21.マナの光
第一波の魔獣がすべて倒され、第二波――増援二体が崖下に現れる。
(ナツメ……ごめん)
想像以上に血が滲んだナツメの服に、彩子はぎゅっと手のひらを握り締めた。
防御力の低いナツメにとって魔獣の一撃は、センシルカでカサハが負った傷より重いものになる。
あの時のカサハのライフの減り具合は、三分の一程度。ここでのナツメは、三分の二以上が削られていたはずだ。
(傷は治っても、傷を負った事実は変わらない)
痛感する。ゲーム中では立ち絵のグラフィックが変わらないため、見過ごしてしまっていた。
もし、今度『彩生世界』をプレイしたなら――。考えようとして、けれど上手く想像出来ない『彼らではない彼ら』の姿に、彩子は考えることを止めた。
バシュンッ
現れた二体の魔獣の内、一体がカサハの剣撃で黒い霧に変わる。
残された一体が、カサハに爪を立てようとしたのを、彼はそれを躱した。
(この後、あの魔獣はかなりこちら側に移動してくるはず……)
その場合、自分も魔獣の射程に入ってしまう。彩子はゴクリと唾を飲んだ。
魔獣に襲われ怪我をするのは勿論怖いが、それ以上に勝利パターンから外れることが何より怖い。
これまでを見てきて、彩子は自分の動きに、魔獣は明らかに反応を示していると感じ取っていた。魔獣にとって攻撃の優先順位が低いだけで、自分は本当のシステムグラフィックのように、ゲームの外に存在するわけではないのだ。
攻撃されるのは自分であってはいけない、しかし迂闊に動いてもいけない。彩子は、徐々に近付いてくる交戦地帯に焦りながらも、その場に踏み止まった。
(落ち着け、落ち着け……)
魔獣はカサハなら止めの範囲の軽傷。しかし、次の攻撃者はルーセン。
(大丈夫。手順通りなら――)
息を詰めて魔獣を見据える。
そして間もなく、「大丈夫」の瞬間は訪れた。
ガシュッ
勢いよく、黒い霧が立ち上る。
ルーセンのクリティカルヒット――戦闘終了だ。
「……はぁ」
彩子は詰めていた息を大きく吐いた。
その様子を見ていた真正面に立つルーセンに、「アヤコ、あのさ」と気遣う口調で声を掛けられる。
「そんな青い顔してるくらいなら、手順言った後、ガーッと遠くに逃げてもいいんだよ?」
「それだと、フィールドの外にいる本来この場にいない魔獣を釣ってしまう可能性がゼロじゃないから、駄目」
「じゃあ戦闘が始まるもっと前に手順を言っておくとか。メモしてるくらいだから、前もってわかってるんだよね?」
「わかってるけど、前もってそれを言うと、皆の立ち位置が変わるかもしれない。そうなると予言が使えないから、駄目」
「予言細かい!」
ルーセンが額に手を当て、大仰に天を向く。
「そうこうしてる内に、図書館は閉館してる時間だし。仕方ない、明日だね」
それから彼は暮れ始めた空に、やれやれといった感じで皆に言った。
夕食の食堂で美生が何気なく言った一言により、明日の午前は美生とカサハが再び王城へと出向くことに決まった。
『禁書庫の鍵って、普段は図書館に置いてないんじゃないでしょうか?』
許可は下りていても、鍵が掛かった部屋は鍵を使わなければ入れない。
そして『禁書』が置いてある書庫の鍵だ、その辺の司書が管理しているはずないのである。
そんなわけで、明日は美生とカサハ以外は二人が城から戻るまで邸で待機となっていた。
――予定としては。
(予定は未定ってね)
予定通りにはならないのだ。今それを知っているのは、彩子だけだが。
邸の廊下を行きながら、彩子は窓の外を見た。
すっかり星空に変わった空を見ながら歩き、目的の部屋の前まで来て、立ち止まる。
コンコンコン
目的の部屋――ナツメの私室を訪ねた彩子は、ノックの後に来た「どうぞ」というナツメの声に、扉を開けた。
「お邪魔します」
言いながら、入室する。
執務机の横で立ったまま何かの帳簿を見ていたナツメが、こちらを振り返った。
「アヤコさん? 何かありましたか?」
訪問者が彩子だったことが意外だったのか、ナツメが少し驚いた表情を見せる。
「あ、ううん。これといって用があったわけじゃないんだけど……」
ナツメは夕食前に着替えたので、今はもう彼の服にあの戦闘の形跡は見られない。
食堂でも確認したことだ。けれど、また確認したくなり、部屋まで押しかけてしまった。
