26.在りし日の
(うわ……)
翌日。再びレテの村へ向けて出発した山の下り坂。彩子は目の当たりにした光景に、顔を引き攣らせた。
十数メートルに渡って人の大きさ程もある岩が、道のあちらこちらに転がっている。ゲーム中でも落石がどうのという説明はあった気がするが、絵としての描写は無かったので、これほどの惨状とは思わなかった。
(これは洒落になってないわ……)
カサハの見立てでは、やはりつい最近の落石とのこと。『結果的に避けられた大きな被害』とは、ここでの落石事故と見て間違いないだろう。
「今のところ新たに崩れそうな箇所は、見当たらなかった」
周辺を調べに行っていたカサハが戻ってくる。
「問題は今ある岩が、僕たちが歩いた後で転がってこないかだよね」
「そうだな……」
ルーセンに答えながら、カサハはその場で周りを見回した。
「あの辺なら捨てても構わないだろう」
「捨てるって?」
「ああ、俺が立っている位置から北東の、一段低くなった場所。あそこなら捨てても安全なはずだ」
ルーセンに見当違いの返事をしながら、カサハが手近の岩に手を掛ける。
そして彼は、今言った場所に言葉通り岩を「捨て」た。そう、持ち上げてポイッと。
「……カサハ、その岩、カサハよりでかいよね」
「まあ前方が見えにくいが、そう距離は無いから問題無い」
やはり見当違いの返事をしながら、カサハは次々と岩を捨てていった。
その様子をルーセンと美生が、目で追う。
勿論、彩子も見物に参加した。ナツメもカサハに防御魔法を掛けた後は、同様だ。
ルーセンは一応手伝えないかと身丈の半分程の岩に挑戦してみたようだが、敢え無く玉砕していた。
「こんなものだろう」
粗方処理し終わり、カサハがパンパンと手の汚れを払う。
(まさかこんな力技で通っていたとは……『彩生世界』の裏設定、恐るべし)
スッキリと片付いた道に、彩子は感嘆の溜息を漏らした。
「やー……見事だね」
ルーセンが捨てられ積まれた岩を見て、同じく感嘆の溜息を漏らす。
「岩は人と違って暴れないからな。楽に運べる」
「その言い方、ものすごく誤解を招くから止めた方がいいと思う」
ルーセンのカサハへの助言に、彩子は心の中で同意した。
「それにしても、僕たちが通る時に石が落ちてこなくて良かったよ。昨日一時的に雨が降ってたから、それのせいで転がってきたのもあるかもね」
ルーセンが「また落ちてこない内に行こう」と促し、それを受けて皆がここまでと同じ列の並びで、進行を再開する。
と、そこへ、彩子は自分を向けられた視線を感じ取った。
そっと盗み見て出所を辿れば、予想通りナツメだ。彼は少しの間彩子を見た後、何かの数を数え始めたのか、指を順に折り曲げて行く仕草を見せた。
(あ、バレたかも)
ナツメが何を数えていたのか、彩子はピンと来て彼から目を逸らした。
おそらく落石と昨日の滑落事故が、彼の中で繋がったのだ。数えていたのは、ことが起こってから経過した時間だろう。
(痛い、視線が痛い)
こめかみにビシバシ刺さる、先程より強力な何か言いたげなナツメのそれ。
(まあ実際、ナツメには悪いことしたし)
昨夜、野営のテントでのことを思い出す。
『俺は、助けてもらった礼は言いません。不可避だというのなら、せめて俺が礼を言える助け方をして下さい。お願いですから』
ナツメは結構些細なことでも礼を言ってくれる性格だ。そんな彼に『礼は言わない』と言わせてしまうのは、寧ろ彼の方に心の晴れない行為をさせてしまっていることになる。
(しかもそれを聞きながら、私は「ナツメは悲愴な顔も綺麗だ」なんて思ってしまってたし)
ついうっかり。悪気は無いのだけれど。
このことはさすがに墓場まで持って行く秘密にしておこう……。
「わざと落ちたんですか?」
「ひゃあっ」
昨夜に思いを馳せていた彩子は、突然話し掛けられ跳び上がった。
やけに近くから聞こえたと思えば、それもそのはず。いつの間に来たのか、ナツメが直ぐ右隣にいた。
「わざとじゃないから。咄嗟のことでああなっただけだから」
こちらにピッタリ歩調を合わせて歩くナツメに、彩子は必死で弁解した。
「本当に? 俺が掛けた身体能力を上げる魔法を利用したのでは?」
「違うって。本当に、咄嗟。昨日のあれは、二十パーセントの確率でしか起きない出来事だったから、直前まで気付けなかったのよ」
「え、何それ。アヤコの予言、そんな要素まで有るの?」
ナツメの不機嫌なオーラを察してか、ルーセンが彩子の左隣からさり気なく話に加わって来てくれる。
「有るのよ。それに戦闘中以外は、影響が出る範囲も大雑把にしかわからないのよ。昨日の事故に関しては、単にナツメの足元の地面が崩れるって情報しかなくて。私がいた位置まで崩れるのは、落ちたときに初めて知ったわ」
大雑把なことで助かる面もある。本編進行中以外は、今そうしているように自由に会話出来ることなんて特に、その功罪だろう。
「取り敢えずルーセンさんの位置は安全だから、俺をそちらへ突き飛ばしたわけですか」
「考えてる暇は無かったけど、頭の片隅にそれはあったかも」
「ナツメを足止めしたいだけなら、アヤコがナツメのほっぺたにチューでもすれば良かったんだよ」
「そんなの、御伽噺じゃあるまいし」
笑いながら言ってきたルーセンに、こちらも笑いながら返す。
と、そこへ右頬に突然何かが触れた感覚が有り、彩子は驚いて足を止めた。
「え?」
止まると同時に、触れた『何か』がナツメの手だと判明。次いで、顔を寄せてきた彼の、表情の読めない目とかち合う。
(え? 何、何?)
