第54話 テトラン【3】
ふっ、とテトの身体は力をなくして崩れ落ちた。
「テト!?」
突然、倒れてしまったテトに慌ててフィシュアは駆け寄る。抱き起こせば、テトはすぅすぅと寝息をたてていた。
やわらかに微笑みすら浮かべているテトに安堵して、フィシュアはテトを覗き込んでいるシェラートを見あげた。
「力を使って疲れ果てたんだな」
「何? どういうこと?」
「あの魔法はテトの血を媒介にしている。つまり、テトの力を媒介にしてるんだ。だから、テトにも負担がかかる。疲れて眠ってしまったんだろう」
あっさりとそう言い放ったシェラートを、フィシュアは睨みつけた。
「だから、そういうことは先に言いなさいよ! びっくりするじゃない!」
間近で響いた文句を聞き流しつつ、シェラートはフィシュアの手からテトを取りあげ、片腕で抱きかかえた。
眠るテトの頬が、シェラートの肩にもたれかかる。
「ほら、行くぞ」
目の前に差し出された手に、納得がいかないながらもフィシュアは自分の手を重ねる。
むくれたフィシュアの顔に苦笑しながら、シェラートは村まで転移した。
夕暮れが過ぎ夜になっても、テトは目覚めなかった。
部屋はすっかり暗くなってしまったものの、ささいなことで起こしてしまないかと、今さら明かりをつけるのはためらわれた。
二人は、窓から差し込む月明かりだけが照らす部屋の中、夕食後、ずっとテトの寝顔を見続けていた。
フィシュアは枕元に膝をつき、気持ちよさそうに寝息をたてているテトのまるい頬をつんつんと指先でつついてみた。
けれども、規則正しい寝息が聞こえてくるばかりで、テトは寝返りすら打ちそうにない。
まったく反応を示さず眠り続けるテトを見ていると、思わず笑みがこぼれた。寝台の端で交差させた腕に頭を乗せて、フィシュアは眠るテトを眺める。
「なんだか、よっぽど疲れているみたいね」
「きっと、久しぶりにちゃんと眠れたんだろう」
同じく、寝台の端に腰かけながら、眠るテトを眺めていたシェラートの言葉に、フィシュアは「そっか」と相槌を打つ。
「シェラートが、テトのお母様に会わせてあげたおかげね」
テトを見つめながらフィシュアは、ささやく。
魔神でしか起こし得なかった母子の邂逅の光景に思いを馳せる。あれは彼らにとって思いもかけない再会で、だからこそどこまでも優しい時間だった。
「……どうしたの?」
フィシュアは、黙り込んでいるシェラートに顔を向けた。
いや、とシェラートは、眠るテトに目線を置いたまま息をついた。
「フィシュアは、自分は支えられないから、俺にテトの傍にいろと言っただろう」
「ええ、言ったわ」
「ちゃんと支えられていただろうかって、それをずっと考えていた。フィシュアがそう言ったあの日から」
暗く光る翡翠の双眸に、フィシュアは顔をあげる。「それで?」と、フィシュアは首を傾げて、シェラートを覗き込んだ。
「……なんて言って欲しいの? “あなたはちゃんとテトを支えていた”って慰めてほしい?」
フィシュアの問いかけに、シェラートは苦笑を洩らしてかぶりを振った。
「そういうわけじゃない」
シェラートの答えに「素直じゃないわね」とフィシュアは微笑する。フィシュアは再び自身の腕の中に頭を落として、話の続きを促す。
「それで?」
「ただ、な」
「うん」
「フィシュアが、もし俺なら支えられると思ってテトを託したんなら、それは、ただ俺とテトの境遇が似てたからなんだと思う。テトの契約者になった理由も同じだ。俺にも昔、どうしても助けたい人がいた」
「その人は……」
「助かった。助けた。だから、テトの母さんを助けられなかったのが悔しかったし、情けない」
「そう……」
自分の大切な人は助けることができたのに、テトの大切な人は助けられなかった。
その一点に、シェラートはとてつもない憤りを感じているのだろう。
シェラートがかつて助けた大切な人は彼にとってどんな人だったのか。
それをフィシュアは知る由もない。
けれど、彼の目には今、確かにその人物が映っているのだろう。
フィシュアは瞳を閉じる。そして、テトの寝顔に視点を移した。
「少なくとも私よりはずっと支えることができたはずよ? だって今、テトは笑ってる」
「けど、テトをここまで引っ張りあげることができたのはフィシュアだろう?」
その言葉にフィシュアは首を振った。
「私は何もしてない。ただ、病気にかかって倒れただけ。それを、助けてくれたのがテトだったというだけ。あの時、テトに私の言葉が届いたのは、シェラートがちゃんとテトを引っ張りあげてくれたからよ。テトのことを一番に心配してくれたからよ。そうじゃなかったら私の声なんて、きっとテトには届いてなかった」
それにね、とフィシュアはくすりと笑って続けた。
「シェラートって長く生きているせいかしら? ……年の甲? おじいちゃんみたいなのかな? 安心するのよね。だから、ただ傍にいてくれるだけでも、テトにとっては、やっぱり何か違ったんだと思うわ」
「なんだか、それは、あんまり嬉しくないな……」
若干嫌そうな顔をしてシェラートはぼやく。フィシュアは、テトを起こさないよう、ひそやかに声を立てて笑った。
「けど、まあ、ありがとうな」
苦笑を浮かべながらこちらを向いていたシェラートに、フィシュアは艶やかに微笑んだ。
「どういたしまして」