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ラピスラズリのかけら  作者: いうら ゆう
第3章 強い光
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第53話 テトラン【2】

「シェラート……あなた、何を考えているの?」


 向けられた切っ先から、フィシュアはテトを背にかばったまま問いかけた。

 宝飾品といっても遜色のないほど飾り立てられた剣でも、ひとたび鞘を取り去ってしまえば、その刃が鋭利なことは他でもないフィシュア自身が知っている。

 宝剣を握りしめるシェラートから目を離さないよう見据え、フィシュアは出方を見計らった。

 シェラートの眉が怪訝気に寄せられる。手にした宝剣とフィシュアを交互に見比べ、シェラートは呆れたように口を開いた。

「フィシュアこそ何考えてるんだ?」

 嘆息混じりの声に、フィシュアはどうやら誤解だったらしいと気づいた。

 不思議そうな表情のテトが、フィシュアの肩口から顔を出す。まだ涙の跡が頬に張り付いているのに「大丈夫?」と顔を覗き込まれ、フィシュアは張り詰めていた気持ちがほどけた。同時に、ふつふつと怒りが湧きあがってくる。

「何って……、シェラートはいちいち紛らわしいのよ!」

「お前が勝手に勘違いしただけだろう! 俺はただ剣を借りたくて転移させただけだ」

「切っ先を向けたでしょうが、切っ先を! 危ないでしょう!? ちゃんと説明してから転移させなさい!」

「俺がテトに危害を加えるわけないだろう」

「それは、そうだとも思ったけど……。でも、テトのお母様に会わせてあげる、なんて言うから……てっきり、テトが死ねば会えるっていう方法かと……よかった……」

 気が抜けたようにフィシュアは安堵の息を漏らした。そのまま庇っていたテトの無事を確かめるようぎゅっと抱きしめたフィシュアに、シェラートはさすがに決まりが悪くなる。

「……悪かったな。確かに言葉が足りなかった」

 ぽんぽんと頭頂を叩きなでてくるシェラートをフィシュアは「本当よ」と悪態をつきながら睨みあげた。

 フィシュアに抱きしめられた格好のまま、テトは首だけシェラートの方にまわすと「でも」と口を開いた。

「じゃあ、どうやってお母さんに会うの? そんなこと本当にできるの?」

 それは淡い期待の含まれた言葉で、でもどこかでそんなことは無理なのでは、と思っているような半信半疑の問いだった。

「できる。ただし、生き返らせることは、前も言ったが不可能だ」

「じゃあ、どうやって?」

 テトの疑問にシェラートは持っていた短剣を差し出しながら言った。

「そのために、これが必要なんだ。正確にはテトの血の情報が必要だ。それを使ってテトの母さんを呼びだす。まだ、テトの母さんが死んでから一カ月も経っていない。それに、テト——お前という心残りがあったはずだ。この世に実在するための分子が変わってしまったから、今は目にこそ見えないが、溶けて消えてしまったわけじゃない。恐らくまだこの近くにいるはずだ。呼び出して、現出させることなら魔人ジンの力であれば容易い。契約は切れたが、本当の願いを叶えられなかった侘びとして、その願い、叶えよう」

