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『彩生世界』の聖女じゃないほう  作者: 月親
第四章 意味と願いと選択と
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27.意味

(覚えてる……この場面)

 彩子は村を優しく見つめる美生を見て、それから目を閉じた。

 美生――セネリアが在りし日の故郷を語る。

 ゲーム中でここは、セネリア視点の回想として描かれる。だから、彼女が語る色鮮やかな村の情景は、彩子にもありありと思い浮かんだ。

 朝、いつもと変わらない挨拶をして、セネリアは山菜を摘みに山へ入った。その帰り道に彼女は、果てに呑まれ消えて行く村を目撃する。

 急いで戻ったセネリアの前には、一面の闇。

 地震や火事なら叫び、走り回りもしただろう。規格外のルシスの果てを前に、彼女は呆然と立ち尽くすしかなかった。

(イスミナとセンシルカの境界線に映された、セネリアの闇……)

 彩子は閉じていた目を開いた。

 回想の最後の場面のように、セネリアが柔らかな表情で側の枯れ木に手で触れる。

 それは幹が枯れているのに、村に面した片側の枝にだけ葉を付けた木だった。

 葉の付いた方の枝に結ばれた、黄と緑の組紐。レテの髪と瞳を表すそれは、村を作ったレテが最初に結び、そして毎年村の長が代々結び直してきたものだ。

「レテの村の誓いは、生涯を掛けてルシスを支えること。村に留まりマナを供給してきましたが、それでは間に合わずルシスは崩れてしまいました。だから私は、ルシスに私の『人の記憶』を渡しに向かったのです。『世界の記憶』には及びませんが、人が人たらしめる記憶はそれなりの量のマナとなる」

「……どうして、そうまでしてルシスを助けようと?」

 セネリアが言葉を締め括ると同時に、レテと同じ髪と瞳を持つルーセンが、彼女に問う。

「君なら本当にルシスに取って代われたはず。神から『世界の記憶』ごとマナを取り込み、それをそのまま神域で流せば、世界は壊れず君も死なずに済んだ」

 徐々に強くなるルーセンの口調にも、セネリアの表情は変わらない。村を見ていた目と同じように、彼女は彼を優しく見つめていた。

「神が世界であるのは、『世界の記憶』を持つから。人が『人の記憶』で成り立つように、神が持つ『世界の記憶』が世界を存在させる。それは逆に言えば、それさえ持ってなければ神は不要で、そのことを君は知ってたはず」

 ルーセンが苦虫を噛み潰したような顔で、セネリアから目を逸らす。

 そんな彼に、彼女が微笑む。

「それは私が救いたかったのは土塊つちくれではなく、親愛なるルシス――あなただからです」

「――っ」

 ルーセンが目を瞠り、息を呑む。

(今なら、以前よりセネリアの気持ちがわかる)

 皆が一様にルーセンに視線を向ける中、彩子は一人セネリアを見ていた。

 『人の記憶』を同じように持つ人が誰一人同じでないように、セネリアの手で改められた『世界の記憶』は、新しいルシスにはなっても今のルシス――ルーセンとは違ってしまう。

 ルーセンにルシスであって欲しい。彼女は、そう望んだ。

「ルシス。過去にレテのマナを取り込んで、あなたは少し楽になったはず。レテはそれに味を占めたあなたが、積極的に人間のマナを集めるだろうと考えていました。神域であなたがそれを望めば、直ちに世界中の魔獣があなたの声に反応する。まずはそうして自分を癒やし、それから王族へ『ルシス再生計画』の神託を出すと、彼はそう考えていました」

 そこまで言って、セネリアが楽しそうにくすりと笑う。

 その笑い方は、今は表に出ていない美生のものによく似ていた。

「それなのにあなたは、そうしなかった。それどころか、レテへの感謝とともに彼の死に続く真似は決してしないようにと神託さえ出した。そして私と出会ったあなたは、私の記憶を見るや否や神域を飛び出し、人間を襲うどころか救いに行ったのです。あなたは人よりお人好しですね、ルシス」

「――まさか。とんだエゴだよ。僕が死ぬことが一番困るのは明白なのに、付け焼き刃の救済で自己満足していたんだ、僕は。レテの姿を模したところで、欠陥品な僕が変われるはずなんてないのに、彼のように多くの人を救う自分を夢見たんだ」

