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ラピスラズリのかけら  作者: いうら ゆう
第5章 継がれた名
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第116話 絡まりのないもつれ目【2】

 皇太子妃は、室内に入るなり石床に両膝をついた。

 鷹揚と構えるトゥイリカの前で、イオルは両手を額に寄せ最高礼を義姉にとる。

「久しぶりだね、イオル。ちょうどひと月ぶり?」

「はい。ご健勝の様子、何よりでございます、一番目の姫(アーネトリア)

「堅苦しいのはいいよ。別にそんなに気にすることはない」

 恐縮するようにさらに深く顔を伏せたイオルに、トゥイリカは無造作に手を振り立つよう促した。出迎えに席を立ったオギハへ顔を向ける。

「お前が呼んだの?」

「招きに応じていただき感謝する。シュザネ殿、サーシャ殿」

 オギハは賢者と魔女への挨拶に変え、長姉の疑問に答えた。

「構いません。フィシュア様から話を通してもらっていましたし、シュザネ殿の要望を受けていましたから」

「儂一人ではいくらか役不足ですからな。魔人ジンについての知識はともかく、力量においては儂らの中でサーシャ殿を凌ぐものはおりませぬ」

 穏やかに白髭をさするシュザネに変わり、サーシャは落ち着いた口調で応じた。歳の割に黒々とした豊かな髪を結い纏めている壮年の魔女は、どこか一線を引いた眼差しで、集った面々に対峙する。

「家族が巻き込まれるのはごめんですので、一度は聞いておこうと思ったまでです。必要ないと判断すれば、私は手を引きます」

「心得ている。顔を出していただいただけ、ありがたい。何せこちらは完全に専門外だ」

 トゥイリカはむしろ微笑み、歓迎した。愛想のない魔女の物言いに気色ばむ者など、この場にはいない。

 この場は、いわばダランズール帝国の中枢とも言える場所だ。一国の運営に加担することをよしとしない賢者と魔女が揃って公式な招聘に応じることなど稀である。東の魔女(サーシャ)の管轄はその冠名の通り西大陸(ここ)ではなく、東大陸だからなおさらだ。

 この先、魔人ジンを用いた襲撃が本当にあるかはともかく、現時点で魔人ジンによる被害が各所で——事実、皇都でも発生した今回の事態は、この国の歴史においても異例と言えた。

「それで、これが例の魔人ジンか。フィシュアから取り上げたんだって?」

「真っ当な判断だ」

 棘あるトゥイリカの言いようを、オギハは両断した。

 トゥイリカは、扉近くに控えている魔人ジンに目を向ける。

 黒髪に翡翠の双眸を持つ魔人ジンは、この国の者とは違う異国風の顔立ちをしているものの、それ以外は普通の若者と変わらないように見える。

「どんなものかと思ったけど、魔人ジンというよりサーシャ様と同じカーマイル人といった感じだね」

「だねぇ」

 いつの間にトゥイリカの傍に寄ったウィルナが、長姉の腕をとり感心したようにまじまじと見つめた。

「ウィルナも魔人ジンに会うのは初めて?」

「うん。そうない機会だし見てみたかったんだけど、フィシュアちゃん全然私のところに連れてきてくれないんだもん。けど、イオルちゃんが契約したんでしょ?」

 トゥイリカの腕にしがみついたまま、ウィルナはうすらと口の両端をあげ、イオルへ水を向けた。

「名をシェラートと申します」

 静かに応じたイオルに、トゥイリカは「そうか」と頷き、改めてシェラートを眇め見る。紹介にあたっても表情一つ動かさない魔人ジンは、ひどく愛嬌がない。報告で受けていたこととのあまりの差異に、トゥイリカは忍び笑った。

「まさか本物の魔人ジンを目にする日がくるとはね。私の名はトゥイリカで、こちらはウィルナ。はじめましてね?」

「お前は初めてじゃないだろう。魔人ジンに会ったことがあるはずだ。それもこの一週間の内に」

 思いがけない指摘に、トゥイリカは驚いて隣にいるウィルナを見た。腕にしがみついたまま、ウィルナがぶんぶんと首を横に振る。

「私じゃないよ。だって皇宮と屋敷しか往復してないし、知り合い以外会ってないもん。それに、この魔人ジンが見てるのトゥイリカちゃんだったでしょ」

「なら、やはり私か?」

 皆の注目が集まる中、思案の結果を確かめるように漏らしたトゥイリカに、シェラートはうさんくそうに眉をひそめた。

「君には初めて会うよね? というと、今回の旅のどこかですれ違ったかな。あるいは、話したうちの誰かだろうか」

 心当たりがない、とトゥイリカは顎に手を添える。思案に沈んだ長姉の呟きに、離れた場所にいたフィシュアもまた思考を巡らせることになった。



「はじめよう」

 予定していた面々が揃ったことを受け、オギハは声をかけた。

 皆が自席に着く傍ら、イオルがシュザネとサーシャを席に案内する。

 すれ違う間際、シュザネはサーシャに先を譲り、フィシュアの腕にそっと手を添えた。

「ご無事で何より」

老師せんせい

 はっと顔をあげたフィシュアが口にしようとした謝罪を、シュザネは片手で制した。表情の硬いフィシュアを安心させるよう、水色のまなこを和らげ、柔らかに皺をたたむ。

「見舞いにいらした時には、儂はもういなかったでしょうから心配させましたな。シェラート殿には今朝方、年甲斐もなくこっぴどく叱られましたが、おかげでこの通り! ぴんぴんしております」