「そうですか。用が無いけれど来た。貴女が口にすると、嬉しく感じるから不思議ですね。まあ、一瞬本当に「謝りに来た」のかと思ったので、その点では残念でしたが」
ナツメが帳簿を閉じ、それを机の上に置く。
「うん?」
彩子は彼が口にした台詞に、何の話かと首を傾げた。
そのまま三秒ナツメの顔を見て、
「……って、あ!」
そして思い出す。
『いいですよ。謝る必要は有りません。必要は有りませんが、貴女がそうしたいのであれば、今夜俺のベッドまでどうぞ』
彩子はナツメから顔ごと目を逸らし、少し熱くなった頬を手の甲で軽く擦った。
「あんな質の悪い冗談を真に受けるわけないし、ナツメだって真に受けそうなタイプの人には言わないでしょうが」
「正確に表現するなら、真に受けられては困る相手には言いませんね」
ナツメがまだ入り口付近にいた彩子の傍へと寄ってくる。
そうして目の前まで来て、彼は彩子のまだ赤いであろう頬を、くすぐるような手つきで触れてきた。
「大方、昼間のことを気にして来たんでしょう? 俺にああ言った指示を出したことを貴女は気に病んでいるようですが、少なくとも俺にとって貴女は厭うどころか、精神的に満たされる相手ですよ」
「……そう、ありがとう」
「ついでに言えば、肉体的に満たしたい相手です」
「そう、ありが――って、待って。どさくさに紛れて何言ってるのよ」
「あははっ。でもこれも、真に受けられては困る相手には言いませんよ、俺は」
ますます直視出来ないような発言をされ、彩子の視線が彷徨う。
「……その、何をしてたの?」
ここは話を換えるに限る。彩子は、ナツメの肩の向こうに見えた先程の帳簿を指差した。
彩子の指の先を、ナツメが目で辿る。
「ああ、あれは邸の来訪者記録です。一時期この邸で、養父が連れて来た患者を治療していたことがあったんです。それで名ばかりの別邸だというのに、今でも少なくない数の患者が訪ねて来ているようで――どうしました? アヤコさん」
「えっ、あ……」
思わず後退った拍子に肘が扉にぶつかってしまい、その音にナツメがこちらを振り返る。
と同時に、ハッと彼が息を呑む。
(これってやっぱり……)
ナツメが身を翻し、元の執務机へと向かう。
動けない彩子の前で、ナツメが帳簿――来訪者記録を速い速度で捲って行く。
「――ああ、これ、ですか」
そしてナツメが発した一言に、彩子は彼が何を見つけてしまったのかがわかった。
「まさか……母がこの邸を訪ねていたなんて」
「……」
『来訪者記録を確認しているナツメ』は、ナツメルートのイベントの一つだ。
本来はこのイベントが発生する前に、ナツメの母親が行方不明だという話を彼から聞く機会がある。それが無かったことに加え、現在美生がカサハルートを進んでいたこともあり、このタイミングで発生するのを完全に失念していた。
「――なるほど。貴女の今の反応の意味、理解しました。この日付……正確にはこの日付の翌日ですが、覚えがあります。王都を揺るがす大事件があった日です」
帳簿を閉じたナツメが、閉じた帳簿を表紙を感情の見えない目で見つめる。
「両手両足と首が切断された女性の変死体が、王都近郊の山中で発見されたんです。その女性の顔は、判別出来ないほど潰されていたそうです」
「……っ」
ナツメの母親は、息子の活躍を耳にして、ただ様子を見に来ただけだった。そして、折角だからと彼が好んで食べたお菓子を焼いて持って来ただけだった。
しかし、ナツメの養父は、金づるのナツメを母親が取り返しに来たと、勘違いした。
「そこまでしなければ、俺が生き返らせるとでも思ったんでしょうか。生憎、俺は例え生きているように見えるほど綺麗な死体でも、死んでしまった人間は治せませんよ」
ナツメの手から滑り落ちた帳簿が、机上に落ちた弾みで、脇に積んであった書類をヒラヒラと舞わせた。
「滑稽ですね。俺の所為で死んだ母を、俺はイスミナで待っていたんですから。酷く……滑稽です」
ナツメが嗤う。哀しく、嗤う。
ああ、覚えがある。このナツメの哀しい顔に、胸が締め付けられた覚えが。彩子はナツメを見つめながら、キュッと唇を噛んだ。
そんな顔をしているのに、ナツメは美生に「一人にして欲しい」と、そう言うのだ。そして美生は、ナツメが気になりながらもどうにも出来なくて、退室する。
(一人になった部屋で静かに涙を流すナツメに、私は――)
「――少しの間、傍にいてもらえませんか?」
(え……?)
