幕間 聖女とマトリの花
「あの……」
カサハと一緒に森に来た美生は、やや離れた場所を歩く彼の背中に声を掛けた。
「あの、カサハさん。やっぱり私が近くにいたら調査しにくいですか……?」
近付こうと歩みを速めればカサハもそれに合わせて離れ、けれど離れ過ぎたなら彼は立ち止まって待っていてくれる。何度かそれを繰り返した後、美生は思い切って彼に尋ねてみた。
「そういったことは無い。だが、俺から離れていた方がいい」
「そう、ですか……」
調査に支障は無いが離れて欲しいという、予想以上に耳が痛い答えが来て、美生は眉尻を下げた。
「俺は魔法衣を着ているからな」
「え?」
どうやらそういった意味ではないらしい。
とは言え、カサハが言ったそれが何故理由になるのか解らず、美生は首を傾げた。
「本来、魔法衣は要人用の高級防具なのだが、皮肉にもマナが好物の奴らにはそのマナを消費して効力を発揮する魔法衣が目の敵として映るらしい。神官たちが魔獣に襲われたのも、魔法衣を身に付けていたせいだろう。その性質を利用して、俺が日常的に魔法衣を身に付けることで、他の住人が魔獣に襲われにくいようにしている」
変わらず美生との距離を保ちながら、カサハが淡々と魔法衣について説明する。
「戦闘時には俺は良い囮だ。だが、そうでないときは敵寄せの鈴のようなもの。だから普段はあまり俺に近付くのは――」
「わかりました。魔獣が出たら援護を頑張りますね」
ようやく最初に彼が言った言葉と繋がり、美生はカサハの言葉を遮った。
僅かに目を瞠った彼の様子からいって、彼は美生が解っていて敢えてそうしたことに直ぐに気付いたようだった。
「――そうか」
少し間を置いてそう零したカサハが逡巡した様子を見せ、それから美生の方へと歩み寄ってくる。
手を伸ばせば届くほどの距離まで来た彼と、美生は再び歩き始めた。
「マトリの花だ」
暫く歩いたところで、突然カサハが立ち止まった。
目の前には花畑。どうやらこの花畑の花がマトリという名前らしい。
花は色違いで二色咲いていた。花畑の手前は鮮やかな赤色で、奥は新雪のように真っ白な色だ。見た目はパンジーに似ていた。
「ナツメが言ったように、本当に時間が止まっていたようだ。マトリの花は年に二度、同じ花が色違いの花を咲かせる。春に白色、秋に赤色。当たり前だが、通常両方が同時に咲くことは無い」
「ルシスにはそんな変わった花もあるんですね」
「ああ、ルシスでも珍しいから花に興味の無い俺でも知っていた」
美生は花畑の側にしゃがみ込んだ。
ほんのり甘い感じがする良い匂いだ。
「可愛いお花ですね。あ、ルシスには花言葉ってあるんですか?」
聞いて、直ぐさま「しまった」と思った。
「そういうものがあるというのは聞いたことはあるが……すまない、俺は知らない」
案の定、見上げたカサハから「知らない」という返答がくる。
「いえ、私の世界でも男の人は知らない人が多かったですから」
美生は立ち上がり、申し訳無さそうにしていたカサハに慌てて言った。
(でも、あるんだ花言葉)
足下に咲くマトリの花をもう一度見る。
「代わりと言っては何だが、薬草の薬効なら大抵のものは答えられる」
そこへ大真面目なカサハの声が頭上から降ってきて、美生は思わず吹き出しそうになった。
「聞きたいです」
彼の優しい代替え案に快く乗る。実際、薬草の薬効というのにも興味があった。
「そうか」
「この近くにも薬草が生えているんですか?」
「ああ」
「そうなんですね。私は全然見分けがつかないと思います」
「そうだろうな。今、お前が踏んでいるのもそれだ」
「えっ」
カサハの台詞に反射的に飛び退く。
それから美生は、自分が踏んでいたはずの場所に目を遣った。
あのギザギザした葉の如何にもな草だろうか、それとも裏をかいて一番多く見られる細長い葉をした草だろうか。
「ギザギザした葉の草ですか?」
悩んだあげく、美生は如何にもな方を指差してカサハを見上げた。
「ハズレだ」
目が合った彼が、微かに笑っていた気がした。
夕方。調査の同行から邸に戻った美生は、中庭へと出ていた。玄関ホールから硝子越しに先程森で見たマトリの花が目に入ったからだ。
「こんにちは」
美生は庭の手入れをしていた年配の女性に声を掛けた。
「おや、確かルーセンさんのお知り合いの」
「はい、美生と言います」
ルーセンとも今日初めて知り合ったのだが、自分がここに来た経緯はややこしい。美生は彼女の言葉に頷いておいた。
「それ、マトリの花ですよね?」
「そうですよ。あなたもお好きですか?」
女性の手が丁寧に花壇の雑草を取り除いていく。
屈んで作業している女性の隣に、美生も屈み込んだ。
「はい。可愛いお花ですよね」
大きめの花壇いっぱいにマトリの花が咲いている。白色のマトリの花――春の色だ。
「王都で人気があるんでしょう? ここで栽培している花は殆ど王都向けに出荷されると聞いていますよ」
「そうなんですか。えっと、私はそういうのに疎くて……」
食堂でルーセンが言っていたように、周りには自分と彩子は王都から来た人間だと思われているらしい。王都の人間のくせに世間知らずだと思われるかもしれないが、異世界人だと変な目で見られるよりは良かったと思う。
「あっ。あの、マトリの花言葉ってご存じですか?」
ふと、カサハとの会話を思い出した美生は、丁度手を止めた女性に聞いてみた。
女性がこちらに振り向く。
「ええ、勿論。『あなたを私で染め変える』、だそうよ」
「あなたを――」
美生は女性が教えてくれた花言葉を繰り返そうとして、恥ずかしさに途中で口を噤んだ。
『あなたを私で染め変える』。
言えなかったそれを心の中で復誦する。
何というか大人っぽい響きだ。王都で人気があるというのも、この花言葉が関係してたりするんだろうか。
そう言えば、マトリの花と似たパンジーの花言葉は『私のことを想って』だ。能動的か受動的かの違いだけで、案外花言葉も似ているのかもしれない。
それにしても、カサハがマトリの花言葉を知らないで良かった。何気なく聞いてしまったから、もし彼が知っていたら、きっとお互い居た堪らない気持ちになっていただろう。
何本かのマトリの花を籠に入れた女性が身を起こし、美生も立ち上がった。
「商品としての基準に満たない花は、自由に邸に飾ってもらって構いませんよ。お持ちになりますか?」
どうやら籠の中のそれが「基準に満たない花」らしい。美生にはどこがどう駄目なのかわからないほど、全部綺麗な花に見えた。
マトリの花は可愛いし、花を部屋に飾るのも好きだ。
でも――
「えっと……今は、いいです。また今度欲しくなったらお願いしていいですか?」
「ええ、いつでもどうぞ」
ちょっと今は先程聞いた花言葉のインパクトが強すぎる。
美生は女性にお礼を言って、中庭を後にした。




