第120話 絡まりのないもつれ目【6】
オギハの袖を引き、傍らから顔を出したイオルが不思議そうに眉を寄せる。
「待ってオギハ。フィシュアも。魔人の襲撃を見たっていう囚人は、魔人だとわかったはずでしょ? それだけで、ナイデルのいうイリアナの言い分は成り立たないじゃない。強盗団は皇族じゃないでしょ」
「——あ」
フィシュアは息をのんだ。
イオルが言っているのは、アエルナ地方で街が焼かれた瞬間に立ちあった強盗団のことだ。
そもそも魔人による皇都襲撃の可能性を示唆したのは彼らだ。にも関わらず、なぜ今まで彼らが口にした言葉を失念していたのかと、口元を覆う。
純粋に疑問のみが覗く義姉の紺色の双眸に見つめられ、フィシュアは硬く顎をひいた。
「……違います。彼らは、魔人とは思っていなかった。彼らが語った襲撃者の紋様の特徴と状況から、魔人と断定したのは、……私です」
牢で対峙した強盗団は、目撃した魔人のこともシェラートのことも魔法使いみたいなものかと言っていた。そう呼ばれてもおかしくない人物は、魔女や賢者しかいないと知っていたフィシュアが、それは魔人だと説明したのだ。
そう、とイオルは思案するように顎に指先をかけた。
「報告を聞いた限り、フィシュアの見解通り魔人で間違いないと思うけど。だとしたら、シュザネ殿とサーシャ殿以外で、即座に魔人と断定できたのはフィシュアしかいないことになるわね。民間人は直接的な交流があっても誰一人気づいていない。事例がわかれている分、皇族には見分けがつくというイリアナの見解にはある程度信憑性があると考えていた方が動きやすいかしら。それが確かだとして他の皇族に知らせなかった意図が不明だけど」
「でも、イオルちゃん。それもやっぱりおかしいよ。だって、そのシェラートが言うには、トゥイリカちゃんだって、魔人に会っていたらしいじゃない。けど、トゥイリカちゃん、わからなかったんでしょ?」
「……あぁ、うん、そうだねぇ」
ウィルナに振られ、トゥイリカは曖昧に頷いた。「それがどうにも腑に落ちないんだが」と、トゥイリカはやおら頬杖をつく。
「シェラート? 君は何を根拠にそう思ったわけ? 君たちみたいな紋様すら見てないし、心当たりがまるでないんだよね」
「消えかけてはいるが痕跡が残っていた」
「痕跡」
「残り香みたいなものだ」
「残り香」
シェラートの答えを繰り返し、トゥイリカは変な顔になる。姉の肩に手をかけ、くんくんとトゥイリカの首元を嗅いだウィルナは「澄んだお花の香りしかしないねぇ」とけたけたと笑った。
「それは、香水だね」
トゥイリカはウィルナの額をおざなりに押しやり、ちらとザハルを示した。
「あれを見つけ出せたのもそういうこと?」
「そうだ。フィシュアとロシュに残っていたのと同じものを辿った」
「僕の方は今朝急にこの人が現れたからびびったけどね。あのじいさんはともかく、小さな姫君にもあの男にも、この街にもそんな気配なかったし」
割り込んだザハルが茶化すように諸手をあげる。
「面倒ごとを引き寄せる気はない」と切り捨てたシェラートに、「いちいち掃除していく方が面倒じゃん?」とザハルは不平を言う。
「はじめからバカみたいに垂れ流さなきゃいいだろう」
「いや、言い方。そんなのできないからね? こっちだって、わざとやってるわけじゃないんだし」
ふむ、とトゥイリカは、言い合う魔人を尻目に、頬杖をついた手でラピスラズリの耳飾りを揺らした。
「その私が会ったっていう魔人を、《《それ》》と同じように見つけることは可能か?」
「難しい。さすがに時間が経ちすぎている」
「ふぅん、そういうものか。便利なのか不便なのかわからない特技だね。踏まえてどう思う、イオル」
トゥイリカに名指しされたイオルは従順に目を伏せた。
「であれば、魔人らを見分けることができるのは皇族と一括りに限定するのは尚早でしょうか」
イオルは用意された文を読みあげるよう淀みなく答え、その隣でオギハは鼻白んだ。
「お前のは信用ならない、トゥイリカ。数に含みようがない」
「ひどい言い草だね、オギハ? だが、フィシュアの情報も信用できないんじゃなかったのか?」
