25.追憶
彩子は、コントローラーのボタンを断続的に押していた指を止めた。
ゲーム機を繋いだテレビ画面に、選択肢が表示される。
一つ目は、
『ルシスに残る』。
二つ目は、
『元の世界に帰る』。
その選択肢が表示される画面左下には、思い悩む美生の姿が描かれている。
彩子は既にこの場面を、何度も見たことがあった。
そして何度もそうしたように、止めていた指を動かす。
『ルシスに残る』
カーソルを合わせ、決定ボタンを押す。
「私……あの人の傍にいたい」
美生のグラフィックが、微笑んだものに変わる。
この先の幸せなエピローグを思い、彩子は軽快に文章を送っていった。
チクリと胸を刺す、小さな棘には気付かない振りをして――
温かく、柔らかいものに包まれている。最初に、その感覚があった。
「……ん?」
次いで、小さく声が聞こえて、それが自分のものだと気付く。
彩子は、ゆっくりと瞼を開いた。
「アヤコさん!?」
「ナツメ……?」
やけに近い位置から声がして、彩子はまだぼんやりとする目で声の方を見上げた。
そして自分の状態を知る。声が近いのもそのはず、彩子は胡座をかいたナツメの上に、横向きに抱えられていた。
目が合ったナツメが安堵の笑みを浮かべて、しかしそれは一瞬で、直ぐさま彼の眉が釣り上がる。
「アヤコさん、俺を庇いましたよね? 貴女が知る物語では、俺が滑落していたはずです。違いますか?」
「!」
ナツメの指摘に息を呑む。
(そうだ、私、考えなしに……)
本当は、もっと不自然ではない代替え案を練るつもりだった。
けれど、三回目の雷光を見た瞬間、それが頭から抜けてしまっていた。
本来いないはずの自分が直接関わるなど、最も不自然な愚策だ。
「……今回のは、本編には影響無いはずだから――」
「そういう問題じゃないでしょう!」
ナツメに答えたというよりは、自身に言い聞かせようとした彩子の言葉を、ナツメが遮る。
珍しく声を荒げたナツメに驚き、彩子は彼を見たまま口を噤んだ。
「何故、あんな真似をしたんですか。怪我をすれば痛いんです、一瞬で治療出来るわけじゃありません。以前、貴女自身が回復魔法は思っていたより時間が掛かるものだと、言っていたじゃありませんか」
「そうだけど……」
彩子は意識が無くなる直前に見た、血だらけの手に目を向けた。
そこにはもう傷一つ見当たらなかった。全身の痛みも嘘のように無くなっている。
「でも今の状況を考えると、怪我をしたのが私の方で正解だったと思う。私はこうしてナツメに治してもらえるけど、ナツメは数時間苦しんでいたから……」
おそらく自分は打撲、最悪骨折もしていただろう。目が覚めたら治っていた自分と違い、ナツメは長時間苦しみ続ける。それを考えると、背筋が凍る。
「……貴女は理解していない」
ナツメが彩子から目を逸らし、苦しげにそう口にする。
「わっ」
そして次の瞬間、彩子の顔はナツメの胸に埋まっていた。
突然の事態に反射的に身を起こそうとして、けれど強く抱き締めてくるナツメの腕に、それを阻まれる。
「俺が数時間苦しんだところで、きっと今より苦しくなんて無かった。お願いです、アヤコさん。今後はその『ナツメ』を参考にするのは止めて下さい、それは俺じゃありません」
ナツメのくぐもった声が聞こえ、さらに強く抱き締められる。
「貴女を知らない『ナツメ』を、貴女が覚えている必要なんてない。忘れたっていいことです。――いえ、忘れて下さい。他の男のことなんて」
(ナツメ……)
ナツメの顔は見えないはずなのに、彩子はどうしてか彼の表情が手に取るようにわかった。
それはゲーム本編では見たことが無い表情で、それ以外にもここにいるナツメだけの表情を、自分は知っている。
ナツメが言うように、『ナツメ』とナツメは違う。
何より自分が、『彩子を知らないナツメ』を違う人間だと思いたい。
(そうだった)
自分はもう、充分直接関わってしまった。
システムグラフィックのようだと思えなくなり、思いたくなくなった。
「ごめん……ありがとう」
彩子はナツメの胸に寄せられていた顔を、自分の意思でさらに擦り寄った。
それに気付いたナツメが、一層強く彩子を抱き締めて、それに応えてくれる。
「はいはい、ストップ。ナツメ、ストップ。怪我は治っても、今度はアヤコが窒息するから、それ」
と、そこへこの場にそぐわない気の抜けた声が聞こえてくる。
「ルーセン?」
驚くとともに、彩子はその声の主と思われる名を呼んでみた。
「あ、「いつからいたの」って聞きたい? ずっといたよ、アヤコが起きる前からね」
相変わらずナツメしか見えない――というかナツメすら近過ぎて見えない視界の外から、ルーセンの返事がくる。至極呆れた感じの声で。
一応ルーセンの指摘に自覚はあったのか、ナツメの腕の拘束は少し弛んだ。
「ああ、そうです。俺に怪我をさせられないのなら、ルーセンさんを身代わりにすれば良かったんですよ」
その代わりに、まったく冗談さが感じられない提案が彼の口から飛び出した。
「どさくさに紛れて僕が酷い扱い!」
それにルーセンが直ぐさま反応して、けれど間を置かず「って、言いたいところだけど」と彼が続ける。
「そうだね。今見た感じだと、僕もその方が良かったと思うよ。ナツメ、魔法の詠唱とちりまくって、本当にアヤコが死ぬかと思ったし」
「え?」
自分が死にかけたという事実ではなく、彩子は別のことに対し先程以上に驚いた。
(ナツメが詠唱を失敗?)
