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ラピスラズリのかけら  作者: いうら ゆう
第4章 涼やかなる者
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第56話 哀恋【2】

 客の視線を一身に集めたフィシュアは、息を吸うと同時に足裏で床を踏み鳴らした。

 小気味よい足踏みと共に刻まれるのは、ここではない異国の言葉。

 踵と爪先も交えた単調なリズムが踊るように彼女の足元で繰り返される。この国の歌とは明らかに異なる旋律で歌われるのは優しい響きを持つ、哀しい歌だった。

 フィシュアは絶えず韻を踏みながら、朗々と歌いあげる。

 意味のわからぬ詩歌に、人々は胸に迫る何かを感じ、わからぬ何かに思いを馳せる。それは見たこともない遠い国の風景であり、身近に知っている人を思う心に似ていた。



「今日のは?」

「今日のは、ずっとずっと遠い国の歌でした」

 テトの問いに答えながら、フィシュアは席に着く。フィシュアが椅子を引くと、彼女曰く爽やかな甘い香りがふわりと揺れた。

 シェラートは料理がのった皿を回してやる。

 受け取ったフィシュアは、穀物でつくられた薄皮で包んだ料理に早速手をつけはじめた。中にはタレにたっぷりと漬け込まれた野菜と肉が入っていて、噛むとじわりと味が染み出す。

「おいしいわね、これ」

「でしょう。僕なんか四つも食べちゃったよ」

「たくさん食べたのね。すごいわ」

 これもおいしいよ、とテトは汁物の入った器を示す。

 シェラートは、テトが勧めた汁物を小椀に取りわけてやった。

「さっきのは、何て歌ってたんだ?」

「え? さぁ?」

「さぁって……、内容もわからないで歌っていたのか?」

 呆れた目を向けるシェラートに、フィシュアは指に付いたタレをぺろりと舐めながら言った。

「内容は知っているけど、歌詞の細かいところはわからないのよ。異国の言葉だし、随分と古い歌だもの。私も旅の途中で出会った吟遊詩人が歌っていたのを覚えただけなの。その人もまた別の人から伝え聞いたって言ってたわ。そうやって歌い手たちに順繰りに遠い国から歌い継がれてこの国までやってきた歌なのよ。だから、きっと元の歌詞とは違っているでしょうね。記憶があやふやなところは適当に歌ってるし」

「適当なのか……」

「気持ちがこもってればいいのよ」

 けろりと言い放ったフィシュアの方へ、テトが身を乗り出してきて首を傾げた。

「それってどんな気持ち?」

 テトの質問に「そう聞かれると、ちょっと難しいわね」とフィシュアが苦笑する。

「この歌はね、悲恋の歌なの。報われなかった恋の話が元になっているのよ。遠い遠い国のお姫様がね、恋をしたのは敵国の王だったの。姫は王に会いたいがために自らの国を滅ぼしたのよ」

「王様も、そのお姫様のことが好きだったの?」

「いいえ。王は血に濡れた剣を持って、突然やって来た姫を忌み嫌ったわ。それが自分のために行われた結果だと知っていても、姫が差し出した彼女の国が、自分の国へ少なくはない利益をもたらすと知っていてもね。王は姫を牢へつないだ。けれど、牢から聞こえてきたのは楽しげな美しい歌だったの。あまりにも不審に思って自ら牢へと赴いた王は、嬉しそうに頬を染めて満面の笑みを浮かべた姫に、ただただ呆れたそうよ。それでも、歌を歌えば王が来てくれるから姫は毎日のように歌を歌った。でもね、ようやく姫の思いが通じた後、その幸せは長くは続かなかったのよ」

「どうして?」

 首をひねるテトに、フィシュアは横に置いてあったナイフを取って掲げた。

「姫は殺されたの。かつての自国の民にね。自分たちを陥めておいて、姫だけ幸せになるのが許せなかったのでしょう。王は泣いたわ。かつては忌み嫌っていたはずの姫のために。そして、確かに愛していた姫のために。だから王は、愛するただ一人の男のために自国を滅ぼした姫の愚かで、そして哀しい恋物語の歌をつくらせたのよ。彼女を忘れないために。王妃になるはずだった大切なひとのためにね」

「なんだかありがちな話だな」

 シェラートのちっとも感情のこもっていない感想に、フィシュアは苦笑して続けた。

「そうね、ありがち。だけど、いつの時代も、どの国でも、みんな哀しい恋の物語が好きなのよ。そういう恋はいつだって哀しいけれど、どこか儚い美しさを秘めているから。だからこそ、この国まで渡って来たのよ。……まぁ、私の場合は悲恋はごめんだけど」

「報われないからか?」

「違うわよ。悲恋なんて、ただ面倒なだけでしょう。そんなことで苦しい思いをしたくないわ。権力と財産さえあれば、私は誰でもいいもの。どうせなら楽な恋がいいわ」

「そんなこと言ってる時点で、恋じゃないだろう……」

「あは。それもそうね」

 けらけらと笑っているフィシュアに、シェラートはこんな奴が悲恋の歌を歌っていいんだろうか、と嘆息した。フィシュアの歌を聴いて感動していた人々が哀れでならない。

「でも、僕もいつか恋をするなら、楽しい方がいいなぁ」

 ガラス杯を持ってうっとりと呟いたテトに、フィシュアは微笑みかけた。

「そうね。じゃあ、今日は久しぶりに、寝る前に素敵な恋の御伽話でもしてあげましょうか。このラピスラズリにまつわる三番目の姫(トゥッシトリア)魔神ジーニーの御伽話よ」

 どう? と尋ねるフィシュアに、勢いよく頷いたテトは急いで残りの料理を食べだした。

 その様子に苦笑しながら、フィシュアもまた料理の続きを食べはじめたのだ。


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