22.禁書
マナの光が王都を照らした夜から一夜が明け、彩子たち五人は現在、王立図書館の廊下を歩いていた。
昨夜の一件により、邸で待機の予定だった彩子とナツメとルーセンは、境界線を見に行くことに。その後、邸に戻ると二度手間になるため直接王立図書館へ。そこへ当初の予定通り城へ行った美生とカサハが、合流した形だ。
昨夜はルーセンがナツメの部屋に来た頃、街の異変に気付いた美生とカサハが二人で邸の外へと出ていたらしい。美生は、ナツメから教わった例の保護魔法を住人に施すために。カサハは彼女の護衛のために。
道行く人に声を掛けて、マナが抜かれたと思われる人を広場に集めてもらい治療したところ、幸い重症な人はいなかったという。そして魔獣の方は、結局一度も遭遇しなかったとのことだった。
(ゲームでは二、三人治療してる場面しか無かったけど、実際は大勢いたんだろうなあ)
昨夜、美生は眠った状態でカサハに横抱きにされて帰って来た。相当、疲れていたんだろう。
「昨夜のあれ、大事にならなくて良かったよね。まあ、広場もナツメの邸も、押し寄せた患者の応対でおおわらわだったけど。ミウの呼び掛けに集まったあたり、ミウが聖女って記憶は無くなってなかったみたいで安心したよ。それ無くなってたら、今日城に行ったら不審者として捕まってたかもしれないし」
「えっ! 脅かさないで下さい、ルーセンさん」
美生がルーセンに抗議する。図書館内なので二人とも小声だ。
それでいて周りの人間が一様に振り向くのは、妙な団体だと見られているのかもしれない。
「あ」
ルーセンが立ち止まる。
「ほんとにいた……。ちょ、アヤコ。予言者やばいでしょ」
目的地ならぬ目的人物に辿り着き、ルーセンが先程以上に声を潜めて話す。
「じゃ、美生。よろしくね」
彩子はルーセンへの返事はひとまず置いておいて、目的人物――禁書庫の管理人に向かって、美生の背を押し出した。
「は、はい」
美生が素直に返事をして、初老の男性のところへ小走りで向かって行く。その後をカサハが付いて行く。
「で、どういうカラクリなわけ?」
ルーセンに詰め寄られ、彩子は目を泳がせながら頬をポリポリと掻いた。
「あー……うん、もう過ぎたことだから言ってもいいか。美生が管理人の邸までの地図を貰ってきたじゃない?」
城へ行った美生が侍従長に禁書庫の鍵について尋ねると、管理人を訪ねるよう邸までの地図を貰うことになる。そして、正式な物語の流れは、皆と合流後にちゃんとその管理人の邸へ向かう。ここですんなり会えるのなら、彩子も『二周目』というややこしいものを持ち出したりはしなかった。
「で、じゃあ邸に行こうって話になったわよね」
「うん。そこで何故かアヤコが「彼なら今、館内にいる」って言い出して、本当にいた」
「ちなみに「並行世界」ってわかる?」
「……ごめん」
「例えば、二叉の分かれ道があって、右を選んだとする。そしたら、「もし左を選んだらどうなっていただろう」って思うでしょ」
「思うね」
「その「もし」が並行世界で、私は右を選んだ場合も左を選んだ場合も、両方知っている。だから、皆が選ばなかったというか選べなかった方を提示したのよ」
「邸に行くことを選んでいた場合は、どうなってたの?」
「邸に行ったら不在で、王立図書館に行きましたと言われる。王立図書館にトンボ返りしたら、今し方市場へ行きましたと言われる。市場に行ったら、宿に滞在中の友人に会いに行きましたと言われる。宿に行ったら、その友人と山菜採りに行きましたと言われる。山の中腹あたりで管理人に会えるものの、もう時間が遅いので明日図書館の前で待ち合わせましょうと言われる。こんな感じ」
「……僕は今日、いつも以上にアヤコを尊敬しました」
「ありがとう」
拝むルーセンに、彩子は苦笑いで返した。
この行き違いイベント中に、今回選ばなかった攻略対象のちょっといい話が見られる的な要素があるのだが、次回という概念が無いここにいる美生には無用だろう。であるなら、二周目以降に現れる、ダイレクトに彼を捕まえるこの選択肢を使わない手は無い。山の中腹まで下りたくなんてない。本当に、心から。