耳を疑う。
自分が彼に掛けたかった言葉を、彼自身が言ったことに。
「う、ん……」
ナツメに全意識が行き、彩子は地を踏む感覚さえわからなくなった足で、彼の方へと歩み寄った。
(ナツメ……)
傍まで来て、それでも足りない気がして、もう一歩だけ踏み込む。
「――っ」
刹那、引き倒されたかのような勢いで、彩子はナツメの腕の中へと抱き込まれていた。
「少しだけ……このままで」
耳元で、ナツメの揺れる声が聞こえる。
ナツメの手が震えているのが、掻き抱かれた背中を通して伝わる。
(私……聖女じゃないほうで、良かった……)
ほんの一瞬の躊躇いの後、彩子はナツメの背をぎゅっと、抱き締め返した。
「彼女は俺の母親でなかったなら、今でも生きていたんでしょうか。あるいはそれ以前に、俺が存在しなかったなら――」
「ナツメが存在しなかったら、私が大損してたわ」
『存在しなかったなら良かった』。その言葉を、彩子は遮った。
「……アヤコさんが、大損ですか?」
「そうよ」
ナツメの背に回した腕の力を弛め、そっと包み込む触れ方に変える。
それから彩子は一度大きく息を吸い、吐いた。
「ナツメがいたから、ナツメや皆に私は会えた。皆と出会えて、「あー、楽しい」って思ったことが何度もあったわ。元の世界にいた時に最後にそんなふうに思ったのって、随分昔だったなって思ったのよ。ナツメが私にその貴重な体験をくれた」
重い空気を払拭するように、軽い口調で一息に言う。
「だから大損ですか」
「そう」
ナツメの背をポンポンと叩けば、今度は僅かだけれど楽しげな彼の笑い声が聞こえた。
「ふふっ、俺は、とことん親不孝者のようです。母に早くお前もこちら側に来いと呼ばれても、生きて傍にいたい人がいるのだと間違いなく、それも躊躇いなくその誘いを断るでしょうから」
「是非、そうして」
元気が出た様子のナツメに、もういいだろうと手を離そうとして、けれど離れ難くなる。
触れた彼の体温が恋しいと、そんな気持ちが確かに存在する。
(この腕の中は、安心する……)
正直、自分のナツメへの好意が恋愛感情なのかはわからない。けれど、ルシスに残るのも悪くはないと、自分は間違いなく思ってしまっている。
(もし、ルシスに残ったとしたら……)
衣食住――は、エピローグまで行ったら、神殿の邸の空き部屋を交渉してみたらいい。
仕事――は、元の世界でもずっと仕事があるとは限らないから、こちらで再就職は有り。
人間関係――は、寧ろ広がったくらいだ。
両親は存命だが、彼らは海外にいてもう何年も会ってない状態で。ある意味、「異世界」に行ったのは彼らの方が先とも言える。
(困らない――わね)
初日同様の結論が出て、彩子は苦笑した。
(予言者の役目が終わったなら、その時は――)
バンッ
「!?」
思考の海に沈んでいたところを、大きな物音で現実に引き戻される。
見れば、部屋の扉を大きく開け放ったルーセンが、険しい表情で立っていた。
「ナツメ、アヤコ、外、外を見て!」
ズカズカと室内に入ってきたルーセンが、真っ直ぐに窓へと向かう。
ルーセンとすれ違ったところで、彩子はまだナツメと抱き合ったままだったことを思い出し、慌てて身を離した。
ナツメも呆気に取られていたのか、難なくその腕が外れる。
彩子とナツメが注目する中、ルーセンは引かれていた厚手のカーテンを手荒く掴み、全開した。
「!」
夜だというのに、街全体が薄らと明るい。
王都の各地でシャボン玉のような光がゆらゆらと昇り、空に溶けて消える。それがそんな景色を作り出していた。
「マナの、光……?」
光の名称を、ナツメが口にする。
信じ難いといった、掠れた声で。
食い入るように光を見ていたナツメが、ぎこちない動きでルーセンを見る。
ルーセンは、ナツメに大きく頷いて見せた。
「魔獣が王都の人たちから、大量にマナを抜いているんだ!」




