第32話 宵闇の姫【6】
案外楽勝だったわね、とフィシュアは、いささか拍子抜けした。
道で行きあった男たちは、一人で夜歩くフィシュアの不自然さに疑念を抱くことなく、彼女を脅して、根城としている酒場まで連れてきた。
街の住人にこき下ろされてはいたものの、警備隊も当然、彼らなりに日々対策を強化し動いているはずだ。エネロップの面々が警戒してくる可能性も考えていたため、こうも簡単にひっかかってくれるとは思っていなかった。逆に考えれば、それほどまでに彼らが警備隊よりも優位に立っているとも言える。
強盗をおびき出すため、宝石の飾りがついた凝ったつくりの宝剣も持ってきたが、ちらつかせる間もなかった。
やはりあの食堂にも強盗団エネロップの一味が何人か、次の獲物の物色に来ていたのだろう。
フィシュアが宿を出てすぐ、彼女の胸元にさがる宵の歌姫の証の石を確認するや、男たちはあとをついてきた。宿に押し入ろうと様子を伺っていたのかもしれない。
フィシュアが大通りに踏み入れる直前、男たちは、小刀を手にフィシュアの前に立ち塞がった。
にやにやとした笑いを隠しもぜず近づいてきた男たちを前に、派手に宣伝していてのかった、とフィシュアは心底思った。
その場で襲ってくるわけでもなく、わざわざ根城にしている酒場まで連れてきてもらえたことも、フィシュアにとっては幸運だった。
場所を聞いたといっても、この街の地理に精通しているわけではない。最悪、おおよその場所に検討をつけたあとは、一件ずつ確認するつもりでもあったので、大いに手間が省けたと言ってよかった。
フィシュアは、酒場の中をざっと見渡した。
少なくとも三十はいる。年齢は、十代から、五、六十代まで、幅広そうだ。よくもまぁ、こんなに集めたな、といっそ感心してしまう。
彼らは酒を手に、思い思いの場所に座っていた。辺りに散乱している椅子だけでなく、テーブルやカウンターの上にも腰かけている。
フィシュアを連れてきた男の一人が、彼女の背を押し出し、カウンターの前に引き出された。
まるで見世物だ。
何がおかしいのか、えげつない笑みを浮かべ事の成り行きを楽しんでいる強盗団の視線のさらされ、フィシュアは静かに立つ。
カウンターの奥ではやつれた顔の男がびくびくと身体を震わせていた。誰がここに来るのか、彼らから事前におもしろおかしく聞かされていたのだろう。この場に似つかわしくない歌姫の登場に動揺しながら、かと言って何かできるわけもなく、青ざめながらしきりに目を彷徨わせている。
恐らく、この酒場の店主ピットだろう。
店を乗っ取られた後も、逃げる機会はなく、ここで軟禁状態になっているらしかった。今この時も、肩に腕をまわされて、陽気に肩を叩いてくる強盗の一人に、震えながら相槌を打っている。
それだけ確認するとフィシュアは、カウンターの上に片膝を立て座っている頭首格らしき男へと顔を向けた。歳は四十半ばをすぎた頃か、白髪混じりの茶髪に赤銅色の布を巻いたその男は、他の者たちに比べゆったりとした態度で、目の前に立つフィシュアの様子を観察してくる。
「ほぉ。えらく肝の座った歌姫さんだなぁ」
ちっとも怯えを見せない夜のような藍の眼双眸を前に、頭領の男はにやりと笑う。
カウンターの縁から両足を投げ出し、彼は酒杯を持たない左腕を広げた。わざとらしく半身を折り、フィシュアに向かって深々と頭をさげてみせる。
「ようこそ、歌姫様。俺らのために歌でも歌いに来てくれたのかい?」
道化師めいた頭領の動作と言葉に、まわりの男たちが一斉にげらげらと笑う。
フィシュアは彼らを見渡して、馬鹿丁寧にお辞儀をしてみせた。
「いいえ。こちらこそ、今宵はこのような素晴らしい場所へお招きいただき光栄ですわ」
顔をあげ、フィシュアは朗らかに微笑む。
「そうですね。それでは、あなた方のために、とっておきの葬送曲でも歌ってさしあげましょうか」
冗談めかしたフィシュアの提案に反し、空気が張り詰めた。
強盗団の頭はおもしろいものでも見るように目を細める。
彼以外の男たちは一人として笑ってなどはおらず、皆一様に苛立ちもあらわに顔を歪めた。
近くにいた男が一人立ちあがり、残忍な笑みを貼り付けて、フィシュアに歩み寄ってくる。
「なぁ、歌姫さんよぉ。今、自分がどういう状況に置かれてるか、わかってんのか?」
「ええ、もちろん。わかっているつもりよ? 私は攫われて、強盗団の根城まで連れてこられてしまったのでしょう?」
怯えおくびにも出さず、悠然と笑むフィシュアに男は笑った。
「なんだ、よくわかってんじゃないか。なら、言葉に気をつけるんだな」
正面にまわりこんだ男は、フィシュアの顎に手をかけ、むりやり上向かせた。
「まぁ、顔はそんなに上等じゃないが、宵の歌姫っていう付加価値がつけばちょっとは、お前もいい値段で売れるんじゃないか? あぁ、でも国宝級だというその証は俺らが頂くからな、お前じゃ大した値段にはならないか」
