06.攻略対象キャラ
滞在中使わせてもらうことになった資料室に来た彩子は、長椅子の背に掛けられた毛布を手に取った。長椅子の上には枕代わりらしきクッションも置かれている。それから寝間着っぽい服も一緒に置かれていた。彩子がここで寝泊まりするために用意されたものだろう。
長椅子に腰を下ろす。座り心地は快適、手にした毛布も我が家の安い奴よりも肌触りが断然良い。彩子は靴を脱ぎ、長椅子の上で胡座になった。
(あれが……転送ポータル)
今し方体験してきた何ともファンタジーだった一時を思い返す。
一言で表せば、超高速エレベーター。入った瞬間にもう目的の階に到着的な。
そう言えばゲームによってはあの手の装置は、一度人間を分解して転送先で再構成しているという設定だったりもしたっけ――
ふと思い出したゲーム知識に、彩子は自分の左手をぷらぷらと軽く振ってみた。
大丈夫……な、はず。
あまり考えないでおこう、うん。
気を取り直して、彩子は帰り際ロイに頼んで貰った紙を側の机の上に置いた。
『カサハのイベント発生』……と。
やはり貰ったペンでサラサラと、そう記す。そしてその文章の下に関連するイベントの概要を箇条書きで書き連ねたところで、彩子は紙の上に落ちる人影に気付いた。
顔を上げ、その人物を見る。
「先程貴女が言っていた「やること」とは、それのことですか?」
「ナツメ? ルーセンと出掛けたままと思っていたわ」
「俺に割り当てられた仕事は終わらせてきました。貴女が来ないということは、戦闘にはならないということでしょう? それなら彼らは野放しでも構いませんよ」
「野放し……」
「それで、何を書いていたんですか? 貴女の世界の文字かと思いますが」
「ああ、これ。さっき美生がカサハと出掛けると言っていたから、そうなった場合の今後の展開を書き出していたのよ」
「そうなった場合、とは?」
彩子が答えたことで聞いても構わない内容だと判断したのか、ナツメはさらに尋ねながら彩子の隣に腰を下ろした。
「私が物語としてこの世界の未来を視ている話はしたわよね?」
「ええ」
「その物語は『彩生世界』って言うんだけど、『彩生世界』は結末が一つじゃないのよ。美生が取った言動で未来がどうなるか変わる物語なの」
「ミウさんが取った言動で未来が変わる? では、貴女が知っている未来と変わってしまうことも有り得るということですか?」
「あ、それは大丈夫。この後、八回三択の分岐が来るけど、どれを選んだらどうなるのか全部頭に入ってるから」
「は?」
「戦闘もそれと似たようなもので、勝てた手順通りやれば次も勝てるようになってるのよ。だからそこから外れないように気を付けないといけないわけ」
「――待って下さい。つまり、貴女の『予言』とは単に物語を読んだという単純な話では無く、貴女が作中にあるすべての分岐や戦闘手順を試し、そのすべてについての結果を記憶しているということですか!?」
「そういう言い方をされると何かすごいことに聞こえるけど、違ってはいないわね」
「いえ、普通に「すごいこと」だと思いますよ。俺は神殿での貴女の口振りから複数の結果があるらしいとは思っても、予め用意された結果から貴女が任意で選んだものと思っていました。それが貴女が実際幾通りも試したものだったとは……想定外過ぎます」
ナツメが彼には珍しく急いた口調で言う。それにナツメのここまではっきりとした驚いた顔というのもまた、見慣れないものだった。少なくともゲーム本編には、そんな場面は無かったように思う。
「ゲームはダイジェストで進行するから、裏舞台が見られるというのも面白いわね。とは言っても夢で私が勝手に作ってるだけだろうけど」
「神殿でも言いましたが、ルシスは夢ではありませんよ」
目の前のナツメが見せた知らない一面も含めて彩子が言った感想は、直ぐさまにそのナツメに否定された。
「そうは言っても、異世界に召喚なんてねぇ」
「こう言えば解りますか? 貴女の世界では異世界召喚が不可能でも、俺たちの世界では可能。可能な世界から不可能な世界の人間を喚んだ、それだけのことだと」
「うっ」
「先程、転送ポータルまで試しておいて、往生際が悪いですよ」
「ううっ」
ナツメの説明に、彩子は呻いた。彼が言った通り、「解ってしまった」から。
「そう言われると完全否定は出来ないわ。……本当に、本当なの? この世界は」
「ええ、本当に本当ですよ」
苦い顔になった彩子とは対照的に良い笑顔なナツメが、そう返してくる。
(あ……)
そのナツメを見て彩子は、はたと思った。
生き生きとした彼は、容貌さえファンタジーで無ければ現実世界となんら変わりない。風景も当たり前だが一枚絵ではなく、見る角度によってちゃんと違ってくる。人物も風景も、ここでは「生きて」いる。
(私はここで「生きて」いるのかしら?)
