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ラピスラズリのかけら  作者: いうら ゆう
第3章 強い光
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第49話 テトの試練【4】

 要請を受けたバデュラの警護隊は先見隊をたて翌日にはやって来た。その三日後には、追加の人員がフィシュアが先に指示していた物資と医師らを揃えて到着した。

 彼らを統率する副隊長のイベウルとやって来た医師と相談の上、村からいくらか離れた位置に天幕を建て、村に入り病人の世話をする者と物資や情報を中継する者とにわかれることとなった。

 村の中ほどの広間に建てた救護幕は、薬の調合や病人の世話をする者たちの休憩と寝泊まりの場にあてられた。

 どの家にも患者がいる状況のため、患者らはむやみに動かさずそれぞれの家で面倒を見る方が都合がよい。そもそも救護幕におさめるのは到底不可能だったため、できる限り切り分けた方がよいと結論付けたからだ。

 毎日やり取りされる情報から、幸いにもエルーカ村以外で発症者が出ているという知らせはフィシュアが村に着き八日経過した今も届いていない。

 ただしエルーカ村の状況だけは芳しくなかった。

 特効薬の材料は判明している。一部の人にはある程度、効果が認められ、快方に向かいはじめた者も数名でてきた。

 だが、正確な分量とは差異があるのか、混ぜる際に何かしらのコツが必要なのか――わずかずつ方法を変え試してはいるが、どれも多くの者にはうまく作用しなかった。



「おじいさん、今日は少し調子がいいみたいですね」

 担当している家を訪れたフィシュアが、老人の額に固く水を絞った冷たい布を乗せてやると、彼はまなじりをわずか下げた。

 声を出すことはできない。これが彼の精一杯の意思表示だった。

「隣の部屋の奥さんもね――」

 老人へと声を掛けていた言葉が途切れる。患者の戸惑う眼差しの先で、フィシュアは激しく咳き込みだした。

 フィシュアは、両手で口を押さえ咳き込みながら、堪えきれずに身体を曲げる。膝をついたフィシュアの傍に、一緒に訪問していたエリアールが慌てて駆け寄った。

「フィシュアさん!? 大丈夫ですか?」

 大丈夫、と口を開こうとしたフィシュアは、だが、再び咳に気道を支配され、その言葉を口を出すことができなかった。

 寝台の上で狼狽している老人にこれ以上不安を与えないためにもエリアールは咳を繰り返すフィシュアを支えながら、外へ出る。

 フィシュアを支える手から伝わって来た熱の異常さに、エリアールは驚きに目を見開いてフィシュアを見た。

「どうして!? 熱が出るのは、咳が出てしばらくたった後なのに!」

 苦しげにしゃがみ込んだフィシュアの背を擦りながら、エリアールは一つの確信へと辿り着いた。

「フィシュアさん。あなた、ずっと隠していましたね? ずっと咳をのみこんで、気付かれないようにしていたのでしょう?」

 自分で身体を支えることもできず激しく咳き込み続けていたフィシュアは、その問いに答えることができなかった。

 しかし、その病状こそが、エリアールの問いを肯定していた。

 この病気の初期症状は風邪のようなものだ。発症一日目で、咳がこれほどまでに激しくなるはずがなかった。

 思えば数日前からフィシュアは救護幕へ寄りつくのを避けていた。応援を呼んだとはいえ、ほぼ全村人が罹患しているこの場では圧倒的に手が足りず、無理を押して働いていたに違いなかった。

「誰か! 誰か早く来てください!!」

 エリアールの助けを求める声に一早く気づいたのは、バデュラの警備隊副隊長であるイベウルだった。

 イベウルは倒れるようにして咳き込むフィシュアに、一瞬のうちに状況を把握して、その身体を抱きあげると、テトの家へと向かった。

 感情を失くしてしまった少年を刺激しないためにも、本当はエリアールの家へ運ぶのが最善ではあったが、そこにはバデュラから運んできた物資を置かせてもらっているため、物で溢れ返っている。かといって、新たにフィシュアを運び入れるための家を探すほどの余裕などない。