「……本当に?」

「ああ」

「本当にお母さんに会えるの?」

 戸惑い気味に問いを重ねたテトに、シェラートはもう一度頷き、宝剣を渡した。

「少しでいい。ほんの少し、それで指に傷をつけろ」

 フィシュアが心配そうに見守る中、宝剣を受け取ったテトは恐る恐る自分の親指の腹へ切っ先を押しつけると軽く滑らせた。

「っ」

 小さな呻きとともに、走った線からぷっくりと赤い血が滲みだした。

 宝剣の刃先に血が触れ、形の良い楕円が崩れる。

 それを確認した上で宝剣を受け取ったシェラートがテトの傷を素早く拭うと、まるで何もなかったかのようにすっかり傷が治っていた。

 シェラートが宝剣を掲げると同時に、刃先から青白く光り出した。

 ぼんやりとした光は強烈でもなく、弱々しくもない。

 宝剣を包むように纏わりついた光は、シェラートが宝剣から手を離すのと同時に輝きを増し、宝剣を核として広がっていく。

 目の前一面に広がった光は、やがて急速に収縮し一人の人間の形を成した。

 腰まで伸びる栗色の髪を、風もないのにふわりと舞いあげ、瞳を閉じたまま宙に浮かぶ女性。

 姿が見えると言っても、実体ではないらしいその姿は、透き通っていて、丘の先に見える空を映していた。

「お母さんっ!」

 もうずっと求めていた母の姿に、テトは反射的に声をあげた。テトの声に反応し、女の睫毛が震え、ゆっくりとその瞳が開かれる。

 二度と見開かれるはずのなかった、テトよりも薄い黒灰の瞳は、目の前にいる幼い息子を慈しむように見おろして微笑んだ。

「テト」

 それは紛れもなく母の声だった。テトは走り出す。

 地に降り立ったテトの母——ロージィは向かってくる息子に、両手を広げた。

 だが、求めて手を伸ばした手は、触れあうことはなかった。

 テトの手が、母の身体であるはずの透明な空間を行き過ぎる。

「お母さん」

「テト」

 ようやく会えた息子を抱きしめてあげられないことを切なく思いながら、ロージィは、まだ小さな息子の頬の輪郭に自分の手をそっと添わせた。

 決して触れることはできない手で、彼女はテトに触れる。

「テト……泣いたわね。泣いても変わらないでしょって言ったのに。目が真っ赤よ」

 頬についた涙の跡を何度も辿りながら、ロージィは怒ったように言った。

「ごめんなさい」

 しょんぼりと項垂れる息子にロージィは「冗談よ」と笑いかける。

「きっと、私のせいでたくさん辛い思いをしたんでしょう?」

 いつもそうしてくれたようにじっと覗きこんでくる母の瞳にテトは泣き笑いのような表情を浮かべた。

「……でも、僕、頑張ったでしょう?」

「ええ、あなたは頑張ったわ。とっても、とっても頑張ってくれた。私のために、村のみんなのために。たくさん褒めてあげなくちゃね」

 細められたロージィの目に、テトは「へへっ」と笑う。

「ごめんね、テト。約束を守ってあげられなくて。あなたはちゃんと守ってくれたのに、待っててあげられなくて本当にごめんなさいね。寂しい思いをさせて……これから一緒にいてあげられなくて、本当にごめんなさい」

 悲しそうに微笑む母に、テトはふるふると頭を振った。

「いいの。お母さんがいなくて寂しいけど、フィシュアとシェラートがいるから寂しくないよ。僕、これから二人と一緒に皇都へ行くんだ。ね、皇都には、前にお母さんが話してくれた海があるんだって。きっと、きれいだろうなぁ……」

「ええ……、そうよ、海はとってもきれい。すごく、すごくきれいよ……」

「ね、だから……、僕はもう大丈夫だから……、泣かないで?」

「ええ……、テトも、もう泣いちゃだめよ?」

 涙を目一杯にためて見あげてくるテトにロージィは微笑みかける。自分でも知らないうちに溢れていた涙を拭いながら、ロージィはテトの後ろに佇む二人を見据えた。

「フィシュアさん、シェラートさん、どうか……、どうかこの子をよろしくお願いしますね。ずっと面倒を見ろだなんて、そんなずうずうしいことは言いません。だけど、この子は……、テトは、この通り泣き虫だから。だから、せめて……、せめて皇都までは一緒に行ってあげてください。この子が笑ってすごせるように……」

 フィシュアとシェラートは深く頷く。ロージィは安心したように「ありがとうございます」と微笑みを向けた。


「どうやら、時間切れのようね……」


 その言葉とともにロージィの身体が再び光りだした。

「お母さんっ!!」

 叫び声をあげたテトの身体を、ロージィは一度そっと抱きしめた。そうしてすぐに両腕をほどいたロージィは、もう会うことは叶わないだろう息子の顔をしっかりと見つめる。

「テト。私はあなたのおかげでずっと幸せだったわ。デュウラが……あなたのお父さんがいなくなってしまって、絶望していた私をすくいあげてくれたのは、あなたの笑顔だった。もう一度生きる希望を与えてくれたのは、あなただった。毎日笑って過ごせたのも、全部あなたのおかげよ。私はあなたの笑顔が何よりも大好き。だから、泣かないで。本当は私のために泣いてくれること、すごく嬉しいわ。だけど、あなたがずっと泣いているのは、すごく悲しいわ。泣いても何も変わらないって言ったけど、時には泣くことも必要だと思うの。だから、すごく辛い時、悲しい時、疲れちゃった時、泣いちゃってもいいと思うの。だけど、私を思い出してくれる時は、笑ってくれたほうが母さん嬉しいわ。だから、私のために泣くのは今日で終わりにしてちょうだい? 私を思い出す時は、いつも笑顔を見せて? ……テトなら、できるでしょう?」

 テトは大きく頷いた。腕でごしごしと目をこすり、笑みをつくる。

「できるよ。できる。……約束、ね?」

「そう、約束」

 顔をあげたテトを見て、ロージィは誇らしげに微笑む。同時に彼女の身体が惹かれるように宙へと浮かびあがった。

 彼女を取り囲む光が、輝きを増す。ふわりと光が強くなる先から、輪郭が次第にほどけだした。


「テト……、テトラン……、私のテト(強い)ラン()。あなたは私の強い光だった……。ずっと、あなたを愛しているわ。きっと、きっと、幸せになってね」


 すべてを包み込む優しい微笑みでロージィはそう言い残すと、まばゆい強い光とともに姿を消した。

 ことん、という微かな音と同時にフィシュアの宝剣が地面へと落ちる。

 テトは元に戻った宝剣を見つめながら、穏やかに微笑んだ。


「……うん、約束」


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