第78話 飾り花の香【1】
金茶の細い髪の束が一房、また一房、手にとられ、その度に小さな白い野の花が丁寧に編み込まれていく。
「すごいね、フィシュア」
様子をじっと見守っていたテトは感嘆の声をあげた。テトが新たに差し出した一輪の花をフィシュアは慣れた手つきでメイリィの髪に加える。
「意外と簡単なのよ? ゆっくりすれば、きっとテトにもできると思うわ」
一見単純そうなフィシュアの手つきとは対照的に、指先は柔らかな髪をすくごと確実に花を絡め次々と複雑な形を成していく。
一体どのようにしてメイリィの髪が編まれているのか。すぐ傍で見ていてもテトには見当がつかなかった。
「よし、できたわ」
フィシュアは満足気に告げ、メイリィを椅子から立たせた。姿見の前へ移動する。
「どう? 我ながらうまくできたと思うんだけど」
メイリィの両肩に手を添え、フィシュアは姿見越しに問い掛ける。
メイリィは鏡に映る自分を見つめ、目を瞬かせた。
結い流された金茶の髪には純白の花がそこかしこに散りばめられている。花は楚々と柔らかく色を添え、優しい顔立ちのメイリィをより明るく見せた。
メイリィは自分の髪に恐る恐る手を伸ばしかけ、けれど、花が落ちてしまっては大変だと触れるのをやめた。代わりに鏡の中の自分に手を伸ばす。
「すっごく綺麗だよ、メイリィ。本当のお姫様みたい!」
テトの感想を受け、メイリィは嬉しそうに頬に朱を散らす。くすぐったそうにメイリィが首をすくめると、流れる髪が肩にすれ、花がそよ風に吹かれたように揺れた。
「よかったね。そのドレス、着ることができて。着てみたかったって言っていたもんね」
とっても似合ってる、とテトは心から言った。メイリィはこくりと頷く。
メイリィが身に纏っているのは花と同じ純白の衣。かつて彼女の花嫁衣装となるはずだったそのドレスはただのドレスになった。
水端の巫女のために施された刺繍も、薄布の内でふわふわと優麗に踊り、今はメイリィ自身に華やぎを添えるに留まっている。
「メイリィ。お誕生日おめでとう」
『ありがとう』
声なき声でメイリィは礼を言うと、テトの手を両手でぎゅっと握った。
仲よく笑いあっている二人を微笑ましく思いながら、フィシュアは「仕上げ」と言ってメイリィの金茶の髪に髪飾りを挿した。
「まさかメイリィの誕生日が今日だなんて知らなかったから、私のおさがりで悪いんだけどね」
申し訳なさそうに目線の高さを合わせながら言ったフィシュアに、メイリィはブンブンと首を横に振った。
もう一度鏡を覗き込み、ちょうど右耳の上の辺りに添えられた髪飾りを確かめ、メイリィははにかむ。
繊細な銀細工の蔦葉の先に花ひらく空色と紺碧の宝石は、彼女の空色の瞳とよく相まっていた。
「これなら花が枯れても手元に残るでしょう? 気に入ってくれた?」
フィシュアの問いに、メイリィは大きく頷く。そのままメイリィが視線を動かすと、テトは同意するよう頷き返した。
「じゃあ、僕は先に降りて、みんなにメイリィの準備ができたって知らせてくるね」
「ええ。よろしくね、テト」
急いで扉へ向かったテトの背中にフィシュアは声をかける。
テトを見送った後、フィシュアは膝をつき、改めてメイリィに向き直った。
「本当に十一歳のお誕生日おめでとう、メイリィ」
水初の儀の翌日。三人が皇都に旅立つこの日は、メイリィが生まれた日でもあった。
宵の歌姫一行の旅立ち、そして無事に目を覚ました水端の巫女の生誕日とあって、この小さな村では昨日からの宴の興奮が今日も冷めることなく続いている。
重なった祝い事に、村総出の祭のような騒ぎが朝からそこかしこで起こっていた。
だからこそ三人も少しだけ出発の時間を遅らせ、この小さな巫女の誕生日を一緒に祝うことにしたのだ。
メイリィの新たな日々を祝福するように、外では恵みの雨が降り続いている。
『ありがとう』
口を動かしたメイリィに、フィシュアは微笑む。
