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ラピスラズリのかけら  作者: いうら ゆう
第4章 涼やかなる者
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第76話 昔日を想う【1】

 細やかな雨が降りしきる夕暮れの中にフィシュアは立っていた。

 夕といっても厚い雨雲に覆われた空は暗い。

 宴のざわめきを遥か彼方に聞きながら、フィシュアは雨を降らす曇天の空へ片手を掲げる。

「ホーク。雨の中ずっと待たせて悪かったな」

 空中で羽ばたき停滞していた茶の鳥は主人にそっと触れられ、気持ちよさそうに手の先を旋回した。

 雨を受けた彼の羽は濡れてもなおなめらかに滑る。

「明日には皇都に戻れることになった」

 ぬかるみのできた地面へとホークは舞い降りると、フィシュアを見上げ首を傾げた。

「ヴィエッダさん……今日会った魔神ジーニーに送ってもらうことになったんだ。心配しなくてもいい。害を加えられはしないだろう。その代り用意しなくてはならないものはできたが」

 ヴィエッダが挙げた品の数々を思い起こす。

 どれも高級品であるが、フィシュアにとっては決して用意できないものではない。あと二日はかかるはずだった行程を考えれば充分お釣りがくるほどだ。

「だからホークは先に帰ってロシュに伝えてくれないか?」

 ちっとも反応を返さないホークに、フィシュアは肩を落とした。

「わかった。なら、ホーリラでもいいから」

 もう一人の付き人の名を引き合いに出す。そうして今度こそ了承を示したホークに向かい、フィシュアは苦笑した。

「早く行きなさい。これ以上ここにいると羽が重くなる。雨に濡れていいことはないだろう?」

 フィシュアの言葉と同時にホークは翼を広げて天空へと舞い上がる。茶の鳥は一度上空で旋回した後、雨の降り続く夕闇の中をまっすぐ皇都の方角に向かって消えた。



「フィシュアも早く中には入れ」

 突如かけられた声にフィシュアは振り返った。

 村長の家の前。いつの間にか開かれていた玄関の縁に身を預けてシェラートが立っていた。

「いたの?」

「いた。突かれそうだから中にいたけどな」

「ああ、ホークね」

 肩を竦めてみせたシェラートに、フィシュアは苦笑する。雨が視界を遮る空の向こう、一羽の鳥は最早見える位置にはいない。

「もう用事は済んだんだろう?」

「だけど、雨に当たるのも悪くわないわ。ようやく降った恵みの雨だもの」

 例え、それがどこか皮肉を含む雨だとしても、自己満足の終わりを告げる雨だとしても、この結果は素直に喜ぶべきものだとフィシュアは思う。

「これでようやくすっきりしたか?」

「そうね、満足してる。手伝ってくれてありがとう」

「別にいいさ。フィシュアのためだけってわけじゃない」

「怒っていたくせに」

「あの時は身代りになるつもりだと思っていたからな。だとしたら怒るだろう、普通。フィシュアだったら方法が見つからなければ無理矢理身代りになって押し通そうだしな」

「——しないわよ、さすがに」

 多分、とフィシュアは心の中で付け加える。だが、片眉を上げたシェラートに見咎められたような気がして、フィシュアは大人しく村長の家の中へ入ることにした。

「テトたちは、上?」

 ゆるかな風が頬を撫でていく。同時に雨に濡れた髪や服が乾いていくのをフィシュアは感じた。

 泉から出た時と同じ陽だまりの中にいるような感覚が心地よくて目を細める。

「ああ。メイリィと遊んでる。ディクレットも宴の方に少し顔を出すって言っていたから、一緒に部屋から出てきたんだ」

 ふとシェラートの翡翠の双眸が穏やかに和らいだのを見て、フィシュアは微笑んだ。

「テトたち、そんなに楽しそうだったの?」

「ああ」

「それは、よかったわ」

 メイリィの願いを叶えることができたということよりも、今、メイリィ自身がテトと何を気にするでもなく過ごしているという事実の方がフィシュアにとっては嬉しかった。

「宴の方はどうだった?」

「なんだかもう本当にすごかったわ。あまりにも村の人たちの歓声がすごいから、ヘダールが偉大な水神かと思えたくらい」

 ヘダールは自分の役目を終えた後すぐに姿を消した。

 そのため村人たちの感謝の念を花嫁であったフィシュアは一手に引き受けることとなった。次々と声をかけられ、抜け出してくるのになかなか苦労したのだ。

「そうか、ならこれで本当に終わりだな」

