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ラピスラズリのかけら  作者: いうら ゆう
第4章 涼やかなる者
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第66話 水端の巫女【9】

 耳馴染んだ羽音に呼ばれて、フィシュアは顔をあげた。

 ずいぶんと長い間、考え込んでいたらしい。見れば、もう日は暮れかかっていて、神殿が夕日に染まっていた。同じく黙々と考え込んでいるテトに目をやりながらフィシュアは立ちあがる。

「どこに行くんだ?」

 扉へと向かおうとしたところで、シェラートに声をかけられフィシュアは足を止めた。

 シェラート自身長く思案していたんだろう。どこか物思いから覚めたような顔をしていた。

「ちょっと外に行ってくるわ。ホークが来たみたい」

 フィシュアが窓の外へとちらりと目線を送る。

 夕日色に輝く空には確かに茶の鳥が一羽、優雅に舞っていた。

 ホークを認めたシェラートは胡乱気に眉を寄せた。そんな彼を見てフィシュアが苦笑する。

「そんなに嫌がらなくても部屋にいさえすれば突こうとしたりしないわよ」

「つまり、外に出たら突かれるってわけか……?」

「まぁ、それは否定できないわね」

 フィシュアがクスクスと笑うと、シェラートはさらに眉間の皺を深めた。

「すぐに戻るから。テトのことはよろしくね」

「ああ」

 首肯して応じたシェラートに、フィシュアは笑みを深めて、ひらりと手を振る。

 部屋を出たフィシュアは階段を降り、居間を通り抜け、足早に外へ続く玄関へと向かった。

 扉を開いた瞬間、風がフィシュアの長い髪をすくった。一纏めの薄茶の髪がふわりと流れる。

 通り抜ける夕暮れの風は早くも肌に心地よい涼しさを含んでいた。

 端から薄紫に変わりはじめている高い空に向かって、フィシュアは声を投げかける。

 名を呼ばれ、鋭いくちばしをもった茶鳥が主人の元へと音もなく舞い降りる。

 膝をついたフィシュアは、ホークの首元を一度掻いてやると、鳥の太い鉤爪のついた脚から手早く手紙を外した。

 慣れた手つきで、手紙を広げ一通り目を通す。

 書かれていたのは先に送った報告への対応状況だ。

 ミシュマール地方で発生した病の概略と対策を各地に発布した旨。

 アエルナ地方での事件と魔人ジンの関わりと皇都攻撃の件を確かに承ったという旨。

 それから、差出人である義姉からの他愛もない近況報告が記されていた。

 フィシュアは相変わらず仲がよいらしい兄夫婦の様子に張り詰めていた心がいくらか和らいでいくのを感じた。

「オギハ兄様やイオル義姉様だったら何かよい方法が思いつくだろうか?」

 どちらもよく頭の働く夫婦である。きっと自分よりはうまくやるだろう。

「お前だったらどうする、ホーク?」

 問われたホークは首を傾げ、クリリとした黒眸を一度パチクリと瞬かさせた。

 しかし突如、首を持ち上げると、近づいてきた足音にパッと羽を広げ上空へと飛びたつ。

 舞い上がったホークの向こう側でフィシュアが目にしたのは、夕焼けに染まった衣に身を包んだあどけない少女だった。

「メイリィ?」

 戸惑いながら、フィシュアは呼びかける。

 やって来たメイリィはコクリと頷き、村長の家を指差した。

「もしかして、テトに会いに来たの?」

 フィシュアの問いにメイリィは当たり、とばかりに微笑むと、キョロキョロと辺りを見渡した。何をしているのだろう、とフィシュアが眺めていると、メイリィは急にしゃがみ込み、次の瞬間には木の棒の切れ端を手にしていた。

 ガリガリという土を削る音と共に地面の上に文字が書かれていく。

『準備が終わったからテトにお礼を言いに来たの。話しができるのは今日が最後だから』

「……そう。テトは二階にいるわ。村長さんに声を掛けてもらえれば、すぐに降りてくるはずよ」

『ありがとう』

 メイリィは書き終えるやいなや、棒きれを持ったまま扉へと向かって走り出した。

「待って、メイリィ!」

 フィシュアに呼び止められ、メイリィが不思議そうに振り向いた。

 走り出したところに声をかけたのがいけなかったのだろう。振り返ったのと同時に、勢いを削ぐことができなかったらしいメイリィの身体が不自然に傾き出す。

「危ない!」

 地を蹴ったフィシュアは慌ててメイリィへと手を伸ばした。

 軽い衝撃と共に腕に確かに重みを感じた。間にあったらしいことにフィシュアは胸を撫で下ろす。完全に受け止めることができたわけではないが、とりあえずメイリィが頭を打つことは避けられたようだ。

