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『彩生世界』の聖女じゃないほう  作者: 月親
第二章 フラグ判定確認中
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幕間 聖女と繋いだ手

(どうしよう……)

 美生は、焦る気持ちで路地裏を走っていた。

 買い出し中に魔獣が現れ、それを追ったカサハを咄嗟に追い掛けたのだが、見失ってしまった。

 「ここで待て」と言った彼の言葉を聞かずに来たあげくに迷子になったという自身の状況のこともあるが、魔獣を前にした彼の様子がいつもと違っていたことが、美生をより不安にさせていた。

(何だか怒ってた……?)

 これまでは魔獣を相手に淡々と戦っていたカサハだったのに、どうしてか先程の彼は頭に血が上っていたように見えた。

(何処まで行ったんだろう?)

 走りながらも周囲には注意を向け、魔獣とカサハが通った形跡のある路を選んで進んできた。途中でそれが途切れていたので今はその近くを重点的に捜しているのだが、未だ彼の姿は見当たらない。

(あ、人がいる)

 入り組んだ造りをした路地の一つを覗いたところで、初めて見た人影に、美生は足を止めた。

 カサハではないみたいだが、カサハの姿を見かけたかもしれない。

(でも治安が悪いという話だし)

 買い出しの時にカサハから聞いた話では、王都から派遣された騎士団が駐在しているものの、センシルカの治安は良いとは言えないらしい。

 センシルカは元々、商人が取引の場として転送ポータル周辺を街にしたのが始まりで、街の規模が大きくなったことで問題が多発したため、王都から王族の外戚が領主として派遣されてきたという。

 セネリアの事件で領主は不在になったが、王族の外戚故に遺体が見つからない状態で亡き者にするわけにもいかず、元商人である三家の貴族に名目上預けられる形となった。しかしその三家は表面上は協力し合っているが、度々諍いを起こしているということだった。

 路地の人物は遠目から見て男性で、年齢はカサハと同じくらいかそれより若いように見える。けれど、邸の自衛団にも騎士団の人のようにも見えない。そんな見知らぬ男性に迂闊に近付くのはやはりまずいだろう。

 美生は別の路を捜そうと踵を返した。

「きゃっ」

 数歩歩いたところで後ろから強く右肩を引かれ、美生はよろめいた。倒れそうになるのは何とか堪えるが、その間に何者かに右手首を拘束される。

「お嬢ちゃん、迷子かな? 俺が案内してあげようか?」

 声の主を振り返れば、いつの間にこんな近くへ来ていたのか今し方見ていた男がそこにいた。

「やっ」

 直感的に身の危険を感じ、美生は男の手を振りほどこうと思い切り腕を振った。

「おっと」

「離して下さい!」

 渾身の力を込めたはずが、びくともしない男に背筋に冷たいものが走る。

「そう邪険にしなくても。俺は案内してやろうってだけだぜ」

「わ、私は人を捜しているだけですっ。案内は要りません!」

「人? こんなところで捜している人なんて俺と同類だろ? なら俺でもいいじゃ――」

「こいつが捜しているのは俺だ。離れろ」

「ひぃっ!」

 男が上擦った声を上げる。

「カサ――!?」

 突然真横に現れたカサハ以上に、美生は男の喉元に突き付けられていた剣に驚いた。

「離れろ」

「は、はいぃっ!」

 美生の手を離した男が脱兎のごとく逃げ出す。

 その背中が完全に見えなくなり、カサハが剣を腰に収める様を、美生は先程彼を呼ぼうとして開けた口を閉じるのを忘れて見ていた。

「怪我ないか?」

「えっ……あ、はい。大丈夫、です」

 カサハの問いかけに、ようやく我に返る。

「あの、ありがとうございます。カサハさん、近くにいたんですね。全然、気付きませんでした」

「屋根の上にいたからな」

「屋根……」

 カサハの返答に、反射的に側の家の屋根を見上げる。決して低くない高さなのだが、魔獣を追い掛けて上り、今はまさか飛び降りて来たのだろうか。

「追っていた魔獣は仕留めた。降ってくることは無いから安心しろ」

 まじまじと屋根の上を見ていたのを、カサハは別の意味に取ったらしい。

(あ、そっか。だからさっき剣を抜いてたんだ)

 男に剣を向けていたことに、合点がいく。

 カサハは普段、丸腰の一般住人相手にそんな横暴な振る舞いをするような人ではない。こちらが叫んだせいで何処かでそれを聞いた彼を焦らせてしまい、きっと魔獣を仕留めたその勢いのままに来させてしまったのだ。

