第89話 琥珀の破片【8】
「……けど、フィシュアはよかったのか?」
「なんの話?」
シェラートから急に話を振られ、フィシュアは首を傾げた。
「さっきの……皇太子妃のことを言うなら、フィシュアも似たような立場だろう」
「あぁ……あなたを使うこと、ね」
都合の悪さから逃げるように話題を戻したシェラートに、フィシュアは苦く笑う。
確かにシェラートの指摘は正しく、フィシュアはどう答えるべきか寸の間、思案した。
「……そうね。こんなに近くにいるんだもの。またとない機会ではあるし、国の支えとなってくれるよう助力を請うことすらしないのは、五番目の姫として間違った判断だと言われるかもしれない。でも、今の五番目の姫は紛れもなく私自身で……私としては甘いとわかっていても、関わらせたくないものは関わらせたくはない。だから絶対にテトとシェラートは巻き込ませたりしない。普通に、暮らしていてほしいの。だから、安心して」
それにね、とフィシュアは口調を強めた。
「五番目の姫の立場で考えても、やっぱり魔人の力に頼らない方がいいと思う。もし手に入れることができたとして、いつまでもあるとは限らないもの。強大な力をあてにし過ぎれば、その力がなくなった時、皇宮は一気に崩れる」
力に依存することはそれだけで脅威となりうる。それは魔人に限らず他のことにも言えることだ。
「だから、シェラート。もし何かあっても自分から関わろうとすることだけはやめて」
フィシュアはシェラートに釘を刺す。シェラートは眉をひそめた。
「別に俺だって自ら面倒ごとに関わりたいわけじゃない」
「なら問題ないわね。テトを煩わせないようにするし、私ももう水初の儀の時のような頼みごとはしない」
フィシュアはにっこりと微笑んでみせる。
途端、シェラートは胡散臭そうにフィシュアを見た。
「…………いや、どうせ意味ないか。ロシュに聞く限り常に無茶してそうだったしな」
「……何を聞いたのか知らないけど、さすがに私だって、そう毎度面倒ごとは起こさないわよ?」
「まぁ、何かあったら、言え」
「だから! そうやって自分から関わらないでって、私、たった今、言ったじゃないの!?」
フィシュアは納得のいかない気持ちのまま憤然と言い返す。シェラートはうるさそうに顔を背けた。
二人と手を繋ぎ間に挟まれているテトは、言い合う二人を交互に見上げ、ひっそり溜息を落とす。それでも旅の道中に似たやりとりは、沈んでいた心を少しずつ浮きたたせたのだ。
皇宮の敷地の最北に目的の塔は建っていた。
空に伸びる砂色の塔の先端は皇宮の本宮ほど高くはないものの、顔を逸らして仰がなければ見えないほどには高い。反円球をそのまま天辺にかぶせたような円蓋だけが皇宮同様、青く彩色されていた。
慣れた仕草で塔の鉄扉を開いたフィシュアは、そこから伸びる螺旋階段に二人に先駆け足をかけた。数段先の石壁のくぼみに安置されているランプを取り、火打石で灯芯に火をつける。
入口から漏れ入る外光とは違う不確かさで、ランプの火はゆらりと石壁を照らした。光を誘い込むように暗がりの奥へ向かって螺旋を描く階段の先は見えない。
「ここにフィシュアの老師が住んでいるの?」
「そうよ。大丈夫、階段があるだけだから」
入口で恐々と内側を覗き込んでいるテトをフィシュアは手招く。意を決し階段に足をかけたテトの後ろにシェラートが続いたのを確かめて、フィシュアも歩を進めた。
同じ宮内なのかと疑いたくなる狭苦しい螺旋階段を三人は登って行く。終わりの見えない階段と両脇に迫る石壁が閉塞感をもたらす。
窓もない暗がりを照らすのは、先頭を進むフィシュアが持つランプの心もとない灯りだけだ。
