24.峡谷
レテの村周辺の転送ポータルは、二十年前に故障している。
ガラム地方の状況を鑑みるに、実際のところは『果てに呑まれて装置自体が消失している』、というのがナツメの見解だ。
ザリッ
王都からレテの村への山中。徐々に硬い土質になる道を、彩子たちは等間隔で列になり歩いていた。
先頭から、カサハ、美生、ナツメ、彩子、ルーセンの順で行く。
森が終わり、岩場が目立つ地形になる。歩いている道は峡谷の崖の上で、眼下に細い川が流れているのが見えた。
「アヤコさん、魔法の効果はどうですか?」
「大分、呼吸が楽。ありがとう」
歩きながら彩子を振り返ったナツメに、彩子は笑顔でそう返した。
今回も山歩きということで、ナツメが出掛けに一時的に身体能力を上げる魔法を掛けてくれた。ありがたい。
出掛けと言えば、出発前にカサハから詰め寄ったことに対する謝罪があった。
一人だけ場違いに冷静な人間がいたら、突っかかりたくもなると思う。彼には、気にしていないと伝えた。
レテの村までの道は険しいが、距離的には先日通った転送ポータルから王都までの道程と、そう変わらないという。順調に行けば日が沈む前に、レテの村に辿り着く予定とのこと。
(逆に言えば、日が高い内はまだまだ着かないってことよね)
彩子は空高くある太陽を仰ぎ、小さく溜息をついた。
「ナツメ。視察団は何故、境界線に気付かなかったと思う?」
カサハが一度ナツメを振り返り、問う。
「そうですね。第一に、最初の境界線だったため、『境界線』という知識が無かった。第二に、レテの村は自治区で、例え王都からの遣いであっても、立ち入りは許されていない。よって、視察団は山の上からガラム地方を見渡したのみで、地上にある境界線に触れることが無く、気付かなかった。と言ったところでしょうか」
「では、俺たちが村周辺まで下りた時、どの辺りから境界線なのか見当は付くか?」
「わからない、と言ったら貴方が体当たりで調べそうですね。ですが、俺にはわからなくとも、セネリアなら当然知っているでしょう。玉の在処も含めて」
ナツメの返答に、二人の間に挟まれて歩いていた美生の足が固まる。
美生の反応に気付いたカサハが足を止め、ナツメを睨む。しかしそんな彼の袖を引いて、美生は左右に首を振った。
「私、レテの村に着いたら、セネリアに委ねたいと思います」
「ミウ!」
カサハが焦った声で、彼女の名を呼ぶ。邸での出来事が、頭を過ったのだろう。
そんなカサハを、美生が真っ直ぐに見つめる。
「大丈夫です、カサハさん。私、図書館で彼女の声をしっかり聞きましたから。彼女が私に何を求めていたのか、もう私は知っているんです」
「……」
ハッキリとした口調でそう言った美生に、カサハが言葉を失う。
「……わかった」
彼女の決意に気圧され、カサハは短く答えた後、再び前を向いて歩き出した。
ザッ
ザッ
暫く皆の足音だけが続く。
「風が出てきたな」
そこへカサハの一言が耳に届き、彩子はギクリとして空を見上げた。
(その台詞……!)
いつの間にか黒い雲が掛かり、遠いところで雷が鳴っているのが聞こえる。
これは本編において確率で発生する、『ランダムイベント』の一つだ。そしてその内容は、『ナツメが怪我をして足止めを食らう』というもの。
(よりによって今回発生するなんて!)
彩子はギリッと歯噛みした。
本筋とは関係の無いイベントなので、禁書庫の時のように回避するという手もあるにはある。
だが、同時に一連のシナリオを思い出した彩子は、眉間に皺を寄せた。
(確かこれ、ここで足止めされたおかげで、結果的に大きな被害が避けられたって流れだったはず)
そうなるとこのイベントは、このまま発生させなくてはならない。もし本編で避けられた『大きな被害』に遭ったなら、それこそ本筋に影響が出てしまう可能性がある。
「天気が崩れそうですね」
ナツメが言って、空を見る。
二回目の雷鳴は、先程よりも音が近い。
(三回目の雷鳴の直後に、ナツメが立つ足場が崩れる……)
彩子はナツメの足元を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。
(考えろ……私)
あくまで必要なのは、『足止め』だ。
ゲームのイベントでは、転落したナツメが喉を痛めて暫く魔法を詠唱出来ないでいた。
それと似たような状況を作り出せたなら――
「!」
考えを巡らせていた彩子の目に、雷光が飛び込んでくる。
瞬間、考えたわけでもなく、彩子はナツメの腕を自分の方へと思い切り引いていた。
「アヤコさん?」
ドンッ
こちらを見たナツメを、ルーセンがいる辺りに向けて突き飛ばす。
三回目の雷鳴が響く。
「え……?」
尻餅をついたナツメが、目を見開いて彩子を見る。
それを目にしたと同時に、彩子の身体は空中に放り出された。
ふわり
浮遊感があって、だがそれは一瞬にして消える。
「あぐっ……!」
身体が打ち付けられる激しい衝撃の後、皮膚と肉を容赦なく擦られながら、彩子は岩肌を滑り落ちた。
凹凸のある地面でありながら、その勢いは弱まること無く彩子を下へ下へと運んで行く。
途中平らな場所があり、幸い谷底までの落下は免れた。
(痛い……)
落下が止まり、そこでようやく混乱していた意識が悲鳴を上げる身体を認識する。
自分の行動に気が付き、頭は守っていた。だから、直接的なダメージは無いはずだった。
しかし動けないはずの身体がグラグラと揺れる感じがして、それが彩子の頭をぼんやりとさせる。
視界が翳む。
それでも判別出来るほど、血だらけの手が見える。
全身が痛い。痛いはずなのに、どうしてか瞼が閉じて行く。
(誰かの声が聞こえる……)
誰の声だろう。そう思ったところで、彩子の意識は完全に途切れた。




