第74話 ヴィエッダ【3】
「フィシュアちゃん、どれにする? ほら、そんなところに立っていないで、こっちへいらっしゃいな」
ヴィエッダが手招きをする。部屋の入り口で立ち尽くしていたフィシュアは目の前に広がる光景に唖然とした。
「すごい数ですね……」
「だろう?」
ふふ、と口元に手を寄せたヴィエッダはどこか誇らし気だ。
部屋の中には見渡す限り衣服や装飾具が所狭しと並んでいた。壁際を埋め尽くす箪笥や棚だけでは入り切らなかったのだろう。棚の上にも飾り布のように衣服が置かれていた。
彩豊かな衣服はどれも飾りこそほとんどないものの触れた瞬間に明らかに質の違いを感じるほど。装飾具を形作る宝石や金銀も値の張るものばかりだ。
「ランジュールはアジカに惚れこんでいたからねぇ。どれがいいかわからないと言っては片っぱしから買ってきていたんだよ。アジカもさすがに困っていたねぇ。これはあまりにも多すぎるってアジカから貰ったものばかりだよ。アジカがいなくなった後、引き取ったものもあるしね」
「そのランジュールとアジカというのは?」
先程から何度もヴィエッダが口にしていた名前。シェラートの様子を見る限り、彼も二人と親しいようだった。
二人の名を口にするたびヴィエッダの目には懐かしさが宿る。
「言ってなかったっけねぇ……でも、フィシュアちゃんは伝え聞いているはずだろう? 魔神と三番目の姫の話を」
「じゃあ……」
「そう。ランジュールがその魔神でアジカが三番目の姫だよ。私にしたらついこの間の話だけど、フィシュアちゃんにしたら遠い昔話だろうね。ああ、フィシュアちゃん、これは? これなんかどうだい? 綺麗な色だろう?」
ヴィエッダは淡い緑のドレスを一つ選びだすとフィシュアの服の上からピタリとあわせた。
フィシュアは、さも楽し気にはしゃいでみせるヴィエッダを見つめる。
「……ヴィエッダさん。何か私に話があるのでしょう?」
「おや、案外鋭いねぇ」
ヴィエッダは金眼を細め、含み笑った。
「そう。シェラ坊のいないところでフィシュアちゃんに聞きたいことがあったんだよ」
「聞きたいこと、ですか?」
「そう。実際のところフィシュアちゃんはどうなの?」
含む意図が理解できずフィシュアは首を傾げる。ヴィエッダは「やだねぇ」と笑いながら手をパタパタと振った。
「シェラ坊のことだよ。フィシュアちゃん、ちょっとはシェラ坊のこと好きかい?」
「……話ってそれですか?」
「それ以外の何があるって言うんだい?」
いったいどんな話をされるのかと気負っていたフィシュアは一気に脱力した。
答えを待っているらしいヴィエッダが、にこにこと期待に満ちた眼差しを向けてくる。
「……シェラートのことは人としては好きの部類に入ると思いますが、ヴィエッダさんが言う《《好き》》ではないですね。第一シェラートだって、私のことテトと……まだ幼い少年と大して変わらないって言ってましたよ? シェラートも私なんかよりヴィエッダさんみたいな魔神や魔人の女性の方が好きなんじゃないですか?」
「ああ、ないない。だってシェラ坊は人間だったからねぇ。今でもやっぱり人間が好きなんでしょう。だから街で暮らしているんだろうし」
ヴィエッダはあっさりと否定する。
同時に告げられた事実に、フィシュアは耳を疑った。
「人間、だった? シェラートが……?」
驚愕し目を見開くフィシュアを前に、ヴィエッダはコロコロと笑う。
「あら、そんなに驚いて。もしかしてフィシュアちゃんはシェラ坊が人間だったって知らなかったのかい? あのこは自分の愛しい女の命を助けるためにランジュールのところへ頼みに来たんだ。バカだよねぇ。いくら精霊しかいない東の出で何も知らないからって、いきなり王の位につく魔神のところへ行っちゃうんだからさ。まぁ、ランジュールの居場所が有名だったってのもあったろうけどね」
ヴィエッダは衣服が広がる棚上に腰かけると脚を組んだ。
声を出せないでいるフィシュアに手を伸ばし、温度の低い手で彼女の左頬をさする。
「ランジュールの方もねぇ、アジカと出会ってからずっと人間になる道を探していたんだよ。さすが王と言うべきか。方法はすぐに思い当たったらしいんだけどね。一人じゃ実行に移せやしなかったから」
シェラ坊がランジュールの前に現れたのはちょうどそんな時さ、とヴィエッダはフィシュアの藍色の眼を覗き込み、耳元でささやく。
「ランジュールはシェラ坊の望みを叶える代償としてランジュール自身の望みを叶させた。自分の力をシェラ坊に与えることでランジュールは人間になれた。反対にシェラ坊はランジュールの力を引き受けることで魔人になったんだ」
「そんなこと」
「できるよ。できたんだよ。なんていったって相手はランジュールだからね。現にシェラ坊は魔人としてここにいる。フィシュアちゃんだって認めざるを得ないだろう?」
ね、とヴィエッダは細い指先でフィシュアの頬をくすぐって、美しい笑みを刷く。
「シェラ坊は魔人になってまだ五百年経っていないから魔神ではないけど、最高位の魔神の力をそっくりそのまま受け継いでいる。だから、そこらの魔神じゃ、まったく歯が立たないだろうね。私もそうだし——ほら、フィシュアちゃんはここに来る前にヘダールのおぼっちゃんにも会ってきたんだろう?」
