32.二つの物語
「アヤコさんっ、こちらへ!」
「!」
ナツメの手に引かれ、彩子は『交信の間』から階段へと連れ出された。
直後、
バシンッ
目前まで来た魔獣が、見えない壁にぶつかり反動で床に転がる。
「貴女の反応からいって、ここで魔獣と鉢合わせるのは想定外。それでいいですね?」
階段を駆け上がりながら、ナツメに確認される。
「そ、う。本当は、ナツメが上で皆と合流して、それから……それなのに、私……」
「俺も貴女との決め事を破って咄嗟に『盾』を張ってしまったので、予言からの逸脱は後先でしたよ。と言うより、責任があるなら俺の方でしょうね」
「それは違うわ。私が――」
「貴女が、俺と離れたくなかったから?」
「……っ」
図星を突かれる。そしてそれは同時に、彩子を沈黙させる彼の狙いでもあった。
ナツメが立ち止まり、一段下りる。代わりに彩子を一段上がらせ、それから彼は魔獣に注意を向けた。
「どうやら巧く足止め出来たようですね」
繰り返し響く魔獣の『盾』にぶつかる音に、ナツメがそう口にする。
『盾』の魔法は障壁を発生させるもので、その効果は魔獣を跳ね返すほどに強固なものだ。ただ、その分扱いが難しく、一度に一箇所しか張れない上に範囲が五十センチ四方と狭い。
そんな使える場面が限られる魔法だが、確かに部屋の出入口といったような幅の狭い場所に設置したなら、効果は十二分に発揮されるだろう。
「さて、と」
三度程『盾』が鳴る音を聞いた後、ナツメは彩子に向き直った。
「取り敢えず口裏を合わせておきましょうか。俺が地下で魔獣と鉢合わせるのが、物語の流れということで。アヤコさん、彼らに予言から外れたことを悟られないようにして下さい」
「え?」
途端、彼から思いがけない指示が来て、彩子は思わず聞き返した。
確かにナツメは以前、センシルカの街で「未来は明るいと思わせることが予言の最大の効果」だというような話をしてはいたけれど。
「待って。勝利パターンが使えないなら、私は指示なんて出せないわよ!?」
段差の分だけ近くなったナツメと、目が合う。
「……っ」
不意にナツメの邸で見た悪夢が蘇り、彩子は恐怖に瞳を揺らした。
「戦略とかそういうの、本当にわからないの。私は、私はずっと狡をしてきただけだからっ」
倒れて動かないナツメを頭から振り払おうとしても、消えてくれない。
口の中が乾く。
彩子の背中を、冷たいものが流れた。
「違います。貴女は決して今まで狡い手を使っていたわけじゃありません。貴女は幾度も自分で試した結果を活用していただけであって、それは真っ当な行為です」
「それは失敗したから何度も試すことになったのよ。ここでは失敗出来ない、だってそれは――」
「失敗しませんよ」
「――ナツメ?」
魔獣の気配を絶えず探ってはいるのだろうが、ナツメは先程から彩子と向かい合ったまま――魔獣に背を向けたままだ。
こちらを見るナツメの瞳は、彩子とは対照的に穏やかで。落ち着き払っている彼に、彩子は逆に落ち着かないでいた。
「初日に食堂でした話、覚えていますか? 俺は、『ミウさんが異世界に召喚された物語』を貴女が見ていたように、『ミウさんが異世界に召喚された物語を見ているアヤコさんが出てくる物語』を見ている人がいるかもしれないと、そう話しました」
何故、今その話を? ナツメの意図が読めず、彩子は困惑して彼を見つめた。
予言から外れ、未来はわからなくなった。魔獣の唸り声も、障壁を破らんとする体当たりの音も、途切れなく聞こえてきているというのに。
「我ながら、的を射てるのではと思っているんですよ。今、貴女が知らない物語が始まった。それは貴女が主人公の物語です。『聖女ではないアヤコさんが救う世界』。だから、大丈夫です」
「私の、物語って……」
ようやくナツメの言わんとしていることは、わかった。だが、だからといって理解は別だ。
