14.口約束
見覚えのある路地に到着し、彩子は前方に在るはずの美生の姿を探した。
(いた! 間に合った)
カサハのイベントは市場巡りの途中に起きる。カサハが魔獣を発見し、それを追ってしまい、美生がそのカサハをさらに追い掛ける展開になる。この時点でカサハの好感度が足りていれば、美生は分かれ道で正解である右の道を選ぶことになる。
(よし、右に行った!)
順調にフラグが立っているようだ。彩子は小さく頷き、一息ついた。
全力で走ったためバクバクと脈打つ心臓が収まるのを待って、元の道を引き返――
「おや、姉ちゃん。こんなところに一人でどうしたの~?」
――そうとしたところで、酔っ払いらしき中年にエンカウント。
「……」
路地裏というのは、もれなく何かしらのフラグが立ってしまう場所なのだろうか。思わず顔が引き攣る。
「聞いてよ、おじさんね~、かあちゃんに追い出されちゃったのよ。姉ちゃんが一緒に飲んでよ」
ここで現れたのが質の悪いナンパではなく単なる酔っ払いなあたりが、聖女じゃないほうらしいというか何と言うか。
彩子は目だけを動かし、路地の幅を確認した。
(かわして駆け抜けるには、ちょっと狭いか)
ここより奥――美生が走って行った先はゲーム内では見たことが無い。けれど美生が不正解である左を選んだ場合でも迷子にならず宿に戻れたことからして、そう複雑な道に繋がっていることは無さそうだ。彩子はそう考え、身体を反転させようとして、
「ぐぁっ!」
突然に間近から聞こえた悲鳴に、驚きのあまりそのまま固まった。
壁にぶち当たった酔っ払いがずるずると崩れ落ちる。
いつの間にそこにいたのか、気絶した酔っ払いに無表情で一瞥をくれるナツメに、彩子は呆気に取られた。
(グーで殴ったよ、この治療士!)
ナツメの右フックは、酔っ払いの後ろからその右頬に見事なまでに綺麗に入っていた。治療士であるナツメの攻撃エモーションなどゲーム中では存在しない。これが驚かずにいられようか。
「それで、この後はどうしますか? まだ走るなら付き合いますよ」
呆けていたところをナツメに手を取られ、彩子はようやく我に返った。
「酔っ払いについて完全にスルーなのね……いやまあ最初から有無を言わさず殴ってたけどね、貴方」
「酔っ払い? 呑気ですね、貴女は。この男の右手首の辺りに違和感がありました。薬だか刃物だかを持っていたと思います」
「へ?」
しれっとナツメに言い放たれたが聞き流してはいけないその内容に、変な声が出る。
「気付きませんでしたか?」
「いやいや、気付くわけないでしょ。ナツメじゃあるまいし」
「そうですよ。だから俺から離れないで下さい」
「そ――」
そうは言ってもと言い掛けて、彩子は口を噤んだ。
いつものように涼しい顔で話しているとばかり思っていたナツメは、よく見れば肩で息をしていた。
そうなって当然だ、自分と違ってナツメは道順など知るわけがない。きっと捜し回ったはず。
「……ごめん」
「俺が貴女を見ると言いましたが、まさか戦闘時以外の方が手が掛かるとは思いませんでした」
苦笑して言ったナツメに、「あっ」と思う。彼が今言ったのは、初日の、それもその場の話の流れで出たような台詞のことだ。
(あんな口約束ですらない言葉を、ナツメはずっと覚えていてくれたんだ)
「もう用件を終えたなら、帰りますよ」
ナツメがまだ気絶したままの男性を跨いで、彩子側に来る。
一撃でこの破壊力というのは、実は本当は攻撃させても強いのではないだろうか。元の世界に帰って『彩生世界』を再プレイしたら、ナツメを見る目が変わりそうだ。彩子はそう思いながら、自分の手を引いて歩き出した彼とともに帰路についた。
ナツメと一緒に宿まで戻り、フロントで別れてそれぞれの部屋に入った。
そこで彩子は、何とはなしにいつものメモを広げた。
今回は進行していないナツメルートを順に目で追う。
