第95話 夕星の灯し風【2】
「二通り?」
シェラートが聞き返すと、シュザネは「そうです」と首肯した。
「現在皇家に伝わるラピスラズリは全部で十二。フィシュア様がお持ちの首飾りもその一つです。ラピスラズリは代々皇帝と第一皇妃、そして皇子と姫のそれぞれ第五位までに継がれております。形も首飾り、腕環、剣、懐中時計と様々異なります。彼らが持つ役目がそれぞれに違うように、です」
「ラピスラズリが十二もか……」
魔力を無効にする道具でもある深い藍色の石。保持者に害が及ばない限り効力を発揮しないらしいことを今はもう理解しているが、それでも自然と気は滅入る。
シェラートの陰鬱な響きを聞き取ったのか、同じく魔力を保有する賢者のシュザネも「わかりますぞ」と苦笑いしながら相槌を打った。
「加えて皇宮にもたらされたラピスラズリが持つ威力は、他のラピスラズリとは比較にならぬと伝わっております。普通のラピスラズリでは耐えきれず砕けてしまう程に強い魔力であっても弾き返す。それが十二」
「フィシュアもそう言っていたな。全てのラピスラズリが同じように魔力を消し去るわけじゃないのか?」
「おや。フィシュア様が既に話していらっしゃいましたか」
いつのことかまるで心当たりがないらしいシュザネは、教え子の出来をほとほと感心するように頷いた。ちょうど目の前の賢者に纏わりつかれ、フィシュアの説明を遮ったシェラートは、呆れた顔になる。
そうですな、とシュザネは白髭を撫で、自身の手元に小箱を転移させた。箱の蓋をあけ、敷き詰められた色石のうちから摘みあげた濃い藍色の石をシェラートに差し出す。
「ラピスラズリか?」
「そうです。こちらは一般的なものですな。正直、儂ら当代の賢者や魔女ではダランズール皇家のラピスラズリが、どれほどのものか検討はつきませぬ。と申しますのは普通のラピスラズリであっても儂らの魔力は弾かれ無に還されてしまうため、威力の差異がはっきりとは掴めぬのです。しかしながらシェラート殿。あなたならこちらのラピラズリであれば簡単に壊せるのでは?」
「は?」
できるわけがない、と言いかけて、シェラートは自分の手の内を鑑みた。つやと滑らかな石は、深い藍色に金の星を内包する。
瞬間的に、壊せると思った。ほとんど無意識で流れ込んだ魔力が、石の奥から反応を返す。
硬直するシェラートの向かいで、石を覗き込んでいたシュザネが顔をあげた。
「待て。おかしい。だから一切近づくなと、そう、聞いた」
「ほう。それはどなたから?」
北西の賢者に問われ、シェラートは眉根を寄せた。
こういう類の知識を自分に与えた者は一人しかいない。
「……ランジュールだ」
『魔力を全部吸い取られるぞ。運が悪ければ死ぬ』
飄々《ひょうひょう》とそう言った魔神の言葉が蘇る。
砂漠でフィシュアにラピスラズリを押し付けられた際、何も起こらなかった時点で気付くべきだった。
要はまた大げさにして、からかわれていたらしい。嘘か真かすぐに判断がつかないことを言われ、翻弄されては、アジカに呆れられていたことを久方ぶりに思い出し、シェラートは内心毒づく。
「ランジュール殿というのは、三番目の姫の魔神で間違いはないですかな?」
「……そうだ」
「それで、シェラート殿になら壊せそうですかな?」
「できる、と思う。多少荒くはなるけどな」
「ふむ」
シュザネは白髭を撫で、手にしていた小箱をかき消した。
「これは儂の推論ですが、皇家のラピスラズリが他よりも強力なのは、三番目の姫の魔神——ランジュール殿の魔法が上乗せされているからではないかと思うのです」
できただろうな、とつい思い、“奴なら可能”で大概のことは納得してしまえる事実に、シェラートはげっそりした。
「そしてシェラート殿の紋様です」
シュザネは小脇に抱えていた紙を得意気に広げる。
「魔人の紋様は年々変化すると聞きますし、今はもうシェラート殿自身が持つ魔力と混ざりあっておるでしょうが、根底にある魔力は変わらぬはずです。皇家のラピスラズリもシェラート殿の魔力も元はランジュール殿がもたらしたもの。皇家のラピスラズリからランジュール殿の魔力を抽出、解析し、シェラート殿からその魔力だけを取り除くことができれば、人間に戻る道も開けるのではないかと考えておるのです。いただいた紋様は、大いなる手がかりになりますぞ!」