「でも、シェラートはヘダールが弱すぎるだけだって……」
「フィシュアちゃん、初めからヘダールのおぼっちゃんと向き合っていたわけじゃないだろう。私に会った時と同じようにシェラ坊がフィシュアちゃんのことを隠していたんじゃないかい?」
ヴィエッダに指摘され、フィシュアは息をのむ。
確かにシェラートの身体に阻まれていたからヘダールと直接対峙してはいない。あの時は声しか聞こえなかった。
そして初めて目にした時にはヘダールは既にシェラートによって床に打ち伏されていた。
「あのおぼっちゃんもねぇ、あんなだけどすでに魔神になりかけている魔人なんだよ? 四百五十は超えているって言ってたから、魔神になるまであと少しだ。だからその分、力も強いはずなんだよ。……まぁ、シェラ坊と比べれば敵うはずもないけど。ほら、私らは人に交じって街に住んでいないだろう? 人と関わるのが面倒だというのもあるけどね、それ以外にも理由があるんだよ」
「理由、ですか?」
「そう。街中にいると私らはどうしても浮いてしまう。フィシュアちゃん、私に会った瞬間は緊張していただろう? 人間はね、私らの威にあてられると無意識のうちに恐れを抱いて畏縮する。こちらが意図していなくてもね。精神を乱された人間が均衡を取り戻すためには時間が必要なんだ。まあ、簡単に言ってしまえば魔神に慣れるのにある程度の時間を置かなきゃ駄目ってこと。そのための手っ取り早くて一番いい方法が、慣れるまで魔神を視界に入れないことなのさ。
だから、シェラ坊はすぐに私とフィシュアちゃんの間に割って入った。時間が経ってしまった後に顔をあわせた時は特に何も感じなかっただろう? 今も私が意識して圧したりしなければ平気なはずだよ。多分、ヘダールのおぼっちゃんの時もそうだったんじゃないかい? まあ、フィシュアちゃんに危害が及ばないようにってのもあったんだろうけどね」
「それならヘダールがシェラートのことを“成り上がり魔人”って言っていたのは……」
「おや、呆れた。あのおぼっちゃん、そんなことを言ってたのかい? 力量の差がわからないところがまだまだ子どもってとこか。けど、そうだねぇ。その言葉が指すのはシェラ坊が人間から魔人になったってことだろう。シェラ坊の存在は私らの中でも異例中の異例。その分、シェラ坊は有名なんだよ。本人が望もうと望まないとに関わらずね」
ヴィエッダは肩を竦めてみせた。
すっかり口を閉ざしてしまったフィシュアの頬を最後に撫でて、手近にあった衣服を新たに引き寄せる。
「まあ、シェラ坊が話さなかったことを私が勝手に話しちゃっただけだからね。もちろん聞き流してくれていいんだよ? だけど、もし気になるならシェラ坊に直接聞いてみるといい。話そうにも私はこれ以上詳しいことは知らないし。別にシェラ坊も隠しているわけじゃないだろう」
ヴィエッダは手にした青いドレスをフィシュアの両肩に寄せる。流れ落ちた裾がフィシュアの足首で揺れるのを、ヴィエッダは棚に腰掛けたまま愉快そうに眺めた。
「それよりも、せっかくだから今は楽しまないかい? シェラ坊のことをどう思っているのか聞きたかっただけじゃなくて、フィシュアちゃんと着せ替えをして遊びたいと思ったのも本当なんだよ? ほら、まだこんなにたくさんあるんだから。気に入ったものがあればフィシュアちゃんにあげるからね。私よりかはフィシュアちゃんの方がふさわしいだろうし。そうだ。ブローチなんかもいいのがあるんだよ?」
棚から降りたヴィエッダは、嬉々として装飾具の入った引き出しを引く。だが次の瞬間、彼女は形のよい眉を不穏に動かした。
険しい表情のまま、ヴィエッダは足早に扉へと向かう。
「シェラ坊っ!」
叫ぶ勢いのまま、ヴィエッダは扉を乱暴に開けた。
「今、魔法を使っただろう? いったい私の家に何したんだい?」
声を荒げるヴィエッダとは対照的に、シェラートは二人が部屋を出る前と変らず長椅子に腰かけくつろいでいた。
「別に。ただ水を返してもらっただけだ」
「な!? 勝手に私の浴場に入ったのかい?」
「自由にしていいと言ったのはヴィエッダの方だろう」
「だからってねぇ……」
「ヴィエッダがもったいぶるから悪い」
しれっと答えたシェラートに、ヴィエッダは呻いた。
「こっちはそんなに暇じゃないんだ。もう一度ヘダールのところに行かないといけないしな。どうせするはずだった仕事を代わりにやってやったんだ。手間が省けていいだろう」
「そりゃ、そうだけど。でも、まだフィシュアちゃんと遊び足りないのに……」
恨めしそうに睨んでくるヴィレッダを無視して、シェラートは腰を上げた。奥でまだ立ち尽くしていたフィシュアのところへ向かう。
「そういうわけだから、長居は無用だ。さっさと行って終わらせよう。テトが待ってる」
「え? あ……うん」
シェラートに手を取られ、フィシュアは首肯した。
触れた掌を反射的に握り返して、フィシュアはいつもと変わらぬシェラートを見あげる。
結局、ヴィエッダに聞かされたばかりの話を事実として自分の中で消化することはできず、とりあえず今は水の宮へ再び向かうことにした。




