18.『ナツメ』とナツメ
美生が王城へ出向いた日から数日が経過した今も、境界線探しは難航していた。
今日の皆は、境界線探しは一時中断。ルーセンの提案で一日休みとなっている。
そしてその日が、ゲームでは次の事件の幕開けとなるのである。
(ようやく次の展開ね)
広場のベンチに座り、紙を紐で綴ったお手製スケッチブックに花壇の花の絵を描いていた彩子は、ふっと空を見上げた。
高い位置に太陽がある。
ちなみにルシスも多くのファンタジーものと同じく、太陽と月はそのままの名称で存在する。
(そろそろ昼だし、頃合いかな)
午前中は、美生が現在ルートに入っているキャラとの個別イベントが発生する。だから合流するのは午後からだ。
目をスケッチブックに戻し、気持ち速めに手を動かす。
(こんなもんかな)
なかなか良い出来映えに仕上がり、彩子は満足して鉛筆を紙から離した。
スケッチブックと鉛筆を肩掛け鞄に仕舞う。
(あ。あれって)
そして立ち上がったところで、見覚えのある赤毛の少年の姿が目に入り、
「ロイくん!」
彩子は、大通りから広場に入ってきた少年に声を掛けた。
「あ、アヤコさん」
何度か話して面識があった彼は、すぐにこちらに気付き走り寄ってくれた。
「ロイくんも、ルシルサに来てたのね」
「はい。神殿の邸で栽培してるマトリの花の納品に来たんです」
「あー、あれってロイくんが納品してたんだ」
手ぶらなところを見ると、既に納品後らしい。
マトリの花は神殿の邸に咲いていたものを、以前美生と一緒に見たことがあった。カサハのシナリオで出て来る花で、その時の美生も「前にカサハと見た花」だと言っていた。
「はい。王都で人気みたいですね。とはいえ、団長にまで花言葉を聞かれたのには、驚きましたけど」
「えっ!?」
思いの外大きな声が出てしまい、彩子は慌てて自分の口を手で押さえた。
そんな彩子の様子に、ロイが「やっぱりそういう反応になりますよね」と笑うが、彩子が驚いたのはそこではなかった。
(あれって、ロイくんから教えてもらってたのか)
ゲーム中では、カサハは「人から聞いた」としか言っていなかった。まさかそんな裏設定があったとは。
けれどこういった色恋に関する質問をする相手にロイを選ぶのは、案外正しい選択かもしれない。
何せ彼は個別シナリオで、他の年上三人を差し置いて、ゲーム中に唯一美生にプロポーズしてくるキャラである。もっと言うなら、年上三人が美生が元の世界に帰る帰らない問答をしているのに対し、ロイは「それなら僕があなたの世界に行きます。あなたにルシスの記憶が無くても、僕を忘れたあなたと、僕はもう一度恋を始めたいと思います」と言い放ってしまうキャラである。ぶれない恋愛上級者の最年少、それがロイだ。
「では僕はこの後、調達の仕事もあるので行きますね」
「あ、うん。頑張って」
こちらへ来た時と同様、やはりロイが走って去って行く。
(元気だなあ)
ここに彼がいるということは、あの山道を登ってきたということだ。花の納品なら到着してすぐ店に向かっているだろうし、これから調達して、もしかするとトンボ返りするつもりかもしれない。
ロイの姿はもう完全に見えなくなり、彩子は自分もナツメの邸へと歩き出した。
「アヤコさん、邸へ帰るところですか?」
住宅街を暫く行ったところで、掛けられた声に彩子はその人物を振り返った。
「ナツメ」
今通ってきたはずの道に突然現れた辺り、彼はここの住宅街のどこかの家から出て来たようだ。
「そうよ。ナツメは、今日も患者さんの治療?」
「ええ。長く王都には来ていなかったので、ここぞとばかりに呼び立てられてますよ。今出た家で今日は最後なので、一緒に帰りましょう」
「ふふっ、案外、美生より貴方の方が話題になっていたりして。お疲れ様。その鞄は、状況を察するに治療代?」
ナツメが提げていた鞄について指摘すると、少しそれを持ち上げたナツメが「正解です」と苦笑する。
「俺は医者と違って、身一つあれば治療出来ますからね。ボロい商売ですよ」
「ボロい商売にしてたのは、ナツメの養父でしょう?」
ナツメの養父は地位の高い神官ではあるが、元々はあんな邸を持てるような資産家ではなかった。