「そんなことができるのか?」
思いもよらなかった方法だ。目を見張ったシェラートに、シュザネはゆるりと首を振り「わかりませぬ」とあっさり返す。
「試した者も確かめる術も、はっきりとしたものは今のところありませぬゆえ。けれども、試してみる価値はあると思いませぬか、シェラート殿」
シュザネの水色の双眸が期待に爛々と輝く。
提示された可能性に、シェラートは言葉もなかった。
ただし問題も一つ、とシュザネは節くれだった指を立てる。
「それが先ほど申し上げたことですじゃ。皇家のラピスラズリには、記述が二通りございます。
まず公私を含め現存するほとんどの文書には魔神から貰い受けたラピスラズリは十二と数の記載がございます。皇家の秘匿ゆえ、仔細は公開されておりませぬが、ラピスラズリが十二ということは研究者も知り得る情報であります。
しかしながら、最初期の文書にはどれもラピスラズリの数についての言及がないのです。貰い受けた当時の公式文書も同じこと。“魔神よりラピスラズリを贈与された”旨しか記述がありませぬ」
「それのどこが問題なんだ?」
「最初期の文書ほど十二という個数に触れていない点が妙なのです。後世のものには数の記載があるのです。贈与された当時ほど明確に言及されるべきものではありませぬか?」
確かに、とシェラートはひとりごちる。指摘されてみれば不自然な気もした。
ただそれがランジュールの魔力を取り出すこととどう関係するのか、シュザネの説明の意図が見えない。
これも推論ですが、とシュザネは重々しく告げる。
「儂はランジュール殿がダランズール帝国皇家に渡したラピスラズリは本来一つだったのではないかと考えております。これは、その唯一のラピスラズリを見つけ、ランジュール殿の魔力だけを抽出することができればあるいは、という話なのです。本物がはっきりしなければ他の手立てを考えるほかありませぬ」
「唯一のラピスラズリ……」
「元々贈与されたラピスラズリをどなたか一人がそっくりそのまま保有しているか、あるいは加工し十二に分けたか、はたまた全く別ものとして存在しているのか記録がないゆえ、それすら判断がつきませぬ。儂も昔、皇家のラピスラズリを拝見したことはありますが特段変わったところは見当たりませんでした。推測通りだったとして、魔を無力化するラピスラズリの力を補強するための魔法です。儂の技量を超えるものゆえ、見分けがつかなかったと言われれば、それまでですが」
「……そんなのをどうやって見つけるんだ。奴が本気で隠したとしたら、俺にだって見分けはつかないと思うぞ。割れるか試してみるわけにもいかないだろ」
「それでもシェラート殿にも皇家のラピスラズリを可能な限り確認していただきたい。同じランジュール殿の魔力を受け継いだシェラート殿なら親和性は高いでしょう。改めて確かめてみる価値はございます」
ただしこっそりです、とシュザネはしーっと白髭に埋もれた口の前に人差し指を立てた。
「よろしいですか。ただでさえ魔人は珍しいのです。シェラート殿も無闇に興味を持たれ付き纏われるのはお嫌でしょう」
「その最たるのがお前だけどな……」
「それに儂に見分けがつかなかったものに、そうやすやすと見分けをつけられたことが公に知られますと、ちぃとばかり賢者の沽券にも触りがありますゆえ。仮に目星がついた際は、儂にこっそり教えてくださいませ」
「おい……」
生真面目な顔をしたシュザネに堂々と頼まれ、シェラートは嘆息した。
「そもそもフィシュア以外の皇族に会う機会なんて俺にはそうないんだが」
「ふむ。皇宮の外にいらっしゃる方も多いですしな。ゆえに手段としてはこちらが本命です。ランジュール殿のラピスラズリがどのようなものだったか、あたりをつけるためにも、改めて本で確認しようと思うのです」
「本か? そんなものがあるのか?」
「ええ。なにごとも原点に立ち返るのは大切ですから!」
自信満々に宣言したシュザネに急にがしりと腕を掴まれ「こちらへ!」と導かれるままシェラートは転移した。