 シュザネは、ふぉっふぉっふぉっ、といつも通りに白髭を揺らし笑ってみせる。

 昨晩、無数にあったはずの傷は綺麗に消えていて、顔色も明るかった。

 シュザネは治癒魔法は使えないと以前話していた。シュザネの物言いから、シェラートが治療したのだろうと察しがついた。

 フィシュアは、今しがた目の前をすり抜けて行ったシェラートの背を追う。

 シュザネが声をかけてきたのと同時に、ちらとシェラートが視線を寄越したのがわかった。それでも、この場にあってはさらに、どう声をかけてよいのかわからない。

 シュザネにぽんぽんと腕を叩かれ、フィシュアは意識を引き戻す。

「シェラート殿のこと。力及ばず、すまんかったの」

「いえ、老師せんせいは悪くありません」

「うむ。誰も悪くはない。それはフィシュア様もですぞ。だからあまりご自身を責めてはなりませぬよ」

 シュザネは労わるように念を押し、ゆったりとした足取りで用意された席に向かった。

 フィシュアも自席に着いた。

 代々、皇族の会議に使われる場。中央を貫く白石の長机を挟み、兄姉きょうだいが位階ごとに向き合う。フィスの位を持つフィシュアとルディは、この場では末席となる。

 参加していない者も多い分、空席は目立つものの各椅子に座ることができる皇族の位階は古くから厳密に定められていた。

 そのため、招客ではあるものの賢者と魔女の席は一番目の皇子(アーネトゥス)オギハの対面——一番目の姫(アーネトリア)トゥイリカの後方に配置されている。

 集った面々を見渡したオギハは、改めて賢者と魔女に謝意を伝えてから、隣席の妃へ命じた。

「まずは確認から。――イオル、出せ」

 イオルは首肯し、背後に控える魔人ジンに目配せした。

 契約者の指示を受けたシェラートが、机の方に伸ばした腕を真横に薙ぐ。手の動きに呼応し、机上の空中に裂け目が生じていく。

 何が起こっているのか状況を飲み込むことができない面々の前で、布が切り裂かれたように空間がぱっくりと開いた。

 白机の真上に広がるのは、暗い石造りの部屋。鉄格子越しに通路と石壁に灯された明かりが見える。

 入り混じった臭気と湿りを帯びた独特の空気が漂い、肌にまとわりつくようだった。

 皇宮の隅にある地下牢だ、とフィシュアは悟る。

 途端、裂け目から金髪の男が押し出され、肩から石机にどてっと転がり落ちた。

「いてててててて……」

 間の抜けた嘆きを伴い、痛む肩を摩りながら、男が上体を起こす。痛みに顔を顰め歪んでいた黄の双眸が、徐々に開かれていくにつれ、フィシュアは目を瞠った。

 知らされていなかった者たちが一斉に緊張をはらむ。

 皇太子妃の後ろに立つシェラートを見つけ出した男は、思い切り口を尖らせた。

「だからさぁ! 何度も言ってるけど、ちょっと扱いがひどすぎない?」

 ぶつくさ文句を言いながら、彼は痛めた右肩をぐるぐる回し、無事に動くことを確かめた。不満も顕に机上で胡坐をかき、鎮座する。組んだ自身の足首を持つ棒切れのような手首の一方には黒い紋様があった。

 呆然とするフィシュアの向かいで、息を呑んだのはルディだった。

魔人ジン……」

 呟かれた呼称に、金髪の男は黄眸を瞬かせた。

 取り囲む人間の存在をはじめて認識したらしく、興味津々にぐるりと首を巡らせる。

「おっ!」

 彼はフィシュアに気づき、目を止めた。

小さな姫君(ディーオ・トリア)だ。昨日はどうも」

「お前……」

 フィシュアは昨夜と違わず楽しげに煌めいた魔人ジンの黄眸に血の気がひいた。

 なぜここに、という疑問を飲み込み、彼女は脚に備え付けている短剣の感触を服の上から確かめる。目を閉じなくとも、昨夜の出来事がまざまざと蘇った。

 明るい午後の光のもと、昨夜よりもはっきりとした姿をさらした魔人ジンに、フィシュアは狙いを定める。

 窓辺から差し込む日差しに照らし出された顔は十代後半のそれに近く、暗がりで相対した時よりもぐっと幼く見えた。

「なぁなぁ、あるじが嘆いていたよ? 小さな姫君(ディーオ・トリア)がついてきてくれなかったって」

 黄眸の魔人ジンは、ひょろりとした痩身を折り、フィシュアの方へ身を乗り出してくる。

「昔はずっと後ろをくっついて回っていたんだって? けど、大きくなったあんたを見られたのは嬉しかったってさ」

「そう」

 フィシュアは、短く答えた。

 黄眸の魔人ジンの話ぶりは、おどけているというよりも、久しぶりに会った友人相手に溜め込んでいた話題を吐き出しているかのようだった。それくらい、のんびりと構えた彼は、嬉々として話し続ける。

あるじ小さな姫君(ディーオ・トリア)は仲がよかったんだってね。とてもそうは見えなかっ……――へぶしっ!?」

 ビタンッ、と黄眸の魔人ジンは突如、机面に鼻面を打ちつけた。

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