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『彩生世界』の聖女じゃないほう  作者: 月親
第三章 イベント回避の方向で
24/40

20.セネリアの編み籠

 昼食後、全員で外出することになり、彩子は一行の先頭を切って進むルーセンの背を見ながら歩いていた。

 王都の西門を潜り街の外へと出る。

 数刻前、食堂でカサハがルーセンに尋ねた、「玉に触れた際に、美生自身のマナがルシスに流れないのか」という懸念については、彼は「それは大丈夫」と、キッパリと否定した。

 『ミウは生きているからね』

 セネリアのマナがルシスに還るのは、本来は還るべきものが無理矢理留まっているのを正した結果だという。だから、還らないことが自然である美生のマナは平気なのだと、ルーセンは説明した。

 その返答を受けてカサハが美生が倒れた旨を報告しようとしたところで、カサハどころか全員の視線を、ルーセンは集めることになった。

 『そうそう。この後、西門近くの地形を調べたいんだけど』

 と、ルーセンが切り出したのだ。

 あまりにタイムリーな話題をそうとは知らず口にしたルーセンが、皆の異常な反応に「ごめんなさい!」と慌てふためく一幕が見られた。

 ルーセン曰く、謝った理由は「一日休みと言ったのに、そんなことを言い出したから顰蹙ひんしゅくを買ったと思って」、だそうだ。

 因みにその食堂の遣り取りはゲームではモノローグの箇所で、カサハが美生のマナが云々についてルーセンに問い質したところから、ルーセンが皆の視線を集めたところまでが書かれていた。だから、ルーセンが謝ったときには、彩子まで驚いた。

「あの辺りなんだけど。カサハ、やっぱり僕が調べたかった場所と同じ?」

「ああ」

 立ち止まって崖の一角を指差したルーセンに、カサハは頷いた。

(あ、ここから公式)

 二人の会話に、彩子は周りを見回した。

 この辺りは、通常は立ち入り禁止区域なだけあって、人の手が入っていない背丈の高い草むらが広がる。

「カサハとミウは何でまたここに?」

 ルーセンの立つ位置は、街から延びる路の終わり。

「先日、王城でミウが外を見た際に、この辺りの景色に違和感を覚えたと言っていた」

 カサハは北へ数歩行って、ルーセンよりも崖の近くへ移動。

 美生はカサハの傍へ。彼より少し南で立ち止まる。

 三人は彩子の前方に。ナツメだけ彩子の後方、やや離れた路の上に立っていた。

(概ね一致するけど、初期配置と若干違うような……)

 一連の会話の最後に、この場所で戦闘が発生する。『予言』をやるには、その時点で自分の知る初期配置になっている必要がある。

 彩子の記憶では、ナツメはそのままで、他の皆がもう少し彼の方へ寄っていた。

 会話は暫く続くから、その間中棒立ちということは無いと思うので、その差だろうか。

 そう自分を納得させ、彩子は公式会話に注意を戻した。

「ミウが倒れた場所で、ナツメの見立てでは境界線、と。うん、だろうね。僕もここへ来て確信した。そこには、一見見えない境界線がある」

「一見?」

 含みのあるルーセンの言い方に、カサハは彼に問うように復誦した。

「うん。いやー、これは気付かないよね。何というか、イスミナやセンシルカの逆? イスミナとセンシルカは在るものを無いように見せていた。で、今度は無いものを在るように見せているみたいだね。そこはさ、無いんだよ。本当は」

「本当は崖とは違う地形ということか?」

「地形どころの話じゃないね。無い、本当に無い。この一帯は、もう随分昔にルシスの果てに侵食されて存在しない土地のはずなんだ。セネリアの境界線によって僕たちは、ルシスの果てに侵食される前の、過去の景色を見せられている。だから、境界線で直ぐ倒れてなければ、ミウはルシスの果てに触れてしまっていたかもね。ルシスの果てならマナが少ない――というか無いから境界線の条件にも当て嵌まる」

