュが指差した方を追い、シェラートは視線を落とす。恐らく抱え直した時に、落ちるのを無意識に厭ったのだろう。不服そうに口を曲げ寝息を立てるフィシュアの指がいつの間にか胸元の衣服を掴んでいた。

「一度握るとなかなか離さないので頑張ってくださいね」

「は!?」

「ほら。フィシュア様は子どもなのでしょう? だから仕方ないのですよ」

 急に騙された気がして、シェラートはもう今夜は何度目になるかわからない溜息をついた。

「引き受けてやるから、ロシュもさっさと用事を済ませて帰って休め」

 どうも帰るのを見届けるまで動く気がないらしいロシュに釘を刺し、シェラートは欠けた月が照らす夜の街から眠る三人を連れて転移した。

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