仮にナツメが言うように、ここが自分が救う世界だとしても、それは『救える』とイコールにはならない。本来の聖女である美生でさえ、世界を救えるのはそういう結末に繋がる手順を取った時のみなのだから。
ナツメは、そのくらいは承知のはず。
「何を……考えているの?」
やはり読めない彼の胸の内を知りたくて、彩子は率直に尋ねた。
「何をと問われれば、何もという答しかないですね」
「は?」
しかしその返答は意外過ぎるもので、彩子は間の抜けた声を上げた。
「いやだって、何も考える必要など無いでしょう。敵側はもう、詰んでいるわけですし」
「?」
言ったナツメがククッと笑うも、彩子の頭には疑問符しかない。
「魔獣は『交信の間』の出入口で、引っ掛かっているんです。そのまま『盾』の後ろでカサハさんに『盾』を張り直す時間稼ぎをしてもらい、ルーセンさんとミウさんに遠距離攻撃してもらえばいい。魔獣は無抵抗のまま、戦闘終了ですよ」
「……え?」
「増援が来たところで前が支えているので、当たるのは常に一体のみ。こちらは安全、なんなら無傷。これほど俺たちに都合の良い方向に書き換えるとは、さすが貴女の物語です」
「ええー……?」
何だそれ。何だそれ。
増援バンバン、直線上ならマップの端から端まで突っ込んでくる魔獣が面倒な最終面。それがまさかのボーナスステージ?
元来の性質が『マナを集める』ものだからか、遠距離攻撃をしてくる魔獣はいない。『盾』が破れるまで先頭の魔獣は、体当たりを続けるだろう。よって、本当にナツメが口にしたような戦況になるわけで。
唯一懸念があるとすれば、カサハと合流する前に『盾』が破られることだろうが――
「どういう状況だ? 上まで音が聞こえていた」
その懸念も今、払拭されたようだ。
階段の上から、カサハ、美生、ルーセンの順で下りてくるのが見えた。
「ああ、カサハさん。どうやらここで俺が魔獣を釣ってしまう展開のようで。まあ、見ての通り問題ありません。『盾』を張り直すので、俺が消した瞬間、魔獣に攻撃を加えて退かせてもらえますか?」
「わかった」
カサハが頷き、彩子とナツメの横を抜けて前に進み出る。
「確か発動中は、『盾』の四隅に緑の光が現れているんだったな」
「そうです。では行きます」
「はっ」
絶妙のタイミングでカサハが一撃を繰り出し、ナツメが『盾』を張り直す。それからナツメは、ルーセンと美生を振り返った。
「これで後は、ひたすら遠距離攻撃で魔獣を消して行くだけです」
「そりゃまたここに来てやたらと地味な――って、あ、もしかしてこれも例の『並行世界』が云々て奴?」
武器を構えたルーセンが、ピンと来たというように彩子を見てくる。
「こっちじゃない話は、地上で三体の魔獣に囲まれたところから始まって、二体倒してやれやれと思ったら地下からまた五体現れて。うんざりしてると駄目押しで三体増える忙しいものに」
「僕は今日、最大級にアヤコを尊敬しました!」
「ありがとう」
いつぞやを思い起こさせる遣り取りに、彩子は思わず笑みを零した。
ルーセンの勘違いに乗ったことで、どうやら自然な形で『予言から外れたことを悟られないように』が成されたようだ。
ルーセンと美生が前方へ移動し、ナツメと彩子は少し後方へと下がった。
「今、言っていたのが元の物語ですか。随分、楽になったものです」
ルーセンと美生が攻撃に集中したのを見計らって、ナツメが彩子に耳打ちしてくる。
「これはこれで狡いような」
「そんなことはありませんよ。貴女の物語なんですから、貴女の望み通りになったって、おかしくはないでしょう?」
「私の、望み通りに……」
彩子はナツメの言葉を復誦した。
彼とは違う意味を持たせて。
「そうね。ここはきっと、私の望みが叶う世界だわ」
瞬く間に、第一波である二体目の魔獣が消滅する。
この後の五体も、その次の三体も、難なく討てるだろう。
(それが終わったら、私は……)
ルーセンから増援が来たという声が上がる。
彩子はそれが気になった振りをして、ナツメから目を逸らした。