「果てだと? あれは、触れたものすべてを消滅させるという話だぞ。こんな王都の近郊にそんなものがあるというのか?」

 「目にしている光景は過去のもの」の次は、「本来ならそこにあるのはルシスの果て」。ルーセンの言葉に、カサハが困惑した声音で彼に問う。

 そんなカサハにルーセンは「幸いここのは小規模だけどね」と言い、それから彼は『見えない境界線』に目を向けた。

「王都の近くに出来た、ルシスの果て。誰もがカサハと同じように、恐れ戦いたはずだよね。だから僕は今、セネリアが境界線を作った元々の目的は――ルシスの果ての補修だったんじゃないかと考えてる」

「どういうことだ?」

「順番的に、セネリアが王都に境界線を作ったのはイスミナやセンシルカより前になるんだ。つまり、セネリアが本当にやりたかったことは、もしかしたらルシスの果ての補修なのかもって」

「俺はそうは思えない。見えなければ今回のミウのように、知らずに触れる危険があるだろう」

「そうだね。でも境界線は、果てのように一瞬にして命を奪うわけじゃ無い。それに境界線は魔獣のように、マナを抜く対象は人間に限られてる」

 ルーセンが、境界線を横切るように悠々と空を行く鳥を指差して言う。

 彼の指の先を追って皆が鳥を見上げる。皆の目の前で忽然と姿を消した鳥が、少し離れた空を何事も無かったかのように飛んでいったのが見えた。

「危害があるのは、人間にだけ。だったら隠しておくメリットの方が断然大きいんだ。果てはマナが少なくなると拡大する。果てがあることでその土地から人が離れたら、ますます果ては拡大する。悪循環を断ち切るために、知らないまま人にその土地に住んでもらうのは、非常に有効な手段になるわけ」

「だが、魔獣の被害が酷くなれば、結局は土地を放棄ということになるのでは?」

「! 編み籠……」

 なおも食い下がるカサハの隣で美生が呟き、カサハは彼女を見下ろした。

「編み籠とは?」

「イスミナ周辺を調査した時に、ルーセンさんが言ってた例えです。人間が作った編み籠に、勝手に鳥が巣を作ったっていう」

 美生がカサハを見上げて言う。

 美生の返答に、カサハは右方向へ視線を動かし、過去の記憶を辿る素振りを見せた。

「――ああ。その鳥が魔獣ということか。セネリアは境界線が魔獣の住処になることに気付き、その後はその習性を悪用した」

「まー、セネリアがルシスに対して、取って代わってやろうと考えたのも無理は無いかもね」

 ルーセンが近くの大きな石に腰掛け、伸びをしながら言う。

「こんなさ、目と鼻の先に世界の終わりがあるような世界だよ、ルシスは。もっとまともな世界が良いって思っても、おかしくないよね」

 側にあった小石をルーセンが拾って、地面に向かって放り投げる。

 転がったそれは、先程の鳥とは違い、ある地点で消えたまま現れることは無かった。

「僕がここを調べたいと思ったのは、地震の原因が果てが拡大したことになる地盤沈下かと思ったからなんだ。けど、石が消えた距離から行くと、寧ろ若干塞がったかも?」

「えっ、果ては塞がることもあるんですか?」

 美生が驚きに聞き返す。

 彼女はルシスの果てとは、地球で言うところの宇宙空間のようなものだと考えていた。だが、ルーセンの説明では、それだとルシスは世界の大きさが一定では無いことになる。

「あ、やっぱりその反応だと、ミウはとても安定した世界から来たみたいだね。ルシスはあるんだよね、そういうこと。過去に何度かあって……有名なのは『ルシルサの奇跡』かな。王族が人為的に果てを塞いだんだ。ルシルサが遷都先に選ばれたのは、それが一番の理由になると思う」