 美生はカサハに目を戻した。

 パッと見たところカサハに怪我などは無く、息が乱れているということもなかった。

(そうだよね、カサハさんはとても強いし)

 例え本当に彼に気掛かりなことがあったとしても、そのせいで魔獣に後れを取るようなことは無いに違いない。

「ごめんなさい、カサハさん。街で待つように言われたのに来てしまって」

 勝手に心配して追い掛けた末に、危機に陥って逆に助けられるとか。何て自分は間抜けなのだろう。

「いや、謝らなくていい。今のでわかった。お前をあのまま一人街で待たせたところで安全では無かったようだ。俺の判断ミスだ」

「?」

 何が「わかった」のか街も安全では無かったと話すカサハに、美生は首を傾げた。

「いえ、街の治安も良くないという話でしたけど、それでもここよりは安全でしょうから。やっぱり私が考えなしだったと思います」

「治安については、今後は境界線が現れる前の領主がまた領主として復帰するそうだ。俺は当時、その方に仕えている騎士見習いだったから、あの方の手腕はよく知っている。今回の混乱も含め、センシルカは近いうちに落ち着くだろう」

「仕えていた方ということは、その場合カサハさんはセンシルカに戻るんですか?」

「いや、ルシス再生計画を続ける。センシルカに戻ること自体、無いかもしれない」

 カサハが答え、それから彼は美生から目を逸らした。

「時間の流れというものを目の当たりにして、心の整理が付いていない。先程、領主の邸で領主の子息から挨拶があっただろう。俺の父が領主の近衛だった関係で、歳の近い俺とあいつ――ライフォードは友人だった」

「あ……」

 カサハが口にした「戻らない理由」に思い当たり、美生は心がズキリと痛んだ。

 あの時、挨拶をしたあの少年は、「見ず知らずの私たち」といった言葉を使っていた。友人だったはずのカサハがわからなかったのだ。

「あいつは俺の前でだけ、「疲れた」だの「面倒」だのを言っていて、あいつ自身からも俺には弱音が吐けるのだと言われていた。自分が領主となった時には、俺に近衛としていて欲しいと、そう言ってくれていた」

 買い出し中にカサハが時折見せていた心ここに在らずな様子、そして彼が魔獣に対して見せていた怒りは、彼が抱える行き場の無い感情だったのだ。

 美生は、胸が裂ける思いでカサハを見つめた。

「ライフォードはいつか俺の代わりを見つけられるだろうか。そうあって欲しいが、それはそれで複雑だな……」

 カサハがともすれば泣き出しそうな、そんな表情で苦笑する。

 そして次に彼は、一切の表情を消した。

「俺があの日、セネリアの不審な行動に気付けたなら、センシルカに境界線は発生しなかったのかもしれない。セネリアが許せない以上に、俺は俺が許せない。もしこの場にセネリアが現れたなら、俺は躊躇いなくあの女を殺すだろう」

 消えた表情同様、感情も抑揚も無い無機質なカサハの声。

「……っ」

 穏やかでない台詞でありながらその声色が淡泊なことが、却って彼の怒りを際立たせ、美生は思わず息を呑んだ。

 けれど同時に、カサハの無表情の中に垣間見えた哀しい色に、それ以上に心を揺さぶられる。

 近寄りがたく感じる一方で、すぐ傍で触れたい。そんな想いが、胸に宿る。

「すまない、怖がらせた」

 いつもの口調に戻り謝罪したカサハに、美生は即座に首を横に振ってみせた。

「怖くないですよ。同じ口からそれ以上にたくさんの優しい言葉が出てるのを、私は知っていますから」

「――お前は相変わらず、俺に甘いな」

「それを言うなら……自分勝手な行動をする私を助けてくれるカサハさんこそ、甘いと思います」

 弱音を吐ける相手は、カサハにとってもライフォードがそうだったのではないだろうか。そうだとしたら、ライフォードの未来をカサハが案じたように、誰がカサハのためにそうしてくれるのだろう。

(私が代わりになれたら、よかったのに)

 今打ち明けられたばかりの自分がそうしたところで、カサハには同情からくるものとしか思われないだろう。美生はもどかしさに目を伏せ、ギュッと両手を握った。

「俺のはお前を甘やかしているわけじゃない。俺はおそらく、お前を身代わりにしている。守れなかったあいつの……代わりに」

(私が身代わり?)