「禁書庫を開けて下さるそうです」
また小走りで戻ってきた美生が、花の笑顔で嬉しそうに言ってくる。
相変わらず可愛い。自分だったら聖女じゃなくても鍵を開けてしまうかもしれない。彩子は衝動のままに、美生の頭をなでなでした。
「禁書庫は、魔法で外部に声が漏れない仕様になっているそうだ」
「では諸々の報告はそちらでしますね」
カサハの補足にナツメが答え、一行は禁書庫へ向かって歩き出した。
管理人は禁書庫の扉を開けた後、「退出後は自動的に鍵が掛かるので、出る際は必ず全員揃って出るように」と注意した後、帰って行った。
「意外と広いね」
我先に禁書庫に入室し中央まで進んだルーセンが、窓の無い一面書棚の室内を見回す。
その間にもナツメは、手近の書棚から本を手に取っていた。
「『魔獣』に関する資料が無いか、手分けをして探しましょう。――ああ、アヤコさんは、こういう根幹に触れる部分に参加するのは予言に差し支えそうなので、手伝いは不要です。手持ち無沙汰でしょうが、暫く待っていてもらえますか?」
「……うん、わかってる」
彩子はナツメに頷いた。何故そう言ったのか、「解って」いる、と。
(文字が読めないことを皆に悟られないために、言ったのよね。きっと)
ナツメに貰った絵本は、あの後ナツメが一度音読してくれたこともあり、読めるようにはなった。けれどそれがやっとで、こういった専門的なものは、まったくと言っていいほど読めない。
彩子は、唯一書棚が置かれていない出入り口の扉に寄り掛かり、本を取り出しては仕舞うという作業を繰り返す皆の様子を眺めた。
「そう言えば、『ルシルサの奇跡』の記述がルーセンさんが言ったものと同じかどうかも調べて、セネリアが禁書庫に入ったのかの確認もしないとですね」
「あっ、そうだ。それなんですけど、さっきの管理人さんですが、過去にセネリアに会ったことがあるそうです。それも、その時、一緒にいた前の管理人さんが、セネリアを禁書庫に入室させてしまったと言っていました」
美生の報告に、ナツメが左隣の書棚を調べていた彼女を振り返る。
「それはどういった経緯で?」
「セネリアが、自分は『ルシルサの奇跡』の第二王子レテの遺志を継ぐ者だと言い、窓の外に広がるルシスの果てを塞いでみせたので、これは本物だと開けてしまったということでした」
「塞いだのは、実際は境界線を発生させたわけですよね。しかし、レテの遺志を継ぐ者……ですか」
「レテ王子と言えば……ルーセンさんて、レテ王子にそっくりですよね?」
「へっ!?」
美生の左側で本の物色に勤しんでいたルーセンが、裏返った声を上げる。
そして彼は、ぎこちない動きで美生から顔を背けた。
「今日、侍従長さんに会うために通して貰った部屋に、ルーセンさんの肖像画があって驚いたんです。それで聞いてみたら、『ルシルサの奇跡』を起こしたレテ王子だと教えてもらいました」
「え、いや、その、勘違いじゃないかな。僕は王族じゃないし、うん」
「――時に、ルーセン。境界線の方はどうだった?」
もはや美生に背中を見せる格好になっていたルーセンを見かねてか、やや離れた場所にいたカサハが話題を換えてくる。
「あ、うん。果てが無くなってた」
気を取り直したルーセンは、助かったとばかりに即答した。
「昨日やったみたいに石を投げたらさ、当然のように境界線の向こうから出て来たんだよね」
「昨夜のマナの光と無関係とは考えにくいな」
「その境界線のことなんですが、気になることがあります」
ナツメが片手を挙げて言う。
皆は一旦作業の手を止めて、彼に注目した。
「昨日、境界線の前でルーセンさんが「過去の景色を見せられている」と言いました。俺もその時は納得していたのですが、よくよく考えるとおかしな点があって」
「おかしな点?」
名前を出されたルーセンが、ナツメに聞き返す。
「王都の境界線に過去の景色が映されている、それ自体は合っていると思います。ですが、写影の魔法は術者本人の記憶からしか、映すものを選べないんです。そして、王都のルシスの果てはセネリアが生まれる前から存在する。彼女にそれ以前の景色は映し出せません。だから俺は、王都の境界線には写影の魔法は使われておらず、境界線そのものに過去を映すという特性があると考えています」
