19.不可視の境界線
「ナツメはいるか!?」
応接室でナツメと向かい合ってお茶をしていた彩子は、玄関ホールから聞こえたカサハの声に、反射的にそちらの方向を見た。
ナツメがソファから立ち上がる。
(あ、本編イベントが始まった)
彩子は手にしていたカップをテーブルに置いた。
本編でもナツメは、この時応接室にいた。状況は来客があって、その客人が丁度帰った場面だったが、彼の立ち位置は作中と同じだ。
彩子は立ち上がり、本編の場面へ入り込まないようにソファから離れた場所へと移動した。
使用人にナツメの居場所を聞いたのか、カサハのものと思われる足音が、こちらに近付いてくる。
そして彩子が移動を終えた直後、
バンッ
応接室の扉が勢いよく開かれた。
「ナツメ!」
「カサハさ――ミウさんに何がありました!?」
カサハの名を呼ぼうとしたナツメが、彼に抱えられていた美生の姿に、直ぐさま事情を尋ねる。
「それが……突然、意識を失ったとしか言い様がない」
今程まで彩子が座っていたソファに美生を寝かせながら、カサハは困惑の表情で答えた。
ナツメが美生の傍らに片膝立ちになり、彼女の頭から足先へと目を動かす。
「この症状は……!」
ナツメが何かの魔法を唱え、それによって現れた光が美生の身体を包み込む。
その光が収束し、ナツメがもう一度美生の頭から足先へと目を遣る。そして彼は小さく頷いた後、立ち上がった。
「ミウさんが気を失った原因は、境界線に触れたからです。以前、カサハさんが境界線に触れた時と同じ症状で間違いありません」
「馬鹿な! こいつの側にそんな場所は無かった」
ナツメの診断に青ざめたカサハが、目を瞠ってナツメに叫び、次に美生を振り返る。
「ここ数日散々探し回っていたのだから、それは俺もわかっています。だから考えられるのは、王都の境界線は「在るけれど見えない」。イスミナやセンシルカとは違った形で存在するということです」
「ミウはどうなんだ?」
「これ以上マナが流出するのを防ぐ保護魔法を掛けました。現時点のマナの抜け具合から、深刻な記憶の欠落は起こっていないはずです。カサハさんが境界線に触れた時にも使えていれば、貴方の記憶の欠落も防げたのですが」
「いや、ミウに大事が無くて助かった。――感謝する」
自身を落ち着かせるためか、カサハは一拍置いて、ナツメに礼を述べた。
ナツメがそれに「いえ」と返し、考え込む体で「それにしても」と続ける。
「カサハさんの時にも思いましたが、体内のマナが吸い取られるとは、境界線は巨大な魔獣のようですね。……いや、境界線が魔獣の住処だとしたら、あるいは境界線が本体で魔獣にマナを回収させているんでしょうか」
「可能性は有るだろうが、だとしたら境界線がマナを集める理由は何だ?」
「わかりませんね。境界線も魔獣も情報が少な過ぎます。境界線の正体については一旦置いておいて、カサハさん、ミウさんが気を失う直前までどうしていたかわかりますか?」
「――ミウと西門周辺を歩いていた時に、地震があった。それで近くで崖崩れが起きたんだが、周りが崩れているのに一部まったく変化の無い箇所があって、気になって俺は一人で崖下まで降りてみた」
カサハが腕組みをし、記憶を辿るように話す。
「降りた俺をミウが崖の上から追ってきて、それで問題の崖の上にミウが立った直後、倒れた。腹立たしいが、俺にはこれ以上のことはわからない」
「西門付近の崖、ですか。あの辺りは、それこそセネリアが生まれるよりも前から、立ち入り禁止区域だったはずです。今回の調査でも遠目には境界線が無いか見ていますが、確かに近くまでは行ってませんでしたね」
「「在るけれど見えない」境界線、か……」
「……ここは?」
「ミウ! 気付いたか」
「気分はどうですか?」
カサハとナツメに立て続けに声を掛けられた美生が、キョトンとした顔で二人を順に見る。
彩子は起き上がった美生を認めて、彼女の死角になる位置へと移動した。
(良かった。顔色は悪くないみたい)
無事なのは知っていたが、平気そうな美生の様子にほっとする。
「ここは俺の邸です。ミウさんは突然気を失って、カサハさんがここまで運びました」
彩子は引き続き、彼らの成り行きを見守った。
「あ! そうです。ある場所に立った時に、急に気が遠くなったというか。上手く表現出来ないんですけど、身体の中から外へ何かが引っ張られた……そんな感覚があって」
「やっぱりマナが体外に流出していたようですね。今はどうですか? 俺の保護魔法が効いているはずですが」
保護魔法と聞いて、美生が自身の全身を一通り見る。
「はい、何とも無いです。ナツメさんの魔法っていつもすごいですね」
「いえ、皮肉な話ですが、セネリアがやった境界線の応用です。ルシスとのマナの遣り取りを一時的に遮断しました。折を見て解除します。遮断したままでは、セネリアの玉をルシスに還せませんし、何より人体に影響があるので」
「そう言えば、ミウを通してセネリアの玉をルシスに還しているという話だったな。そのためにミウは、ルシスの土地を巡ることが必要だということだったが……今回の件を見ると、それは危険とは言えないか? セネリアの玉を還すということは、ようはミウが取り込んだセネリアのマナをルシスに流す行為だろう? ミウからルシスへの流れが出来た結果、ミウ自身のマナまで流出しないとは限らない」
「ルーセンさんは、計画のためなら手段を選ばないというようなタイプではないとは思いますが……しかし、実際に行ってみて初めてわかったこともあったかもしれませんね」
「そう言えば……どうしてルーセンさんは、ルシスを再生する方法を知っていたんでしょうか?」
ふと美生が口にした疑問に、カサハとナツメが彼女を見る。
「――そうですね。今回ミウさんに起こったことも含めて、一度、ルーセンさんと話してみましょう」
ナツメが美生に頷いて見せて、そのナツメにカサハが「ルーセンは?」と問う。
「今日は昼まで眠ると言っていました。昼食には出て来るということだったので、食堂で待ちましょう。案外、この時間なら彼の方が先にいるかもしれません」
「そうだな」
カサハがナツメにそう返し、ソファから立ち上がった拍子に少しよろめいた美生の背を、軽く支える。そこまでを確認して、彩子は皆のところへと歩み寄った。
本編イベントはここで一区切りだ。
「アヤコ、いたのか」
「いたのよ」
今の台詞からして、カサハは珍しくこちらの気配に気付いていなかったらしい。
本編イベント中だったからか、はたまた美生しか目に入ってなかったからか。
(今のカサハだと後者かなー)
思わずにやけそうになる頬を、何とか緩まないように頑張る。
やはり今気付いた様子でこちらを見た美生も、きっと理由は彼と同様だろう。
「そう言うわけで、アヤコさんも食堂へ行きましょう。もういいですよね」
唯一彩子がここにいることを知っていたナツメが、そう切り出す。
「うん」
尋ね方が「もう」いいかなのが、憎いところである。
それがどこかむず痒くて、
「なので、はい。移動、移動~」
彩子は、したり顔のナツメの背中をぐいぐいと押し、開けられたままだった部屋の扉から廊下まで、彼を押し出した。