 ルーセンが座っていた石から立ち上がる。

「二百年くらい前かな。ルシルサはまだ王都じゃなくて砦だった。で、ルシルサよりさらに西にある土地の領主の軍と遣り合ってた。かの領主は突然独立を宣言して、他の土地への侵略を開始したんだ。当時の第二王子が率いる軍が侵攻を食い止めてたんだけど、そんな中、両軍を呑み込むルシスの果てが発生してしまった。あ、今僕たちの前にあるものもそうだけど、果ては別に世界の端から拡がるものじゃないんだ。人間だと酷い怪我が原因で、身体の一部が元の形から変わってしまうようなものかな。例えがちょっとアレだけど」

 ルーセンは片腕を上げ、逆の手でスパッと上げた腕の方を切る真似をしてみせた。

「まー、とにかく間近にそんな危険なものが出来てしまった。勝敗がどうのと言ってる場合じゃない。そんな時に第二王子――レテが、果てを塞ぐ宣言をし、そしてその通りになった。王族の神秘の力を目の当たりにした敵方は戦意を喪失。めでたしめでたし」

「王族の力ってすごいですね……」

「この場合、すごいのはレテの根性かな。生き残るために必死になる人は大勢いるけどさ、死ぬために根性出すとかそう出来ない」

「? それってどういう?」

「レテは果てを塞ぐために、自分のマナを自分の意思でルシスに流したんだ。でも通常は、生きている生物のマナをルシスは受け付けない。だから彼は部下に自分を剣で刺させた。ルシスに、自分はこの後死ぬから受け取れよってね。これだけでも壮烈なのに、さっき倒れたミウならわかるだろうけど、マナの総量がある程度減ると普通は意識が無くなるんだ。意識を保ったまま空になるまで――死ぬまでルシスにマナを流し続けるのは根性通り越して狂気かもね」

「――ルーセンさん」

 少し前から何か考え込む様子を見せていたナツメが、ここで彼の名を呼んだ。

 振り返ったルーセンに、ナツメが視線を向ける。

「その話は王家に伝わるものですか? 俺が読んだ書物には、第二王子レテが宣言とともに果てを消し去ったという記述のみで、彼が具体的にどうしたかまでは書かれていませんでした」

「え? じゃあルシスが死んだって誤報みたいに、これもまた伝わってるのは王都だけってこと?」

 ルーセンの返答に、ナツメは即座に「いえ」と首を振った。

「王都でも見たことがありません。俺はめぼしい書物は王立図書館のものも含め、各地のものを一通り目を通しています。ですが、ルーセンさんが話したような記述は無かったように思います」

「まさか! じゃあ何でセネリアは知ってたんだよ!?」

 大きな声を出したこと以上にその不可解な台詞に、皆がルーセンの方へ注目する。

 それに気付いたルーセンは、気まずそうに頭を掻いた。

「えーと……例によって僕はちょっと特異体質で。セネリアの記憶の一部を、ルシスを通して見たことがあるんだよね。今、ナツメが知らないと言った歴史に関してもそう。セネリアが境界線を作ったやり方も、消し方も、だから知ってた。異世界の人間を召喚する――ミウとアヤコを召喚したあの魔法を作ったのもセネリアだよ」

「セネリアがですか? しかし、何故彼女が」

「異世界から人間を召喚するっていっても、誰彼構わずというわけじゃなくて。最初に言ったけど、セネリアの波長と似ている人間を呼び込む魔法なんだ。多分セネリアは、自分がルシスを取り込んだ後で境界線をその人間に消させるつもりだったんだと思う。自分が神になってしまえば、ルシスを弱らせる境界線は必要無いからね。あ、ちなみにアヤコが呼べたのは、似てないけどセネリアのことを知り尽くしてたからだと思う」

「ん? あー……そう、かもね?」

 舞台の観客気分で眺めていた彩子は、作中には無いルーセンの補足の言葉に、咄嗟だったこともあり曖昧な相槌を打った。

(そう言われてみると、確かにあの召喚魔法の判定基準から行くと、私も該当者になるわね)