「境界線が元々過去を映す? どういうこと?」
「境界線は精神の交流に鍵を掛け、「在る」と認識出来ないため無の空間に見える。これはおそらく半分は正解で、もう半分は間違いだったんです。例えばルーセンさん、この本の題名を見て覚えて下さい」
ナツメが手近の本を一冊手に取り、その表紙をルーセンに見せるように持つ。
「うん、それで?」
「俺が手で表紙を隠します。でも何の本だったのか、直ぐさまわからなくはならないですよね。つまり、現在の認識を遮断しても、過去に見えていた頃の「こう在ったはず」という景色が人の記憶には存在するんです。無にはならない。王都の境界線に映されているのは、果てをその目で見たことがない大多数の人間の、「こう在るはず」が反映されていると思われます」
「なんてややこしい造り……ん? 待って。人間の「こう在るはず」の『記憶』、魔獣が『記憶』を奪った翌日に塞がった『ルシスの果て』。……あれ? もしかすると、もしかしない?」
「ルシスの果ては人間の記憶を元に、大地として再形成されている……?」
「あっ」
美生が声を上げ、仮説を口にしたナツメに身体ごと向き直る。
「私、「時間の概念があるのは人間だけ」という話を聞いたことがあります。他の動物は「現在」のみに生きていて、人間のように昔はどうだったとかこの先はこうなるのではといった、「過去」や「未来」に意識が行くことは無いそうです。人間だけが魔獣に襲われるのは、そのせいじゃないでしょうか?」
一息に言った美生に、ナツメは興味深げに彼女を見た。
「「在りし日のルシスの記憶を持つ」ために、人間だけが襲われるということですか。考えられない理由ではないですね」
「おい、魔獣らしき記述があったぞ」
一人資料探しを再開していたらしいカサハが、読んでいた本から顔を上げる。
その声に三人がカサハの側に集まり、彩子も少し離れた位置まで行き、彼が開いている頁を覗き込んだ。
(やっぱり読めないか)
内心溜息をつく。
ルシスに残ろうと決めたなら、何らかのフラグが立って識字に目覚めたなんて展開は無いらしい。地道に頑張るしかないようだ。
「ガラム地方の大半が果てに呑まれた時、旧王都にて王女三人により『神に繋がる柱』が立てられた。柱から黒い霧を纏った『滅びと再生の使者』が降り立ち、その使者は王都の人間と引き換えに果てを塞いだ」
カサハが、内容を読み上げる。
「状況から考えるに、『神に繋がる柱』は境界線。『滅びと再生の使者』は魔獣でしょうね」
ナツメがそう付け加えて、それから彼は一笑した。
「なるほど。これは確かに禁書でしょう。世界が滅びかけ、そしてそれを防ぐために王族が民を生け贄に捧げたんですから」
「旧王都が壊滅した原因は、重度の記憶障害による廃人が多数出たことでの都市機能の麻痺とあるな」
カサハが、パラパラと頁を捲る。
それを目で追っていたルーセンは、魔獣らしき挿絵のところで眉を顰めた。
「よく考えたらさ、王都の遷都先が砦っておかしいわけだよね。どれだけ人が減ったんだよって話。――あのさ、境界線が『神に繋がる柱』って呼ばれてるあたり、やっぱり魔獣に人間のマナを集めさせてるのって、ルシス?」
「その可能性が一番高いと思います」
「う、わー……。ルシスが不完全なことは知ってたけど、まさか綻びを直すのに人間からマナを集めてたとはね。それは初耳」
「ルシスが不完全、ですか?」
「あ、まずい。……あー、これ言っちゃっていいのかな……ルシスってさ、生まれつき身体の弱い人間がいるように、ルシスも不完全なまま生まれてしまった世界なんだよね。だから原因らしい原因が無くても、バンバン果てが出来ちゃうわけ。ほっといたら滅んじゃうわけ。正直、本気でセネリアが神に取って代わっても良かったんじゃないかなって、僕は思う時があるよ」
ルーセンが、大袈裟に溜息をついてみせる。