 ルーセンが自虐的な笑みを浮かべる。

 そのことにセネリアは、「いいえ」と首を振ってみせた。

「夢ではありませんよ。間違いなく、あなたは私たちを救います。『ルシス再生計画』の要は、間違いなくあなたです。何故ならルシスを救う八色美生は、あなたが創ったもう一つの世界の住人だからです」

「僕が……創った?」

「ルシスが、ルシスの民の「こう在るはず」という心で再形成されるように、八色美生の世界は、あなたの「世界は本来こうあるべき」という心が生み出しました。安定し、マナが満ちた理想の世界です。私は神域でその世界が生まれていることを感じ取り、同化したあなたの意識を伝って、かの世界へと移りました」

「……『地球』」

「召喚される異世界人は、『レテの村が滅んだ記憶を持つ』こと。私が戻るための仕掛けを作り、もう一つの『世界の記憶』というルシスを満たすに充分なマナを内包して、私はルシスに帰って来ました」

 皆が二人の会話を固唾を呑んで見守る中、密かにカサハの身体が後ろへとよろめく。そうなることを知り得ていた彩子は、少し前から彼の様子を盗み見ていた。

 「ではミウは」。彼の口の形だけがそう動く。

 そう、美生はセネリアでもある。そしてそれが、ルシスを救うのが美生でなければいけない理由だ。

 美生だけがこの世界で唯一『世界ルシスの記憶』を二つ持つ。美生のいた『地球』もまた、ルシスが創った世界であるから。

 美生――セネリアはルシスの外へ出て、世界がルシスだけでないこと知った。そのことで、『世界の記憶』という概念を得た。

 ルシスに生まれルシスに死ぬ多くの人にとっては、ルシスは『大地』であり『星』ではない。動物の背で一生を暮らす小さな虫は、きっと自分のいる場所が生きているとは思っていないだろう。それと同じように、彼らには知る機会がなかった。

 彩子は腕組み、つい最近ルーセンとした遣り取りを思い返した。

 その時にも思ったが、召喚される対象の条件は自分にも当て嵌まる。セネリアが話した本当の条件、『レテの村が滅んだ記憶を持つ』ことにおいて。

(あの時には、そう言えば当て嵌まるなくらいにしか思ってなかったけど……)

 美生はこの後、ルシスか元の世界か、どちらかの記憶を捧げる選択をすることになる。『世界ルシスの記憶』を二つ持つ彼女は、どちらの記憶を捧げてもルシスとの繋がりが断たれることがなく、廃人にならないで済むからだ。

 だが、より正確に言えば必要なのは『世界せかいの記憶』を二つ持つ人間。片方を手放しても生きて行ける人間ということになる。

(それなら、私が美生の代わりに記憶を捧げることも出来るんじゃ?)

 自分が『世界ルシスの記憶』を捧げれば、それを一つしか持たない自分は、ルシスでは廃人になるだろう。けれどその後で元の世界に送り返して貰えれば、向こうの世界では何の問題無く元の生活に戻れるはずだ。

 『彩生世界』でロイのプロポーズが胸に響いたのは、彼が「僕があなたの世界に行きます」と、美生が家族を失わないで済む道を提示してくれたからかもしれない。

 自分はずっと、心の何処かに引っ掛かりを覚えていた。エピローグで幸せそうに笑う美生を見ながら、ずっと。オープニングで垣間見た、彼女が愛する元の世界の光景が頭から離れなかった。

(私がここに来た意味は、きっとこれなんだ……)

 思い至った可能性に、ドクンドクンと胸が早鐘を打つ。

 彩子は組んでいた手で、今度は胸と乾いた喉を押さえた。

「イスミナとセンシルカに闇を映したのは、周囲の人々の記憶から消させないためです。闇を目にする度に、人々はそこに在ったものを思い出します。それによって、再びマナを巡らせた時に在ったものは変わらず蘇る。レテの村のようには、ならず、に――」