 ルーセンが今言ったものではなく、本当の判定基準を思い出して、そう考える。

 彩子が判定基準が判明する場面を回想している最中、

「――禁書」

 ぽつりと、ナツメが呟いた。

 そして、顎に手を当て思案顔をしていた彼は、スッとその手を下げた。

「一般常識以上の歴史が書かれているとしたら、禁書と呼ばれるものがそれにあたるんじゃないでしょうか?」

 今度は通常の声量で言って、ナツメが一人一人の顔を見て行く。そうしながら敢えてだろう、彼は彩子だけは見なかった。

「禁書庫の入室には、王の許可が要るという話だ。セネリアは一般人だろう」

「確かにセネリアは一般人です。ですが……一致すると思いませんか?」

 カサハの疑問を受けたナツメは、北の方角を指差した。

「ここに境界線を出す場合、一望出来る場所は王立図書館周辺。セネリアが王立図書館へ寄った可能性は高いと思います」

 ナツメの台詞を聞きながら、彩子は素早く全員の立ち位置を再確認した。

 知っている初期配置と同じ。彩子は懐に入れてあるメモに手を掛けた。

「それ、禁書に魔獣の記述もあるパターンじゃない? 早速、図書館に行って――って、あ、ここで来るわけだ!?」

 ポンッと手を打ったルーセンが、次に慌てて武器を構える。

 魔獣発生の前兆であるグラグラと揺らぐ景色を前に、彩子は「最初は――」と、いつもの手順の読み上げを始めた。

(戦闘が始まるタイミングも、皆の初期配置もちゃんと同じ……うん、大丈夫)

 読み上げながら、再々確認をする。慎重になっているのは、午前のナツメの一件が頭を過ったからだ。

 ナツメが本来のエピローグと同じ心境になったのは、初日の食堂での一言がきっかけだと言っていた。もし本編と食い違うなら、それ以降から違ってきたはず。

 共通ルートや美生が進行中のカサハルートに関連しない限りは、影響が無いのかもしれない。あるいは、ナツメのフラグが立ってるどころかエピローグまで回収済みというのが幸いしたのか。とにかく戦闘手順に影響が無さそうなのは助かったと、彩子は胸を撫で下ろした。

(幾つかランダムで発生するイベントもあったから、私のもその範囲内に収まっているのかも)

 手順を言い終え、彩子はメモを元の場所に仕舞った。

 今回の魔獣の第一波は、崖の下に現れる。だから彩子が顔を上げた頃、丁度最初の魔獣とカサハの一撃目がぶつかっていた。

「どうやら今日は、俺が景気良く血を流しそうな作戦ですね」

「!!」

 カサハに気を取られていた彩子は、ナツメの指摘に思わず肩を跳ね上げた。

 何故なら今回の手順は、回復魔法を使ったナツメに敵の目が行く仕様を利用したもの。そう、彼の言う通りだったから。

 ナツメを振り返れない彩子に、ナツメがそれでもどんな表情をしているのかわかるような、楽しげな笑い声を上げる。

「いいですよ。謝る必要は有りません。必要は有りませんが、貴女がそうしたいのであれば、今夜俺のベッドまでどうぞ」

「! ちょっ!」

 さっきとはまた別の理由で、彩子は肩を跳ね上げた。

 そして思わずナツメを振り返ってしまった。

 移動を始めたナツメとのすれ違いざまに、その妖しい笑みが一瞬目に入る。

「何でだろ。僕にはナツメよりアヤコの方がピンチに思えてならない……」

 後ろから聞こえてきたルーセンの「ご愁傷様」と言わんばかりの声に、彩子はうっかり同意しかけた。

 ルーセンも手順に従い、崖の方へと駆けて行く。

 一人この場に残った彩子は、こちらに背を向けたナツメに改めて目を向けた。

(本当に、もう……)

 ナツメが詠唱を始める。僅かにも迷った様子など無く。

(優しい人……)

 彩子はそんなナツメを凪いだ心で見つめた後、そっと彼に頭を下げた。


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