尾行中にナツメに尋ねられ、思い起こしていた内容がそこに並んでいた。
王都ルシルサへ行く話になった今のタイミングで、ナツメルートの場合は彼が治療士に目覚めるきっかけとなった出来事が回想として語られる。
その日四歳になったばかりのナツメは、母と二人暮らしているイスミナの街を母と一緒に歩いていた。
神殿へ礼拝した帰り道で、今日は降神祭が執り行われていたこともあり、人通りが多い日だった。
「あら?」
ナツメの手を引いていた母が、道の端に何かを見つけて立ち止まる。
「まあ……可哀想に」
母が見つけた何かに、ナツメも目を向けた。
そこには荷馬車にでも轢かれたのだろうか、血だらけの猫が一匹横たわっていた。
ナツメが見つめる最中、不意に猫の長い尻尾の先だけが微かに動いた。その様子を見たナツメは、つい先程神殿で見たばかりの『奇跡』を思い出した。
(生きてるなら)
母の手を離し、猫に歩み寄る。
ナツメは猫の側にしゃがみ込んだ。
(えっと……そう、確か元気な体を想像するって言ってた……)
神官の説明を思い出しながら、『奇跡』を起こす詠唱の言葉を真似て口にする。
それからそっと猫の体に触れれば、ナツメの手のひらを中心として、猫の体に光が現れ広がった。
「ナツメ?」
何をしているのかなかなか猫の側を離れようとしない息子に、母が訝しげにその名を呼びながら近寄ってくる。
「ほら、もう大丈夫だよ。お母さん」
ナツメは猫を抱き上げ、すぐ側まで来た母に見せた。猫を治せば、哀しげな顔をしていた母が喜んでくれると思っていた。
「! 何てこと!」
けれどそう思っていた母は叫んだ後、両手で口を押さえ、その場に膝から崩れて座り込んでしまった。
突然叫び声を上げた女性に、周辺を行き交っていた人々が何事かと次々に振り返る。
「何てことなの……ああ、あなたはきっと神の子なんだわ。そうと知らずに我が子として育ててしまうなんて……!」
座り込んだ母は、そのままナツメに向かって祈るように手を組み頭を垂れた。
徒事ではない気配に、がやがやと人が集まってくる。そして彼らは側の少年――ナツメの腕に抱かれた猫を見て、皆一様に驚愕した。
猫の体は光に包まれており、不自然な角度に曲がっていた手足が人々の目の前で元通りに戻っていく。血まみれの一見すると死んでいてもおかしくないはずの猫は、呑気にも顔を洗い始めた。
母と同じく口々に「神の子だ」という言葉が周りから上がる中、ナツメは呆然と未だ顔を見せてくれない母を見つめていた。
(神様の子? 僕はお母さんの子供が良い)
「そうだわ。今日お会いした神官様に、あなたをお願いしましょう。もうあのようなあばら屋に、住まわせるわけには行かないわ。然るべき環境で育てていただきましょう」
(どうして? 僕はお母さんと暮らす今の家が良い)
たっ
腕から抜け出した猫が地面に降り立つ。
ナツメを一度も振り返ることなく、猫が去って行く。
母は去ろうとしている。もう二度と自分を見てはくれない。
(ああ、そっか)
どよめく人の輪の中心、ナツメは自身の両手を見下ろした。
(神様は僕以外を助けるために、僕を選んだんだ……)
回想から現実へと戻り、彩子はメモを折りたたんで懐に仕舞った。
『彩生世界』のナツメが、頑なに美生を元の世界に帰そうとするのは、この辺りから来る彼の「自分は救われない側」であるという認識が原因になっている。公式ではナツメルートのエピローグで、彼に告白した美生がナツメと出会わせてくれた召喚魔法に感謝することで、ナツメはようやく自身の能力を肯定出来るようになった。
「こっちのナツメも、いつかは救われるといいけど……」
長椅子に寝転び天井を見る。
いつか救われて欲しいと願う気持ちが本物である一方、想像に現れた彼を救える『誰か』の幻を、彩子は自分でも気付かない内に形になる前に掻き消していた。