例えここに在るのが本当だとしても、自分に求められてるのは、この物語の「外」の人間であることが前提の情報だ。
(システムグラフィックが近いかも)
メニューやアイコンを選択するカーソルを思い浮かべる。物語の中の人物が知り得ない情報へアクセスしたり、戦闘の手順を決めたり。ゲームの一部でありながら、ゲームの外にある、そんなシステムグラフィック。彩子は自分の考えに、言い得て妙だと苦笑した。
計ったかのように『彩生世界』のシステムグラフィックは、彩子が描いた絵だった。それも、初めての仕事として。何度もやっているのも、このゲーム自体が好きということに加えて思い入れもある作品だからだった。
「それにしても……当然ですがここは休むには適していない場所ですね。東館になら部屋が空いていますし、やはり今からでも急ぎで用意させましょうか?」
一度は納得したものの実際に目にしたことで、これはどうかと思ったのだろう。ナツメが彩子に提案してくる。
彩子はナツメが言った「東館の空き室」について、頭の中で邸の見取り図を開いて見た。
「それって、東の廊下の端で東側の部屋のこと?」
「そんなことまで知っているんですか」
「うん、私の知るルシスでもそこは空き部屋になってる。だから、そこはここでも空き部屋でないと駄目だと思う」
「……予言者というのも、儘ならないものですね」
「そうね。ま、そういうことだから気にしないで」
「そう言えば用意されていた寝間着は一度着てみましたか? サイズは合うはずですが、肌触りが問題なら別の生地のものに替えることも可能ですよ」
「あ、それなんだけど、私が今着てるのが元々寝間着なのよ」
だから後で返そうと思っていた。そう彩子は続けるつもりだった。
「アヤコさん」
「はい……」
ナツメの笑ってない笑顔を見るまでは。
「貴女は喚ばれた後、ひとしきり自分の姿を確認し、そして俺に靴の調達を頼みましたよね」
「はい……」
「では、尋ねましょう。貴女の身なりで足りないのは、本当に靴だけでしたか?」
「いいえ……」
「一応俺たちと同じ常識だったようで良かったです。明日の朝までに外出用の服を用意させます」
「あはは……ありがとう、ナツメ」
溜息とともに冷ややかなオーラをようやくしまってくれたナツメに、彩子は乾いた笑いで礼を言った。
「それと様子も見に来てくれてありがとう。あ、少し早いけどおやすみなさい」
椅子から立ち上がったナツメに彼の用事は終わったものと見て、彩子は就寝の挨拶をした。
そうしたことでナツメは何かを思い出したらしい、彼が「ああ、そうでした」と呟く。
「本来の目的を忘れるところでした。様子見もありましたが、これを貴女に渡そうと訪ねたんです」
それからナツメは、手にしていた本を彩子へ差し出してきた。
「どうぞ。日常生活を描いた子供向けの絵本です。これが読めるようになれば、街で暮らす分には問題無いかと思います」
「! どうして文字が読めないってわかったの!?」
反射的に本を受け取った彩子は、バッとナツメの顔を見上げた。
美生でさえ気付いた様子は無かった。突然ルシスの文字が読めるようになった彼女は、まさか自分よりもルシスに詳しい彩子が文字が読めないとは思わなかったのだろう。カサハとルーセンも然りだ。
「入浴について話していた時に、貴女はミウさんに「一緒に行っていいか」と尋ねました。俺は貴女ならそんな時、「一緒に行こう」と彼女を誘うような気がしたんです。それなのに貴女はそうしなかった。だから俺は、貴女が文字を読めないのではと思い至りました」