彼の金回りが良くなったのは、引き取ったナツメを利用して稼がせていたからだ。ナツメに金持ち中心に治療させ、患者からその代金として、時には小さな家を買えるような金額を吹っ掛けていた。
「そんな昔のことまで知っているんですか」
「物語でナツメの回想があって――ああ、回想と言えば、ナツメは彼が大怪我をしたときに、彼がいつも患者にやっているような高額の請求をしたわよね? あれって結局、払ってくれたの? 口では払うって言ってたけど」
「貴女の予想は当たってますよ。案の定、踏み倒そうとしてきたので一度元に戻しました。最終的には払わせましたよ」
「戻した?」
「ええ、回復魔法で再構成をして、治療する直前の状態を完璧に復元してあげましたよ」
「怖っ! どんな五歳児よ」
「やってみたら出来たもので」
「そうどうってことないって感じで言われると、うっかり想像しそうになるから禁止」
「まあ確かに、アヤコさんが言ったように最初に俺の治療は高額というレッテルを貼ったのは彼です。が、彼が亡くなった今でも、その時ほどじゃありませんがぼってますよ、俺も」
「そりゃあ、そうでもしないと永久に患者の列が終わらないでしょうよ」
ナツメの場合は、それが理由だろう。金の使い途は主に、使用人を解雇しないで済むよう邸の維持費ではないだろうか。
そう考えながらナツメを見れば、何故か嬉しそうな顔をしていた彼と目が合う。
「貴女って本当、俺のことが解ってますよね」
「そりゃあ、戦闘の手順を覚えるほど物語を見てるもの」
「それでも、「知っている」ではなく「解っている」のは、貴女だからだと俺は思います」
「……っ」
柔らかに微笑んだナツメに、一瞬呼吸が止まる。
ゲーム中のナツメは、感情の乗らない所謂作り笑いをしていることが多いキャラだった。『ナツメ』とここにいるナツメが随分違うと感じたのは今に始まったことではないが、こう唐突にナツメだけの魅力を見せられると心臓に悪い。
「そう言えば、アヤコさんの鞄から見えるそれは何ですか?」
「えっ、あ、これね。お手製のスケッチブック。白紙のまま綴じてあるものが見当たらなくて、自作したのよ。ルシスの植物とか、文様とかを描いてたの」
ナツメが指差した先を見て、彩子は肩掛け鞄から顔を覗かせていたそれを軽く叩いて答えた。
「元の世界の仕事の参考になるし、それに単純にいいなと思ったものを描くのが好きなのよ」
スケッチブック自体は持ち帰れないかもしれないが、一度描けば知識としては残る。無駄にはならない。
「元の世界の仕事……ですか」
「あ、仕事と言えば、さっき仕事中のロイくんに会ったのよ」
言葉の連想でロイの顔が思い浮かんだ彩子は、ナツメが見せた苦い顔には気付かずに、話を転換した。
「マトリの花の納品に来たって。物語では調達の仕事のことにしか触れてなかったから、新発見だったわ」
「その口振りから行くと、ロイさんまで個人名で登場するんですか。ミウさんと行動を共にしていない彼までそうとは、アヤコさんの話す物語は随分細かい設定の代物ですね」
「あ、ロイくんも行動次第では美生と親密になる対象の一人なのよ。彼は一番のお気に入りで見た回数も多いから、ここに来て新しい情報が出て来るとは思ってなかったわ」
「……え?」
設定資料集的なものを読むのが好きな性格なので、裏設定を知るのは楽しい。
彩子は弾む心のままにナツメに話ながら、歩みを進めた。
数歩行って、隣を歩いていたはずのナツメが見えなくなる。振り返れば、後方で彼は立ち止まっていた。
どうしたのかと思い、しかし直ぐさまハッと気付く。彩子はナツメに駆け寄り、彼の肩にポンと手を置いた。
「あ、うん。言いたいことはわかる。わかるから、落ち着いて思い出して。私の知ってる物語は、美生の視点で進むということを」
あれはあくまで、美生が誰かと恋をする話だ。ロイは好きだが、自分とロイは無い。年の差恋愛を否定するわけじゃないが、自分的には十一歳下は無い。
「でも好みという点で行けば、それってアヤコさん自身の好みですよね?」
「それはまあ、そうだけど……」
お気に入りであることは事実なので、素直に頷く。
「でも顔は、多分俺の方が好みですよね?」
「えっ?」
大事なのはそこなの!?
てっきりショタコンについて言及されるかと思ったのに、そこなんだ!?