 そう言ったシェラートがガラス杯を転移させ手の内に引き寄せる。ガラス杯を満たしている緑の液体にフィシュアは顔を引きつらせた。

「テトの村とここで二回も無茶してるだろう? 約束の品だ」

「冗談でしょう……?」

 この世のものとは思えない苦みを思い出し、フィシュアは後ずさった。

 口の端を上げシェラートはにやりと笑う。

「冗談だ」

「……ごめん、それ笑えないわ」

 そう言いながらもフィシュアは「ははは……」と乾いた笑みを漏らす。

「ただの果実ジュースだ。テトたちに作ってやったものの余り。飲むか?」

「いや、遠慮しておくわ。もう緑の液体は口にしたくないもの」

「なら、今度こそ約束は守るんだな。まぁ、期待はしてないけど」

 ガラス杯を消したシェラートをフィシュアは見上げた。

 見られていることに気付いたらしいシェラートは、訝しげに首を傾げる。

「どうした」

「ええ。あのね……シェラート。このまま黙っておこうかと思ったんだけど、やっぱり謝っておくわ」

「何をだ?」

 すぐには返ってこない答えに、シェラートは眉を寄せた。

 フィシュアは一つ息を吐き出すと、そこはかとなく重く感じる口を開く。

「聞いたの。シェラートが昔、人間だったってこと」

「……ヴィエッダか?」

 フィシュアが困ったように苦笑する。

 それを肯定と見てとったシェラートは「なら、フィシュアが謝る必要はないだろう」と言った。

「でも、前にその話になりかけた時シェラートは話を切り上げたでしょう?」

「聞いて楽しいような話でもないからな」

 シェラートは食卓の椅子をひき、腰を下ろした。座れ、と促されフィシュアもシェラートの向かいに腰掛ける。

「別に隠していたわけじゃないから聞いたことを気に病まなくてもいい。……どこまで聞いた? どうせなら全部話す。中途半端じゃ気持ち悪いだろう?」

 フィシュアは素直に頷き返した。

 悪いとは思っても、どうしても気になってしまっていた。それが正直な気持ちだ。人間が魔人ジンになったという話など一度も聞いたことがない。

「ヴィエッダさんに聞いたのは、シェラートが好きな女性ひとの命を助けるために魔神ジーニーのところに行って願いを叶えてもらったってところまで」

「なら、あらかた聞いているな」

 シェラートは手に茶器を転移させると、茶杯を引き寄せ黄金の液体を注いだ。

「それ……」

 茶杯の内で金に輝く茶。湯気と共に立ち上がった煎ったような香ばしい香り。フィシュアは差し出された茶に見覚えがあった。

 フィシュアの予測を肯定するかのように、シェラートがふっと笑う。

「ヴィエッダのだ。入っているのは香草とか穀物だからな、身体にはいいんだ」

「いいの? 勝手に盗ってきて」

「いいだろう、これくらい。ヴィエッダは勝手に喋ったんだからな、勝手に盗られても文句は言えないだろう」

 差し出された茶杯をフィシュアは受け取り包み込んだ。触れる掌からじんわりとした温かさが沁みる。

「“どうしても助けたい人がいた”って——シェラートが前にそう言っていたのがその女性ひとなのよね?」

「そうだな」

「シェラートの恋人だったの?」

 真剣な顔をして問うフィシュアに、シェラートは相好を崩す。

「なんだ。今回はおもしろそうにニヤニヤ笑わないんだな」

「そんな顔してないわよ!」

 ムッとした顔のフィシュアを見ながら、シェラートもまた自身の方に茶杯を引き寄せた。

「リーアは幼馴染みで、親友の婚約者だった」

 返って来た意外な答えにフィシュアは戸惑う。

 海を越えて願いを叶えに来たほどだ。そうして人間である自分を捨ててしまえるほど。

 その女性ひとは絶対にシェラートの恋人だったのだろうと思っていた。

「親友の婚約者なのにシェラートが助けてあげたの?」

「それでも好きだったし、大切だった。リーアだけじゃない。二人とも、本当に大切だったんだ。二人には幸せになって笑っていてほしかったんだよ。だけど、リーアが病に罹った」

「……病」

「ああ。他人にうつるような病気じゃない。ただ一度発症すれば治る見込みはないと言われていた。だから、どうしても治さなければならないと思った。俺の中であの二人はどうしたって幸福の象徴みたいな存在でないといけなかったんだ。敵わないと思うくらいに。そうじゃないと諦めがつかなかったからな」

 シェラートは苦笑した。

 まるで半分を目の前にいるフィシュアに、そして、もう半分を彼の記憶の中にいるのだろう二人に向けて言い訳するように優しく、そう言った。

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