 セネリアの身体が、ぐらりと揺らぐ。

 そして『最期』を思わせる眼差しでレテの村を見た彼女は、その場に崩れ落ちた。

「! ミウ!」

 セネリアを呆然として見ていたカサハが、遅れて我に返り美生の横に跪く。

「「ルシスを助けて、『私』」。セネリアはずっと私に、そう訴えていたんです」

 顔を上げないままに美生が、彩生の度に聞こえていた『声』を告白する。

 カサハの手が僅かに動く。けれどその手は美生へ伸ばされることなく、力尽くで留まらせるように握り込まれた。

「ミウ」

 カサハでない手が、声とともに美生の肩に置かれる。

 自分の横にしゃがみ込んだルーセンに、美生は顔を上げた。

「助けてくれて、ありがとう。――言いそびれたから、僕は言えて嬉しい」

 美生が驚いた表情でルーセンを見て、それから彼女はセネリアとよく似た柔らかな微笑みを彼に向けた。

「それから、ごめん。『ルシス再生計画』でマナを流したらきっと、君がルシスで過ごした記憶が無くなる」

「わかっています。だからセネリアは『世界の記憶』を二つ用意したわけですから」

「ミウは俺たちのことを忘れる……のか?」

 独りごちるように、カサハが言う。

 それから彼は一度視線を落とし、次いで立ち上がった。

「そう、か。――ああでも、セネリアが体験した悲しい記憶も忘れるのなら……お前にとっていいのかもしれない」

 目を合わせずに言ったカサハに、彼を見上げた美生が悲しげに瞳を揺らす。

 そんな美生の視線から逃れるように、カサハは彼女に背を向けた。

「俺は周辺を見てくる。ミウが落ち着いたら玉の捜索に移ってくれ」

 カサハは一歩二歩と躊躇いを見せながら歩き、その後は普段と変わらない速度でその場を離れていった。

 彼と入れ替わるようにして、彩子は美生と並んで地面に座った。

(美生……)

 掛ける言葉は見つからなくて、彩子はただ美生の左手にそっと自分の手を重ねた。

 美生のこの手は色んなものを手放してきた。だから例えその内の一つだけでも離さないで済む道があるのなら、自分はそれを彼女にあげたい。

「彩子さん……」

 彩子の手に、美生が自身の右手をさらに重ねてくる。

「色々驚きましたけど、私はもう平気です。最後の玉を探しましょう!」

 それから彼女は明るくそう言って、立ち上がった。


「これで……」

 程なくして玉が見つかり、美生は一度躊躇った後、玉に触れた。

 幾つかの自然物と建物だけが残り、住人は消えた村がそこに現れる。それがレテの住人以外の記憶で再形成される限界のようだった。

「イスミナは街の管理者が多く神殿へ避難していましたし、センシルカは逆に消えたのが顔の知れた人ばかりでした。それに対しレテの村は、俺もそうでしたが、大体の国民はガラム地方に村があるということは知っていても、実物は見たことが無かったでしょうね」

 やり切れないと言った口調で、ナツメは村に向けていた目を外した。

「カサハさんも再生に気付いて、こちらに戻ってくるでしょう。ところで、ルーセンさん。貴方、ルシスだそうですね?」

「うっ……うん、まあ、一応」

 唐突に話を振られ、まだ村を見ていたルーセンの肩が跳ねる。

 ルーセンがナツメを見て、しかし一秒経たずにその目は不自然に逸らされた。

「僕のようなのが神でがっかりした?」

「そうですね、残念です」

「ちょっ」

 即答したナツメに、さすがにルーセンから抗議の声が上がる。だがルーセンの顔には「ああ、やっぱり」といった諦めの色も見られた。

「ルーセンさんがルシスだったなら、神の子と呼ばれて理不尽な目に遭ってきた俺は、とんだとばっちりだったということが判明しましたからね。ルシスのせいでなく、俺自身が不幸だったなんて、本当残念ですよ」

「……へ?」

 想定外の切り返しに、ルーセンがぽかんとしてナツメを見る。

「いえ、ここは逆に親を騙った貴方に、俺の平穏な田舎生活を返してもらうところでしょうか。『ルシス再生計画』を為すまで、キリキリ働いてもらいますよ」

 台詞とは裏腹に、ナツメのルーセンを見る目は優しい。

 ルーセンがくしゃっとした笑い方をして、次いで彼はナツメに「わかっているよ」と返事をした。


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