ナツメの意外な切り返しに、彩子はたっぷり十秒無言で彼を見つめた。
「えーと、そう、かもね。実際、作中で一番ときめいた一枚絵は、ナツメが美生とお茶してるときのものだったし。あれは本当に良い一枚絵で。ナツメの表情の中であれが一番好きだった」
ハッと我に返った彩子は、場面を回想しながら答えた。
と、同時に何故かやけに真剣なナツメの眼差しとかち合う。
「それってどんなですか? もっと詳細に説明して下さい」
「えっ!? いや、詳細と言われても」
これまた予想外の部分に食い付いてきたナツメに、たじろぐ。
「首や手の関節の角度とか、表情筋の動いた範囲とかあるでしょう」
「あってもわからないから、無茶振りだから」
近い。近い。
距離まで詰めてきたナツメに、彩子は彼の胸を軽く押し返しながら言った。
「わかりました。この後、俺とお茶にしましょう」
何が「わかりました」なのかこちらはわからないが、とにかくナツメは離れてくれた。
再び二人で歩き出し、そこで「あっ」と思い付く。
「そうだ。それなら、私がお茶を淹れてみたい」
「貴女が?」
「淹れられるのか」ではなく、純粋に「どうしてまた」といったニュアンスで聞かれる。
「本当は、常々ナツメに何かしたいとは思ってはいたのよ。色々とお世話になってるし」
日頃のお返しとするにはささやかすぎるものだが、何もしないよりはましだろう。
「俺からすれば、貴女の予言に比べれば俺が何をしたところで、到底釣り合う返礼なんて無いと思うんですけどね」
「うーん、そうじゃなくて。そういう方面の話じゃなくて。普通に、個人間の問題としてよ。単なる友人として見たら、私は貰ってばかりで不公平に感じるのよ。そっちの方の何かしたいって衝動?」
「貴女が貰ってばかりということはありませんが……でも、ふふっ、そうですか。知ってましたか? アヤコさん」
「うん?」
ナツメが突然笑って、彩子は理由がわからず首を傾げた。
「人は何かしてくれる相手より、何かしたいと自分から思える相手の方がより強く好きなんですよ。だから貴女のその言葉は、俺には充分公平に聞こえました」
「なっ」
けれど続けられたナツメの台詞に、彩子の傾げた首は即座に元に戻った。ついでに背筋までピンと伸びた。
「貴女って、俺が考えていたよりも俺のことが好きだったんですね」
「そっ、そっ」
声になってない声を発しながら、ナツメを見ては目を逸らすを繰り返す。
そのナツメが立ち止まり、彩子も反射的に足を止めた。
どうやら邸に着いていたようで、今日は鍵を持って出ていたらしいナツメが、門を開ける。
「そういうナツメこそ、そんな台詞がパッと出て来るなんて、私が思ってたより女性慣れしてそうよね」
門を開けたナツメの彩子を中へ促す仕草がまた様になっていて、それも手伝ってかようやく出て来た言葉は、彩子が自分でも思ってもみない嫌みなものになってしまった。
(あー……何言ってるんだろ)
本当にどうしてこんなことを言ってしまったのか。
そもそもどうして動揺してしまったのか。自分といる時のナツメは、割とこういう感じの態度なことに慣れてきたと思っていたのに。
「どうでしょう? 今日、診てきた八歳のお嬢様的には、俺のような気が休まらない男は、恋人どころか候補の時点で論外だそうですよ」
「――ナツメの特性を解ってないと、あの細かさは薄ら寒いものを感じる人もいるかもね」
玄関アプローチを行きながら、会話する。
(こういうところもまた、ナツメの長所なんだろうなぁ)
失言なんて無かったかのように、会話が成り立つ。「細かい」ナツメが気付かないはずないのに、気付いて気に留めないでいてくれる。
逆にこちらが本当は気付いて欲しいことは、彼は躊躇いなく追及してくる。彼の「細かさ」は優しさだ。
「ルーセンさんには、よく面と向かって言われますし、他にもそう感じている人はいるでしょうね。だから、初日の食堂で「ナツメだしね」と言った貴女が、俺は衝撃的でした」
「衝撃的?」
いきなりナツメが脈絡の無いことを言ったかと思えば、彼はククッと心底おかしいといった感じで笑い出した。
「俺に柱の間隔を尋ねたことも、正確な靴のサイズを当ててもたいして驚いた様子が無かったことも、偶然では無かったのだとその時理解しました。俺を知っているという貴女の言葉が、嘘でも誇張でも無かったのだと。俺を理解している異性が、突然降って湧いたんですよ。本当、衝撃的としか言いようが無いでしょう」
何がそんなにおかしいのか笑い続けるナツメを、彩子はぽかんとして見つめた。
「神は一万回奇跡を起こした俺に、気まぐれに一回の奇跡を起こしたようです。俺の能力でしか出会えない貴女と俺を引き合わせ、俺はまんまと嫌悪していた自身の能力に感謝する羽目になった。神もとんだ策士ですよ」
ひとしきり笑ったナツメが、そう締め括って彩子に屈託の無い笑顔を見せる。
(――あれ?)
