29.願いと選択
ルシスの各地を巡り、また神殿へと戻ってきた。ここは物語が始まり、そして終わる場所。
彩子は窓の向こうの神殿を眺めながら、西館の廊下を歩いた。
曲がり角を曲がり、足を止める。彩子は右手の部屋――資料室の扉を開いた。
(この部屋に来るのも久しぶりね)
室内に入り、扉に手を掛けたまま後ろを振り返る。
「どうぞ、美生。入って」
「お邪魔します」
美生が断りを入れて、部屋の中に入ってくる。彼女とは夕食後、食堂からここまで一緒に来ていた。
長椅子のところまで行き、並んで座る。
「あの、彩子さん」
美生が口火を切り、彩子は彼女に顔を向けた。
「私、ルシスに残ることにしました」
一言一言、美生が丁寧に口にする。
「私、家族が好きです。温かくて、今でも帰りたい場所に変わりはありません。でも、だからこそ気付いてしまったんです。私は、カサハさんとそんな場所を築きたいって。それが私の夢で、元の世界ではそれは叶えられないんだって」
「……そっか」
美生の告白に、彩子は短く相槌を打った。
正直ゲームプレイ中は、そう簡単に異世界を選べるものかと思っていた。けれどこうして直に聞いてみて、すんなりと納得が行ってしまった。
(『家族が好きだから、カサハと家族になりたい』、か……)
これ以上ない彼女らしいその理由は、どうして今まで思い至らなかったのだろうと思う程だ。
(そんな台詞が美生から出る辺り、少し前にカサハとあのイベントをやってたわけよね)
要らないことまで思い出してしまい、彩子はぐっと背伸びをして誤魔化した。
「彩子さんは、どうするんですか?」
「ん?」
万歳の体勢のまま、美生に目を向ける。
『ルシスに残る』
『元の世界に帰る』
彼女と自分との間に、見えないはずの選択肢が見えた気がした。
(まさか私も選ぶことになるとはね)
伸ばした両腕を下ろしながら、彩子は苦笑した。
「私は、元の世界に帰るつもり」
美生に倣って、一言一言丁寧に言葉にする。
自分に言い聞かせる。これもきっと、先程の彼女と同じだろう。
「……彩子さんの夢は、ナツメさんと離れても叶いますか?」
「え?」
彩子とは違いさらに問いを重ねた美生に、予想外のことに彩子は素で彼女に聞き返した。
『彩子さんの夢は、ナツメさんと離れても叶いますか?』
(あ……ああ、夢、ね)
今一度美生の台詞を思い返し、彩子は知らずに詰めていた息を吐いた。
もう一つ、今度は別の理由で溜息をつく。
夢について尋ねられたはずが、今自分は『ナツメと離れてもいいのか』について考えてしまっていた。
そしてそう考えてしまった理由に、気付いてしまった。
(私、ナツメが好きなんだ……)
彼への好意は愛情。紛れもない恋愛感情。
けれど、それでも。
「――私のは夢というより願いなんだけど、それは帰らないと叶わないものなの」
そう、美生の代わりに『ルシスの記憶』を差し出し、元の世界に帰ることで、自分の願いは叶う。
『貴女は他人のために自分が楽になれない損な人ですよ』
いつか聞いたナツメの言葉が、不意に蘇る。
(――そんな大層なものじゃないわ)
元の世界で叶えたかった願いがあり、それが実現可能な世界にいる。そのことに意味を見出してしまった今、叶えなければそれはきっと大きな後悔となる。
「そう、ですか……」
美生が悲しげに言う。心からこちらを労るような、そんな声で。
この優しい彼女がこれから綴る物語を自分は見ることが出来ないけれど、これまでの彼女たちとの物語を忘れることにもなるけれど、自分はこの世界で、この世界でしか叶わない願いを叶える。
彩子は長椅子から立ち上がった。
「と、言うわけで。予言の確認作業をしたいから、悪いけどここで話を切り上げていい?」
「あっ、はい。聞いてもらってありがとうございました」
「どういたしまして」
連れ立って部屋の入り口まで行き、そこで別れる。迷いの無い背中で廊下を歩いて行った美生を見送り、彩子は再び室内へと戻った。
長椅子に腰掛け、いつもの紙が仕舞ってある懐を探ろうとして、手を止める。彩子はその手の行く先を、前もって部屋に運んでおいてもらった肩掛け鞄へと変更した。
鞄の中から、読み込んだ一冊の絵本を取り出す。初日にナツメに貰ったものだ。
その際に彼が言っていた「これが読めるようになれば、街で暮らす分には問題無い」については、今日邸に着いた直後に同行してもらった東館の商店にて証明された。
絵本を開く。
小さな女の子が朝起きて、初めてのお使いを体験して、家に帰って寝るまでのお話。
頁を捲る。
家族に挨拶をして、初めて会った人にも挨拶をして。動物と触れ合って、植物を観察して。
どの頁も楽しそうな女の子が描かれており、最後は両親の間で眠る姿で物語は締め括られる。
「家族を築きたい人、か……」
ナツメとともに歩む未来を、思い描いたこともあった。
それは自覚は無くとも、心のどこかにそうしたい気持ちがあったのだろう。
「うん。それくらい……ナツメが、好き」
幸せそうに眠る女の子の頭を指先で撫でる。
それから彩子は、絵本を閉じた。