「メイリィ。あなたは水端の巫女から外れたわけじゃないから、完全に自由になれたわけではないけれど。……でもね、きっと、何もできないってわけじゃないわ。私もね、自分の役目の中からやりたいことを見出せるようになったのよ。そうしたら開けた道もたくさんあった。だから……頑張っているメイリィにこんなこと言うのもおかしいかな、と思うんだけど。これからも、もっと頑張ってね。今度は役目のためだけではなくて、メイリィ自身のためにも」
メイリィはフィシュアを見上げ、しっかりと頷く。
「あなたに幸福と手に入れ得る限りの自由を」
フィシュアはメイリィの額に祝福を落とす。
目をつむってそれを受け止めたメイリィは、そろりと目を開ける。照れたように微笑してから、メイリィは自分の顔を指差した。
「何? メイリィもしてくれるの?」
フィシュアが問うと、メイリィは『当たり』と首肯する。
「なんだか巫女様の祝福ってすごく効果がありそうね」
くすくすと笑うフィシュアの頬へ、メイリィはそっと口付け祝福を返す。
そして、二人は互いを見合わせて笑った。
「それじゃあ機会があれば、また」
宴の中心から離れた場所。別れの言葉を告げたフィシュアと、並び立つ二人に、ディクレットは深々と頭を下げた。
雨避けの天幕が至るところに張られた宴の会場は目にも賑やかだ。
主役であるメイリィは村人たちに囲まれて、絶えず朗らかな表情をまわりに振りまいている。
村に留まることを許された水端の巫女は、恐らくこれから先もずっと同じようにこの小さな村の中で過ごして行くだろう。
それが彼女にとって一番の幸せになりうるかどうか、今はまだ判断することはできない。
しかし、この先、誰かの意志によって彼女が不幸になることだけは決してないだろう、と。
もしそのようなことが再び起ころうとしたとして、彼女が災厄に見舞われぬよう守ってくれる人がいるだろう、と。
穏やかな目でメイリィを見守る無愛想な黒衣の神官を見ながら、フィシュアは確信もする。
「テトは、いいの?」
ディクレットと同じくらい、とても眩しそうにメイリィのことを見つめているテトにフィシュアは問いかける。
「うん。いい」
どこか安堵したようにテトは言った。
「メイリィとは、さっきちゃんと話してきたから」
ふと顔をあげ、こちらの視線に気付いたらしいメイリィがにこりと目を細めた。
メイリィの表情には一抹の寂しさが覗くものの、それは彼女の笑顔を翳らせるほどのものではない。
テトは笑みを浮かべ、メイリィに手を振った。
村人との会話に戻ったメイリィの姿を見守りながら「ね、だから大丈夫」とテトは応じる。
フィシュアを見上げたテトもどこか寂しそうではあったものの、その表情はすっきりしてもいた。
「そっか」
フィシュアは頷き、テトの栗色の髪を撫でる。声をたてたテトはくすぐったそうにフィシュアの手を取った。
「皇都に着いたらメイリィに手紙を書きましょうか。テトはもう随分字が書けるようになったし、これからもっと上達するためのいい勉強にもなるわ。なにより、テトの手紙ならホークは喜んで届けてくれるでしょうし」
「それなら、僕からもホークに頼んでみようかな」
「ええ、メイリィ様もきっとお喜びになりますよ」
「じゃあ、もっと練習しなきゃね!」
ディクレットの相槌を受け、テトはぐっと拳を握り締めてみせる。
「けど、ほどほどにな」
この村に着いたばかりの日、テトが時間も忘れて必死に文字の書き取りをしていたことを知っているシェラートは苦笑しながらテトを肩に担ぎあげた。
「会いたくなったら言えばいい。転移したらすぐだからな。そっちの方が早い」
「ああ。それもそうね」
フィシュアは同意する。そうしたら『明日も明後日もずっとテトと遊びたい』と言った水端の巫女の願いを叶えるのは不可能ではないのかもしれない、とフィシュアは密かに思う。
テトは迷うように「うーん」と唸った。
しばらくシェラートの提案を吟味していたテトの眼差しがメイリィに向かう。
それでも、とテトは口を開いた。
「手紙を書くのもやっぱり頑張ってみるね」
宣言したテトの顔は、やはりどこまでも眩しかった。