既に近い距離がさらに近付く。
そしてその距離がとうとうゼロに――
「あ痛っ!」
――なった瞬間、彩子は悲鳴を上げた。
反射的に、痛みが走った首筋に手を遣る。
唖然としたまま、顔を上げたナツメを見れば、彩子に痛みを与えた彼の口の端が上がったのが目に入った。
「多少は、清々しました」
涼しい顔で適切な距離に戻るナツメ。
「えーと、少なくともアヤコの足止めには効果があったみたいだねぇ……」
生暖かい目で見てくるルーセン。
立ち止まった三人に、どうしたのかとカサハと美生が振り返る。二人に見られていなかったのが、不幸中の幸いか。
(そう言えば、この道中ってカサハルートの場合、二人でしりとりしながら歩いていたっけ)
それで美生に『す』が回ってきて、彼女はドキドキしながら『好き』と返して。少し離れた位置で会話していたナツメとルーセンに対し、心の中で「二人に聞かれてなくて良かった」と思っていた場面があった。
(似て非なり……)
方や、言葉遊びでドキドキ。方や、意趣返しでズキズキだ。
因みに件のイベントでは、カサハが表には出さないものの、『き』を考える振りをしながら内心悶えていた。
「こうなると、もし私がナツメにキスしようとしたら、ナツメは私の意図を探ろうとしそうね」
皮肉のつもりが想像出来てしまい、彩子は小さく笑った。
一瞬の割りには結構痛かった首筋をさすりながら、止めていた足を再び動かす。
「裏でも無ければしてくれないのなら、大いに裏が有っていいですよ」
「裏が有っても無くても、取り敢えず君たちだけの時にして……にしてもアヤコ、動じてない」
ナツメとルーセンも、彩子に続く。
「そうでもないわ。なかなか痛かった」
「それは見ればわかるよ。めっちゃ痕になってるし」
「へ? ――ええっ、いやだって一瞬だったし!?」
そんなはずはない。ルーセンの言葉に、彩子は首を振った。
所謂キスマークという奴は、内出血させた際の痣だ。通常はある程度長く吸い上げないと、痕にはならない。
にもかかわらずルーセンに可哀想な目で見て来られ、彩子は堪えかねて、当人を振り返った。
「何? 見えなかったけど、そんなエグい遣り方だったの?」
「まさか。必要最小限度に抑えてますよ。どうすれば治るかとどうすれば痕になるかは、表裏一体ですから。完璧です」
「……でしょうね」
「治療士的に、痕付けて完璧発言はどうなんだろう……」
「二人とも、傾斜が酷くなってきました。足元に集中して下さい」
ルーセンが「ナツメがそれ言う!?」と、彩子の心中を代弁しつつも、ナツメの言葉に従う。実際危険な角度になって来たため、彩子も素直に従った。
ひたすら山を下り、やがて一行は開けた場所へと出た。
「ここがガラム地方か……」
先頭を行っていたカサハが呟く。
荒野。この地方を一言で表すなら、それに尽きる。
乾いてひび割れた大地。点在する立ち枯れた木。生物の気配もしない。
だから一行の目に映った『それ』は、あまりに異様な光景だった。
ある地点を境に、僅かながらも草が生え、細く弱々しいが緑の葉を付けた木も生えている。そしてその中心には、日干し煉瓦で造られた家が建ち並び、幾人もの人が行き交い、時に立ち止まって会話を楽しんでいた。
「これが幻……ですか。これは視察団が気付けないのも無理はないでしょう。俺の目にも、彼らは生きている人間にしか見えません」
食い入るように村を見ていたナツメが、そう零す。皆も一様に彼と同じ感想を抱いていた。
どこから境界線なのかと、目を凝らす必要も無い。カサハは村の――境界線の数メートル手前で足を止めた。
彩子、ナツメ、ルーセンがやや離れて彼の後ろに立ち、美生だけがカサハの隣に進み出る。
そして彼女は、村に向かって両手を広げた。
「ただいま……皆」