 足早にフィシュアを運んでいたイベウルは迷うことなくテトの家の前に立つと、玄関の扉を叩いた。



「フィシュア?」

 イウベルに抱えられて入って来たフィシュアに、シェラートは驚きを隠すことができずその名を呼んだ。

 すぐに戻らなければならない、というイウベルからフィシュアを受け取ったシェラートはその熱の高さに驚愕する。

「宵姫様は、かなり無理をされていたようです。ここに運ぶのはどうかとも思いましたが、他に休ませる場所もなかったので……。後はよろしくお願します」

 悔しそうに顔を歪めたイウベルはそれだけ言うと、咳き込むフィシュアに心配げな目を向けながらも礼をして外へと出て行った。

 イウベルと入れ替わりで、後ろを追いかけて来ていたらしいエリアールが入って来て、涙を浮かべながら説明した。

「どうやらフィシュアさんは、ずっと隠しておられたようで。倒れられた時には、もうそのように、咳をしていて……、熱がひどくって……」

 そのまま泣き崩れたエリアールに、フィシュアはなんとか咳を抑え切れ切れに言葉を漏らした。

「エリ、アールさん……大丈夫だから、泣かないで? ……私は、いい、から……早く、他の人、の所、へ」

 エリアールは涙を零したまま何度か頷くと、再び外へと向かった。

 完全に扉が閉まったのを確認したかのように、ゴホゴホというフィシュアの激しい咳き込みがはじまった。

「シェラート、も、いい。うつる。早くテトと、救護幕に移動して」

魔人ジン魔神ジーニーは病気にかからないから安心しろ」

「そう、なの?」

「自然物だからな。俺の場合は、大気みたいなものだな」

「大気?」

「ああ。まぁ、大きな傷では死ぬけど、その時は、跡形もなく消えて還る。そんな感じだ」

「でも」

「人間と同じように、食べるし、寝るし、温度も鼓動だってあるし、不思議だろう。正直どういう仕組みなのかは、俺にもよくわからないけど。そんなことは今はいい」

 淡々と説明しながら、シェラートはフィシュアを抱え部屋を横切った。

 カルレシアの毒にやられ万全の状態ではなかったフィシュアの身体は病に対する抵抗力が極端に下がっていたのだろう。

 シェラートは見抜けなかった自分に怒りを覚えつつ、それを隠していたフィシュアにも憤りを覚えた。苦しそうに息をしているフィシュアを睨みつける。

「――お前は……、やっぱり、自分で言ったこと守れてないじゃないか」

「ごめ……」

 咳を繰り返すフィシュアを寝台へと運ぶため、憤然としながらも足早に歩いていたシェラートは、部屋の前でぴたりと足を止めた。

 寝室へと繋がる扉がわずかに開いている。隙間から、テトが顔を覗かせていた。


「フィシュ、ア……?」


 何も映していなかった闇色の瞳は、今確かにシェラートの腕に抱えられたフィシュアの姿をとらえていた。

 何度も咳き込むフィシュアに、テトの肩がびくりと震える。

「悪い、テト。フィシュアに寝台を貸してやってくれないか?」

 この家に寝台は、テトと母が一緒に使っていたもの一台しかない。

 そして、それがある寝室に、テトは村について以来ほとんどずっと閉じこもっていた。

 テトはゆっくり扉の前を退くと、寝台へと下ろされるフィシュアを眺めた。

「フィシュア……?」

 問いかけに呼応するかのように再び咳きによって揺れ始めたフィシュアの身体を、テトは恐怖をもって見つめた。

 恐る恐る寝台へと近づいたテトは、寝かされたフィシュアに手を伸ばし、その身体が熱いことを知る。

「嫌だ! 嫌だ、嫌だ……!!」

 テトは敷布を握りしめ、叫んだ。

「嫌だ! フィシュアまで、いなくならないで! ――助けて! シェラート、フィシュアを助けて!!」

 テトの叫びに、シェラートは安堵しながら頷いた。

 薬を調合しようと手を伸ばす。

 だが、その腕を思いがけない力で掴まれ、シェラートは驚きながら自分の腕を掴んでいる手の主を見た。

「だ……め……!」

 切れ切れに吐かれたフィシュアの言葉は力がないが、はっきりとした意志を含んだものだった。

「ダメ……!!」

 繰り返された言葉にテトは戸惑いを隠せなかった。苦しげに顔を歪めて咳をするフィシュアを、テトは寝台にすがりついて見下ろす。

「何で? 何でダメなの? だってこのままじゃ、フィシュアが!」

 どうすればいいのかわからない、と訴える黒い瞳を見据えたのは、フィシュアの意志のこもった深い藍の瞳だった。

 フィシュアは一つ息を吸い込むと、咳が出ないうちに、と一気に言った。

「ダメ。テト、もし、私を助けたいなら、その時は村のみんなも同じように助けなさい。それができないなら、私を助けてはいけない。そうじゃないと許さない」

 フィシュアの訴えに、テトの黒い瞳は大きく揺れた。

 怯えるテトの双眸を見つめながらも、フィシュアは耐え切れなくなって再び激しく咳きこんだ。

 だんだん酷くなっていくその咳にテトは顔を歪める。

 迷う時間はそう残されていなかった。切なる願いを請い、テトは彼の魔人ジンへの言葉を口にした。


「シェラート、お願い。フィシュアを助けて。村のみんなも……みんなを、助けて!」

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