「お前よりナイデルの方がまだ信用できる」
「言うね」
ねぇ、とトゥイリカはヒビカに不満を訴える。平然と聞き流したヒビカの横で、ドヨムが面倒臭そうに頭をかいた。
「その辺にしろよ。やるなら俺らのいないとこでやってくれ。いちいち巻き込むな。大体、皇族《俺ら》に判断がつくかどうかがそんなに重要か? やることは同じだろ。見まわっている最中に、怪しい奴がいれば伝えるし、じゃなきゃ報告自体不可能だ。だろ、ルディ」
軍部を掌握しているドヨム同様、警備隊を通じ国内の状況を巡視しているルディは兄の意見に賛同する。
「可能性も念頭には入れておきますが、はっきりしない以上、俺としても頼みにすることはできません」
「だよな。確かに現れた時点で把握できたらそれに越したことはないが。だとしても、やっぱりそいつらを使った方が早く調べがつくだろ。お前、あっちにお仲間がどれだけいるかくらい把握してないのか?」
「ハッ。あんたがどうしてもって言うんなら、教えてやらないでもないけど?」
横柄な態度が気に障ったらしく、ザハルはドヨムを高みから見下しながら聞く。
いちいち張りあうな、とシェラートは指を動かし、宙に浮かび上がったザハルを元の位置へ引き摺り下ろした。
「——見た限り屋敷に魔人はこいつだけだった。直近で出入りしている気配もない。聞いたところで無駄だ。ザハルはほぼ何も知らなかった。もともと契約者のことはともかく、人間の事情には興味は持たない奴らだ。尺度が違う」
シェラートの答えを受け、ドヨムが「役に立たねぇな」と吐き捨てる。
「ナイデル自体が取るに足らない下っ端だと言ったでしょう。その下につくザハルが把握しているものなどたかが知れています」
隣からヒビカに嗜められ、「さすがにそこまで言ってなかったと思うんですけどね、おにーさま?」とドヨムは皮肉に頬を歪ませた。
「屋敷というのは?」
確認したトゥイリカへ、イオルは向き直る。
「ニギーラ家の古い別邸です。これを連れてくる過程でナイデルの居場所は特定しました」
「ふぅん。一族縁の邸宅を使うとは、まるで隠れる気がないね」
トゥイリカは、イオルの報告を鷹揚に受け入れた。
「元より落ち目のところをナイデルが一人寸でで繋いでいたみたいなものだったから、まだアレの方が自由に動かせるものが多いのかね」
興味なく頬杖をついたままトゥイリカは、面倒ごとを放るようにオギハに顎を向け、にこりと笑う。
「任せる」
オギハは溜息をつき、ドヨムに告げた。
「これがいた屋敷の監視の手配はしている。動きがあればお前たちにも報告を送るから急くな」
「なら、いーけど」
「魔人の見分けについては、ひとまずこの辺りで棚上げだな。一度、先代の五番目の姫の護衛官を探して呼び出すか。何か零しているかもしれない」
オギハの意見に、フィシュアは神妙に頷いた。
「召喚は可能ですが、カンガリ地方にいるため半月程必要です。……ロシュも何も聞いていないようでしたし可能性は低いかもしれません」
フィシュアが答えると、オギハは咎めるように目を眇めた。
「連絡を取っていたのか?」
「いいえ、私からは。ですが、ロシュが師である彼に連絡を取ることを禁じてはいません。オレオも任を解かれただけで、罪を問われたわけではありません」
フィシュアは悪びれなく言い、オギハは溜息混じりに手を振った。
「——まぁ、いい。連絡は任せる。できる限り早く呼び寄せろ。陛下への許可は後でとっておく」
「承知しました」
フィシュアは受諾し引きさがる。
「ちょっといいか」とシェラートが声をあげたのは、その時だった。
予定外の発言にぎょっとするイオルの隣で、オギハが首を巡らせ後方を振り仰ぐ。
「俺からも伝えておくことがある。シュザネもいる場で、確認しておきたい」
誰の承諾も待たず、シェラートは言った。
非難気に愁眉を寄せたイオルに対し、シュザネはぴんと背を伸ばし、場違いにきらきらと目を輝かせる。
「皇家のラピスラズリのことですかな?」
あぁ、とシェラートは頷いた。
「お前らのラピスラズリをこの場で全部見せろ」