そのナツメのスッキリとした表情に、彩子は彼とは反対に何か引っ掛かりを感じた。
何か。そう、何かは不明だが、何かだ。
(今の台詞、聞き覚えがあるような?)
解を見つけるべく頭をフル回転させ、やがて辿り着いた可能性に、ナツメのシナリオを思い返してみる。
しかし公式のナツメの台詞を色々思い返してみても、そういった類いのものは思い出すことが出来なかった。
(勘違い? いや、でも……)
ナツメが自分の能力に感謝する。自分を肯定する。
そんな場面が確かに有ったはずだ。
確信を持って、再度思い返す。思い返す――
(これ、美生の台詞!)
そうだ。公式では、ナツメルートのエピローグで彼に告白した美生が、ナツメと出会わせてくれた召喚魔法に感謝する。今はナツメ本人がその台詞を言ったわけだが、意味合いはまったく同じになる。
(え? 待って……?)
はたと思って、彩子は目の前のナツメを改めて見た。
公式と印象が違うなとは前々から思っていたが、それは単に自分が美生ではないからだろうと思っていた。
(もしかして……)
けれど、よくよく思い返せば、自分が普段見ているような押しの強いところがあるナツメを、ゲーム中にまったく見掛けなかったわけじゃなかった。片鱗が窺われる場面はあった。ただし、ナツメルートのエピローグ、美生が告白した後で。
(え? いや、そんなはずは……)
そう、そんなはずは無い――と思う一方、思い当たる節はある。というかあり過ぎる。
(待って……じゃあまさかこの人――本気で私が好きなの!?)
まさかのまさか。
改めて見ていたナツメを、さらに食い入るように見つめる。
たらたらと、変な汗が出て来る。
「アヤコさん、どうかしましたか?」
「えっ? あ、いや……」
何と言えばいいのか、いやそもそも何も言ってはいけないのではないのか。
彩子はナツメが開けてくれた玄関扉を前に、混乱する頭で意味も無く扉の蝶番を凝視した。
「? アヤコさ――」
「!?」
ぐらり
突如、視界が揺れる。
動揺からの眩暈かと思うも、どうやら揺れているのは地面の方のようだった。
ナツメの手から離れた玄関扉が、バタンと音を立てて閉まる。
さらに数秒揺れは続き、その後収まった。
「……もしかして、アヤコさん。地震が起きるのを知っていました?」
「――うん」
正確には今思い出したわけだが、知ってはいた。この地震は、ゲーム内でも起こったものだ。
玄関扉にあったはずのナツメの手は、いつの間にか彩子を抱き込んでいて、彩子は地面に放られた彼の鞄を見下ろしながら答えた。
「それで妙な態度だったわけですか。俺が近くにいたから、事前に悟られるとまずいので避難出来なかったんですね。すみません」
どうやら彩子の挙動不審について、都合の良いことにナツメは誤解してくれたらしい。
彩子は思いがけない活路に、ほっと胸を撫で下ろした。
「大丈夫。もう離してもらっても平気」
なかなかにガッチリとホールドしてきているナツメに、その背中をトントンと指先で小突く。
知らない内に彩子自身もナツメの腰部分の服の裾を握っていたあたり、その大袈裟な庇い方も彼だけの所為とは言えなさそうだ。
ナツメが彩子から身体を離し、それから彼はじっと彩子を見てきた。
「な、何?」
やはりナツメ相手には、地震にかこつけて誤魔化すのに無理があったのだろうか。
そう思いながらナツメを見返せば、彼は一度自分の両手を見て、次いで腰辺りを見て、それから地面に転がっていた鞄を拾い上げた。
「やっぱり今日は、俺が茶を淹れますね」
改めて玄関の扉を開けたナツメが急にそう言い出し、彩子は邸に一歩踏み入れたところで、「え?」と彼を振り返った。
「貴女の言葉を借りるなら、俺が貰ってばかりは不公平なので」
「?」
不可解な理由を述べたナツメに疑問符を浮かべるも、実際のところ余裕がない今だと手元が狂うかもしれない。
「そう? じゃあ、今日はよろしくね。次こそ私が淹れるから」
彩子はナツメの申し出に、今回は素直に甘えることにした。