 聞き間違いだろうか? 顔を上げ、カサハを見上げる。

 まさに今自分が願ったそれを、既にそうであるのだと彼は言ったのだろうか。

 カサハと目が合い、それがふっと逸らされる。

(あ……)

 そうされたことに聞き間違いではないのだと確信して、美生は目を瞠った。

(それを許してもらえるなら)

 胸に手を当て、心を落ち着ける。

 それから美生は、一度大きく息を吸った。

「だったら、私はとても安全ですね。これからもよろしくお願いします!」

 この場の重い空気を払拭するように、努めて明るく言ってみせる。

 弱音を吐ける相手という役割ではなくとも、違った形ででもカサハが僅かにも報われるのなら、それはとても価値のあることのように思えた。

「な――」

 驚いた様子のカサハが美生を見て、瞬きを繰り返す。

「本当にどこまでも甘い奴だな、お前は」

 それから彼は、いつも以上に下手な、けれど美生を安心させる笑顔を見せた。

「一人にさせてすまなかった。帰るか」

 思い出したというようにカサハが言って、彼が美生に手を差し出してくる。

「はい」

 美生は迷わずその手を取った。

「? ああ、いや、荷物を持たせたままだったと思って、貸してくれという意味だったんだが」

「え……あっ!」

 カサハの不思議そうな顔と目が合い、美生は慌ててカサハの手に載せた自身の手を引っ込めた。

(勘違いなんて、恥ずかしい!)

 先程、二人で街を回っていたとき、カサハの話は薬草の生息地の特徴や野営のやり方など、新米の同僚にするような内容が大半だった。そんな彼が急に女性のエスコートなんて始めるわけがないのに。

(私とカサハさんは、彩子さんたちのような仲じゃないのに)

 付き合うことにしたのだと報告に来たもう一人の異邦人を思い出し、美生はそっと溜息をついた。

 よく彼女とナツメが二人で話しているのは見掛けていたが、まさかもうそういった間柄になっているとは思いも寄らなかった。

 でも二人が恋人になったと聞いて、驚くよりも「ああ、やっぱり」と納得したのを覚えている。

「えっと、じゃあ……お願いします」

 荷物はそう重くは無かったが、気まずさに美生はカサハに荷物を差し出した。

「ああ」

 カサハがそれを受け取り、逆の手に持ち替える。そして彼は空けた手で美生の手を取った。

「え?」

「さすがにもう急に走り出す真似はしないが、こうすることでお前が不安でなくなるというのなら」

 そう言って美生の手を引いて歩き出したカサハに、美生はまだ状況が呑み込めない頭で彼に引かれるままに歩き出した。

(そういうつもりじゃなかったけど……勿体ないから黙っていよう)

 ようやく事態が呑み込めて、美生はカサハに見えないように口元だけで笑った。

 えいっとちょっとした気合いを入れて、カサハの手を遠慮がちにも握り返す。

 そうして暫く歩いていて、美生は自分の顔が段々と熱くなってくるのがわかった。

(実は手を繋ぐのって、ハードル高いかも……)

 先程市場で一瞬カサハと指が触れ、ドキドキしたことを思い出す。

 今日泊まるらしい宿まではまだ遠いのだろうか。カサハに変に思われない内に、帰りたい。

「お前は俺にとってのライフォードのような――仲の良い幼馴染みのような奴はいたのか?」

「えっ、あ、はい。いましたよ」

 突然話題を振られ、美生は少し裏返った声で返事をした。

「一つ年上のお隣のお姉さんで。あまりにいつも一緒だから、しょっちゅう実の姉妹に間違われていました」

 けれどカサハの質問に懐かしい顔が思い浮かび、すぐに楽しい気持ちで自然と言葉が続いた。

 一緒に買い物に行き、示し合わせたかのように色違いの服を買っていたこと。カフェで気が合いすぎて、同時に席を立った拍子にお互いの額をぶつけ笑い合ったこと。

 その他にも幾つか彼女との思い出話をした美生は、そこでついいつもより自分が饒舌になっていることに気付き、顔を赤らめた。

「あ、その、そ、そういう感じでよく遊んでいました」

 何だか急に恥ずかしくなり、美生は話を切り上げてカサハを見た。

「そうか」

「!」

 珍しく柔らかに微笑んだカサハに、また鼓動がドキドキと早くなる。

「その優しい世界に、お前を必ず帰す。約束する」

 しかし頭上から降ってきた言葉に、今度は胸がキュッと締め付けられた。

「……そう、ですね。元の世界に戻ったら、また彼女と色々遊びに行きたいです」

 何故か痛む胸に、今口にした楽しい未来の予定を思い描いてみて。でも、一向に美生の気分は上がらなかった。

 変わらず微笑んでいるカサハに、ドキドキは鳴りを潜めて胸の痛みが増した気がした。

(どうしてだろう。親身になってくれて嬉しいはずなのに、どこか……寂しい)


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