「大丈夫?」

 メイリィをきちんと立たせて、怪我がないか確認する。膝が少しすりむけてしまっていたが、血は出ていなかった。

「よかった、大した怪我はないみたいね」

 裾についた土埃を払ってやりながらフィシュアは顔をあげる。

 するとメイリィはとても驚いた様子で目を見開いていた。硬直したまま、じっとフィシュアを見つめてくる。

 あまりものメイリィの驚愕の仕方にフィシュアは自分がしでかしたことに、ようやく気がついた。

 ハッとしてメイリィの身体に触れていた手を離す。

 水端みずはなの巫女であるメイリィは見初みそめの儀に向けて潔斎中だ。触れてはならなかったのだ。咄嗟のことにフィシュアは、そのことをすっかり失念していた。

「ごめんなさい」

 今さら謝っても取り返しがつかないことだとわかっていたが、口をついて出たのは謝罪の言葉だった。

 フィシュアの謝罪に我に返ったらしいメイリィは、ゆっくりと首を横に振った。そのまま、パクパクとしきりに口を動かす。

 困ったフィシュアが首を傾げたのを見て、メイリィはすぐにしゃがみ込んだ。先ほどと同様に地面に文字を書きだす。

『大丈夫。本当は私、何の力もないの。だから、触られても力が減ることはないし、黙っておけばわからない。だから、これは二人だけの秘密ね』

 そう書き終えると、メイリィは顔をあげた。口に人差し指を当てて、フィシュアに向かってそっと微笑む。

 どこか大人びたその仕草に、今度はフィシュアの方が驚いて目を見張った。

「――メイリィ……あなた、自分に力がないって知っていたの?」

 メイリィがコクリと頷く。

「じゃあ、もしかして……水初の儀が本当はどういうものかってことも?」

 フィシュアの問いに、メイリィは頷かなかった。代りに、笑顔がわずか翳ったのがフィシュアにはわかってしまった。

「どうして……」

 ――逃げないの?

 答えの続きは知っている。かつての自分もやはりそうだったから。

『それが私の役目だから』

 メイリィはその言葉を地面には書きつけなかった。ただ口が音もなく動いただけ。

 けれども、フィシュアにはその言葉が容易に読みとれてしまった。

 それは昔、フィシュア自身、何度も自分に言い聞かせた言葉だ。

 ある日突然平穏だった日々から引き離され、“宵の歌姫”としての役目を与えられた。引き継ぐのはずっと先だと思っていた分、その重責は幼かった自分の身に余った。

 今は納得している。確かにこの仕事は必要だと。誰かが請け負うべき重要な仕事であると。

 だけど、昔はそうではなかった。何度、諭されても納得できなかった。

 どうして他の人ではないのか、と。どうして自分なのか、と。

 なぜ他の兄弟姉妹たちは暖かな家の中で暮らしているのに、私は絶えず空の下を歩き続けなければならないのか、と。

 命を狙われることに恐怖しながら旅を続けた日々。辛く、苦しくて、泣き叫んでも、旅に出なければならなかった。

 ずっと逃れたかった役目だ。同時に、決して逃れられなかった役目でもある。

 メイリィも——この少女も同じなのだ。

 かつて自分が“宵の歌姫”から逃げられなかったのと同じように、この少女も“水端の巫女”から逃れることはできない。

「ねぇ、メイリィ。もし、できるなら水端の巫女をやめたい?」

 意味を持たない問いだと知っていた。

 いっそ残酷ですらあるその問いは、それでも、切望する願いでもある。

 メイリィは頷かなかった。かつての自分のように泣き喚くこともない。

 もうずっと前からすべてを受け入れてきたんだろう。

 メイリィは静かに微笑むだけだった。

 ただわずか迷うようにフィシュアを見つめた末、メイリィは木の棒を握り直すと、地面に小さく書き記した。

『できるなら、明日も明後日もずっとテトと遊びたい』 

 きっと、他の人にしてみれば大した価値のない小さな望みに違いない。けれど、短い言葉の中には少女の切なる願いが込められていた。

 叶わないと知りながらも、願わずにはいられない。メイリィの気持ちがフィシュアには痛いほど伝わってきた。

 この子はきっと泣かない。いつでも静かに笑うのだ。ほんの少しの哀しみと共に。

「あなたに頼みがあるの」

 フィシュアの言葉にメイリィが首を傾げる。

「私、今からちょっと出かけてくるから、中にいる二人に帰るのが少し遅くなるって伝えててくれる?」

 もちろん、とメイリィが自分の胸を拳で打ってみせた。

「ありがとう」

 二人は秘密を共有するように互いに微笑む。

 よろしくね、とフィシュアは、メイリィを送り出した。

 さっそく村長の家に辿り着いたメイリィが背伸びをして扉を叩いている。それを見届けて、フィシュアは夕暮れの中を目指す場所へと駆けだした。

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