なぁ、どのくらいで売れると思う、と男は仲間に問いかける。とたん緊張していた空気が一気になくなり、代わりに小馬鹿にしたような嘲りが、いくつもの数字と共に響いた。
フィシュアは思いっきり眉を寄せ、嫌そうな顔をする。
「失礼ね。こないだも似たようなこと言われたけど、ほんっと、あなたたちにだけは言われたくはないわ。まぁ。とりあえず、その汚い手をどけてくれない?」
「何だと?」
今にもこめかみに青筋を浮き出たせそうな男はフィシュアの顎を掴む手に力を込めた。
目を剥く男にフィシュアは溜息をつく。
「ちょっと痛いんだけど。……それと、その手をどけろと言ったでしょう?」
フィシュアは顎を掴んでくる男の手に抗って、顔を背ける。
ドスッ、という音と共に、男はもんどりをうって倒れた。フィシュアの足元に転がった男は、そのまま起きるようすがない。
何が起こったか理解できない強盗団の男たちは、ただありえない状況に目を見張る。
ただ一人、偉そうにカウンターでふんぞり返って事の経過を眺めていた強盗団の頭領だけが上体を起こし、ひゅぅ、と口笛を吹いた。
「なかなかやるじゃねぇか」
「お褒め頂き光栄ね」
優雅に礼をしたフィシュアの手には、鞘に入ったままの宝剣が握られていた。
湾曲した形の宝剣の鞘を装飾しているのは、ごてごてとした数多の宝石だ。それが見事、気を失っている男の鳩尾に命中したらしかった。
ようやく状況を把握しはじめた男たちは悪態をつきながら、各々自分の得物を握った。刃を抜き放ち、鞘を投げ捨てる音が辺りに響く。取り囲むようにして、切っ先はすべてフィシュアに集中した。
一瞬、互いの間合いを計るように静寂が訪れた。
静けさを破ったのは、一つの溜息だ。
「なんだか、数だけ多いって感じね」
フィシュアは、これ見よがしに両肩をすくめる。
それを合図に、男たちは一様に剣を振りかざした。
「っふざけやがって!!」
「この女!」
先と変わらず座して酒を飲んでいた頭領の男だけが、躍り出た自分の部下たちを遠くから鼻で笑った。
「この阿呆どもが。乗せられやがって」
それでも手を出す気はさらさらないらしく、楽しそうに見物に徹している。
フィシュアは向かってきた男たちを見て、口の端をあげた。
前、右、左、前、と次々と襲いかかって来る男たちを順番に薙ぎ払う。
一つに束ねられた長い茶の髪がフィシュアの動きに呼応するように舞った。一切無駄のない動きは剣舞さえ彷彿させる。
鞘の抜かれていない剣は、相手を絶命させるほどの力は持っていない。けれど確実に急所へ打ち込まれるそれの威力は男たちが証明している。鞘に埋め込まれた宝石の突起もまた、彼らに与える衝撃を増大させたようだった。
打ち込まれたが最後。一度倒れた者は気絶し、ぴくりとも動かない。
目の前で倒れていく仲間を前にして、ただの小娘だと完全に侮っていた自分たちの過ちに、ようやく気づいたらしい。男たちが一歩下がった。
額に汗を滲ませ動揺しいる男たちを挑発するかのようにフィシュアは嘲笑する。
「何? もう終わり?」
問いかけに男たちは再び逆上した。
一斉に襲いかかってきた集団を、フィシュアは一人ずつ宝剣で確実に叩き伏せ、あるいは蹴り飛ばしていく。
振り向き様に腰を屈めたフィシュアは、左手側にいた男の懐へと素早く入り鳩尾へと宝剣を打ち込んだ。
背後に気配を感じ、フィシュアは振り返る。
「フィシュア! 危ない、後ろ!!」
振り返りながら、フィシュアは予期せぬ姿に目をみはった。
「テト!?」
驚きながらも、フィシュアは身をひるがえし、後ろから襲いかかって来た刃をよけ、男の背後へ回り込んだ。そのまま男の首の裏へと手刀を繰り出す。
崩れ落ちた男が床に沈み、意識を手放していることを確認しながら、フィシュアは声のした方角に視線を走らせた。
耳の錯覚などではなかった。
窓の外からこちらを覗き込んでいたのは、よく見知った栗色の髪に黒の瞳をもつ少年。
「どうして、ここに?」
動揺を隠せず呟いてしまった瞬間、フィシュアはしまったと思った。
いつの間にか攻撃が止んでいる。
フィシュアと同様、強盗たちも皆、突然の来訪者へと目を向けていた。
「テト! 早く走って逃げなさい!!」
叫んだが、遅かった。
窓の近くにいた男が、窓を開け放ち、むんずとテトの小さな身体を掴みあげた。
その手から逃れようと、テトがじたばたと暴れている。
「テト!」
フィシュアの悲痛な叫びに、強盗団の頭領が心底愉快そうに笑った。
「どうやら歌姫さんのお知りあいらしい。さしずめ小さな騎士様ってとこか?」
余裕に満ちた男たちの下卑た笑いが酒場中にこだまする。
テトを人質にとられては、動きようがない。
フィシュアは唇を噛んだ。
完全に形勢逆転だ。