想像が付かない。何せ彼は、神殿の邸で顔色一つ変えず「重体患者の見放題」とか言っていた男だ。
大量の疑問符を浮かべる彩子を余所に、「んじゃ、上に戻ろう」と、ルーセンが立ち上がる気配がする。
「アヤコが寝てる間に、比較的安全なルートを調べておいたから」
ルーセンが服の汚れを払う音が聞こえて、彩子は自分の肩にあるナツメの手をトントンと叩いた。
それでようやくナツメが解放してくれる。
「ナツメ、その傷!」
そこで彩子は初めてナツメの状態を知った。
最初に目に入った傷だらけの手の甲。ハッとして彼の顔を改めて見れば、額や頬にも切り傷が多数ある。さらに全身汚れた様子から、布地で隠れて見えないだけでその他も無数に傷が有ろうことが、容易に窺えた。
彩子が落ちたのを見て、あの岩場を無理に駆け下りてきたのかもしれない。
それなのにナツメは、「ああ、これですか」と何でも無いように彩子に答えた。
「戻りながら治しますよ」
「だからアヤコの目が覚める前に、治しておいたらって言ったのに」
「仕方ないでしょう。アヤコさんが気になって集中出来なかったんですよ」
「アヤコ……やっぱり次が有ったら僕を身代わりにして。いやほんと、遠慮無く」
「……考えておくわ」
どう答えたらいいのやら。彩子は曖昧な返事で留めた。
ルーセンが「こっち」と誘導して、彩子がその後ろを付いて行く。彩子の後ろをナツメが続いた。
「今は止んでるけど、途中小雨が降ってたから足元気を付けて」
「わかったわ」
言われて足元を見れば、濡れた地面が目に入った。
もしやと思い、今度は先行するルーセンの背中を見る。彼の服も一部色が変わっているのが見えた。
そう言えばナツメの髪も少し濡れていたような気がする。
彩子は自分の服を簡単に確認してみた。
感触からいってそうではないかと思ったが、やはり自分は濡れていない。二人が雨避けになっていてくれていたのかもしれない。
「ルーセンもありがとう」
「うん、どういたしまして」
何に対しての礼かわかった顔をしながら、それでいて軽い感じに返してくるのがまた、彼の優しいところだと思う。
「あ、そうそう。カサハは上で野営の準備をしてる。ミウも上に残ってもらった」
岩場を登りながら、ルーセンがこの場にいない二人について話す。
帰り道はルーセンが言った通り、彩子でも危なげなく登れるルートになっていた。
慎重に歩を進め、ようやく滑落前の道へと出る。
「彩子さん、良かった!」
到達するや否や、彩子は美生に抱き着かれた。ルーセンがルートを確保した際に一度戻ってきていたため、現れる場所がわかっていたのだろう。
(今日はよく抱き締められるなあ)
自分より取り乱す人がいると冷静になれるとは、よく言ったもの。彩子は、涙目でぎゅうぎゅう抱き締めてくる美生の頭を撫でながら、苦笑した。
「もう少し行ったところに、カサハさんがテントを張っています」
「あ、もう日が落ちるんだ」
美生の台詞に空を見れば、まさに落ちようとしていた太陽が見えた。
今日はテントで一泊し、出発は明日の朝になる。奇しくも『足止め』は成功したようだ。
(何てことをナツメに話したら、火に油を注ぐだけだから止めておこう)
彩子は、ナツメが登り切るのを確認した。
器用な彼は言葉通り道すがら自分を治療したようで、既に怪我は見られなかった。
「行きましょう、彩子さん。休まないと駄目ですよ」
美生が彩子の手を引いて歩き出す。
彩子はそんな彼女の手をちょっと引き寄せ、こちらを振り向かせた。
彩子の意図がわかったらしい美生が微笑む。
そして大きく一歩踏み出した彩子は、そこから彼女と並んで歩き出した。