息を切らしながら耐えていたものの、とうとう足が持ち上がらなくなったテトをシェラートは肩に乗せた。変わり映えのない石壁のせいで、今、塔のどの辺りまで来ているのかすら見当がつかない。
「なぁ。後どのくらい行ったら着くんだ?」
シェラートは先頭を行くフィシュアに尋ねる。フィシュア自身、相当疲れているらしく、登りはじめた頃よりも足取りに力がなく、速度も随分と落ちていた。
フィシュアは立ち止ると、ランプを持っていない手を壁に付け寄りかかる。
「さあ……。いっつも嫌気がさしてから大分経った後にようやく辿り着くのよね」
だからたぶんまだ当分先、とフィシュアは零す。
「まだあるのか」
「まだあるのよ」
二人はうんざりしつつも、少しでも早く登りきろうと再び階段に向き直った。重くなる一方の足を無理矢理進める。
「でもさぁ、フィシュア」
唯一階段地獄から逃れたテトは、それでも疲れてはいるらしく、顎先をシェラートの黒髪に埋めて言った。
「ずっと登ってるのに、一つも部屋がないなんて変なお家だね。あんなに高かったのにあるのは階段ばっかり!」
フィシュアは足を止めずに「ああ」と相槌を打った。
「この塔にある部屋は最上階にある老師の部屋一つだけなのよ。だから、部屋が見えたらこの階段も終わり」
「じゃあ、部屋って外から見えた青い屋根の部分の下にあるのか?」
「そう。ちょうどあの丸屋根の部分。そこが老師に与えられた部屋兼住居。老師の部屋から見るとあの屋根がそのままドーム型の天井になっていて、ちょっとおもしろいのよ」
フィシュアの説明を聞いた途端、シェラートは大げさな溜息をつき、階段に座り込んだ。がっくりと肩を落とす。
「それならそうと早く言えよ。場所が外から見て知れてるなら、転移した方が早いじゃないか」
「転移……!」
シェラートの言い分に、フィシュアは愕然とした。いつも自分の足で登っていたせいか、その発想はフィシュアの中にはまったく存在しなかったのだ。
「……シェラートこそ、そんな方法を思いついていたのなら早く言いなさいよね」
急に足の力が抜けた気がして、フィシュアも階段にへたり込んだ。
「もっと楽に登れていたって気づいたら、なんだか余計に疲れてきたわ。損した気分」
「それはこっちの台詞だ」
「でも、ここに住んでいるんならフィシュアの老師は、いつもこの階段を登り降りしてるんでしょう? 大変だね」
テトは両拳でとんとんとシェラートの肩を交互に叩き労いながら、感想を漏らした。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
フィシュアは首を傾げた。テトとシェラートは揃ってフィシュアの言葉の先を待つ。
「私の老師って、北西の賢者だもの。魔法を使えるから、老師がこの塔を登り降りする時はいつも転移……って、ああああああ!」
フィシュアは自分で明かした答えに絶叫した。
どうして早く思い出さなかったのか。シェラートに指摘されるまでもなく、“転移”こそ老師が普段使用している移動手段だ。
いつも必死に塔を登り降りするフィシュアを助けてくれたことこそないが、老師は楽々と移動をしていた。
よく知っていたはずだった。なぜ思いつかなかったのか、とフィシュアは呻く。
「フィシュアの老師って、北西の国の賢者だったんだ……」
テトは唖然と口を開く。
同様に初めてその事実を知ったシェラートは、フィシュアが五番目の姫と知った時程には素直に驚くことができなかった。驚きを遥かに凌駕する疲労感を、手で額を抑え耐える。
「お前は、本当に……早く言えよな……!」
ばてているのがひしひしと伝わってくるシェラートの恨み言に、フィシュアは言い返す言葉も気力も見つからず、深々と項垂れた。
こうして三人は、迷うことなく残りの行程を完全に無視し、北西の賢者の部屋へと転移することに決めたのだ。