「特に今の本に出て来たガラム地方は、果てが出来やすい場所の筆頭だね。ガラム地方自体が広い土地だから、その大半となると相当な広範囲になると思うよ」
「ガラム地方は、ルシスの北。ルシスの東に位置するイスミナからは見えない土地です。それなのに王女たちがそういった行動に出たということは、神託があったのかもしれませんね」
「それはどうだろ。普段は人間に有益な神託を出してるルシスだよ、それなりに愛着があるはず。生け贄を差し出せなんて言うかな?」
「――聞こえた、という可能性もあります」
「聞こえた?」
「これも人間に例えるなら、当時のルシスは腕なり足なりが欠損したような重傷。大体の人間ならこう叫ぶでしょう、「誰でもいいから助けてくれ」と。王族はその叫びを聞いたのでは?」
「……っ」
ルーセンが目を瞠り、ナツメを見る。
何かを言い掛けて開いた口を、彼はそのまま閉じた。
「……」
俯き喉元に手を当てたルーセンが、唇の動きだけで言葉にする。
『それでも、どうして』
(そう言えばルーセンは、ここで初めて疑問を抱くんだっけ……)
また扉に背を凭れていた彩子は、ルーセンの挙動を目で追った。
『セネリアはルシスを殺し、取って代わるつもりだった』。これはセネリアが直接語った言葉ではなく、ルーセンの独断と偏見。それに気付いた彼は、真相を知りたいと思い始める。
(多分、無意識では最初からそうじゃないとは思ってたんだろうな)
場所を移したルーセンが、鬼気迫る形相で書棚に並ぶ本を次々手に取る様子を、彩子は悲痛な思いで見つめた。
「あの、ナツメさん。その場合、魔獣はルシスの自然治癒力ということになりませんか? 境界線を消しても良かったんでしょうか。勿論、魔獣の被害は放ってはおけないですけど」
ルーセンと入れ替わりで、美生がナツメに質問する。
「それについては、最終的には解決するという答になります。『ルシス再生計画』は、ルシスの安定、元より修復する必要の無い世界にすることが目的です。境界線という水門を開けることで一時的に水嵩が減りますが、そこへ充分な水を注ぎ足すイメージですね」
「あった!」
突如、ルーセンが叫ぶ。
手にした赤い表紙の本を、彼は直ぐさま開いた。
「『レテの手記』。僕が見たセネリアの記憶で読んでいた本は、これだ!」
先程のカサハの時と同様集まってきた面々をルーセンが見て、それから紙面に目を戻す。
「『ルシルサの奇跡』の第二王子――レテはマナを力業でルシスに流したわけだけど、手記によれば元々はルシスの神域でそれを行う予定だったみたいだ。ルシスの心臓部にあたる神域で流せば、ルシス自身が巡らせることが出来るから彼の考え方は合ってる。そしてこれを読んでいたセネリアは神域に入った……」
「――そのセネリアは、レテの遺志を継ぐ者と名乗った」
ナツメがルーセンの言葉を継ぐ。
「だがその場合、セネリアの境界線の乱立はどう見る。神域から大量のマナを流すのは、俺たちがやろうとしている『ルシス再生計画』と同じだ。同じであるなら、ルシスを遮断する境界線は再生の妨げにしかならない」
腕組みしたカサハが、腑に落ちないといった言葉つきで二人に問う。
「! いえ、それこそきっとさっきナツメさんが言ってた水門の考え方をしたんです。水が、マナがセネリアだけじゃ足りなかったから、セネリアはマナの行き場を絞ったんじゃないでしょうか!?」
美生がハッとした表情で、カサハの顔を見上げる。
ルーセンが美生を見て、次いでカサハを見る。
「だとしたら、セネリアは――」
ゴーンゴーン……
ルーセンの呟きを掻き消すように、大きな鐘の音が鳴り響く。
「まずい、閉館三十分前の鐘だ。セネリアは前の禁書庫の管理人の目の前で境界線を出したんでしょ? 玉は多分館内だよ!」
「場所は南西の廊下の端だ、行くぞ」
カサハが言い、ルーセンが慌てて本を元の書棚にしまう。
部屋の扉をカサハが押さえ、全員が禁書庫から退室する。
彩子は、自分より先に出ていた美生に目を遣った。
(この彩生で、美生は……)
親密な距離でカサハと並んで歩く美生を見る。
彩子は廊下を歩きながら、前を行く彼女の背からずっと目が離せないでいた。