「……さすが、攻略対象キャラ」
思わず感嘆の溜息が出る。
これは、惚れる。キャラによって形は違えど、各人こういった心を揺さぶる言動を取ってくるわけで。そんなイケメンたちと恋愛状態になり頻繁にこんなことをされようものなら、確かに美生でなくともこのままこの世界に残ってもいいかもと魔が差すこともあるかもしれない。
「攻略対象キャラ?」
「あ、気にしないで。私の世界の専門用語みたいものだから。あと、褒め言葉だから」
「褒めているだろうことは、貴女の言い方でわかりました。それにしても、俺のことをよく知っているようなのに、貴女は事あるごとに俺に感心するんですね」
「例えば、昔親切にしてくれた人と再会して、やっぱり親切にしてもらえたなら、初めての時と同じくらいもしくはそれ以上に感心すると思うけど?」
「なるほど。そう言われると腑に落ちます」
彩子の返答にナツメが目を瞠り、それから彼はフッと目を細めて笑った。
「夢でも結局は現実と取る行動は変わらないだとか、今の例え話だとか、貴女の答えは面白くて飽きないですね。俺は好きですよ、そういうの」
「!?」
思わず、ドキリとする。
イケメンの微笑みからの、突然の「好き」ワード。
「それでは俺はこれで失礼します。おやすみなさい、アヤコさん」
そしてそんなつもりは無い攻略対象キャラ。
「え、あ、うん。おやすみなさい。本をありがとう……」
ナツメが退室するのを見送り、
「う、わー……」
彩子は貰った本を抱えてその場で丸まった。ついでに両手で顔も覆った。
まだドキドキと鼓動が早いのがわかる。
「これは……確かに駄目だわ」
こういった意味が違うとわかっていても「好き」の単語に反応してしまうという流れは、恋愛ゲームでは定番イベントではあるが、わかっていても効果は抜群だと言うことがたった今判明。過去プレイした乙女ゲームのヒロインたちに「これくらいで赤面するなんて」と思っていた自分の無知を心からお詫び申し上げる。
「しかもそれをしたのがナツメというのが、また……」
ナツメは本編ではこの手のイベントは存在しなかった。その新鮮さも相俟ってより破壊力が増していると言えよう。
「現実、ねぇ……」
現実だと思い始めた途端に現実味の無いイベントが発生したものの、目が覚めてからこれまで夢特有の継ぎ接ぎ感というか支離滅裂さは無かったように思う。
現実だとして、困ることを考えてみる。
死ぬ――は、戦闘は勝利パターンを知っているし、それ以外の要因であれば元の世界でも普通に起こるのでルシスだからどうこうというのは無い。
衣食住――は、揃ってる。それもお風呂まで付いてくる。美生が戻ったら一緒に行く約束だ。
元の世界に戻れるかの心配は――無い。美生が元の世界に帰還した場合のエンディングも見たことがある。そこでは彼女はルシスに召喚される直前の時間軸で戻されていたので、行方不明者になっている心配もない。
――あれ?
「まさか、たいして困ることが無いなんて……」
不安を抱えながら頑張っていた美生に申し訳ないほど、困ることが無い。
「……イベントの書き出し、頑張ろう」
物語の先を美生に話すわけにはいかない。だからせめて彼女の力になれるところは、全力でやろう。
「よし!」
彩子は気合いを入れるように、自分の頬をパチンと叩いた。




