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『彩生世界』の聖女じゃないほう  作者: 月親
第二章 フラグ判定確認中
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09.治すための治療

 イスミナ周辺の調査から戻ってきた翌日。

 彩子は今し方まで美生といた中庭を一人出て、西の廊下を歩いていた。

 いつの間にやらルシスの花に詳しくなっていた美生が言うには、夏の花が咲き始めたらしい。

 ルシスの四季は日本と同じく、大体一年間を四等分で巡る。尤も、その一年間が三六五日とは明記されていなかったので、まったく同じとは限らないが。

「お邪魔します」

 彩子は目的の部屋――医務室の扉を開けた。

 美生はまだ中庭にいるし、このタイミングで発生する公式イベントも無かったはず。自分が利用しても構わないだろう。

 医務室には美生より小柄で、ふっくらした四十代くらいの女性医師がいたはずだ。

「あれ? ナツメ」

 そう思っていたはずが、そこにいたのは「初めまして」となる予定だった女医ではなく、見慣れた顔の男だけだった。

 診察台の横に立っていたナツメが、こちらを振り返る。

「惜しかったですね。つい先程まで、複雑骨折から内臓損傷まで重体患者の見放題でしたよ」

「そんな見放題は全力で遠慮しておくわ……」

 床に置かれた白かったはずのシーツが放り込まれた籠から目を逸らしつつ、彩子は室内へと入った。

 粗方片付けた後だろうが、床にところどころ残る赤い液体がその惨状を思わせる。

 ここへ来るときにすれ違った掃除をしていた男性が、廊下で何を拭いていたのか想像したくない。

 とにかくここの女医では手に負えない状況で、ナツメが呼ばれたようだった。

「魔獣が出たの?」

「いえ、センシルカと隣接する貴族の私兵同士のいざこざですね。あの辺はセンシルカの領主が不在になってから、ずっと遣り合っていますから。アヤコさんは、体調でも優れませんか?」

「それが……中庭で木の幹に触ったら指に棘が刺さったのが、思いのほか痛くて。ここの医者がいつ頃戻ってくるかわかる?」

「暫くは戻って来ないでしょうね。患者と張るくらい顔色が悪かったですから」

「あー……」

 医者も逃げ出す「見放題」。それは絶対に見たくない。

「ナツメは平気そうよね」

「平気も何も。骨に負荷を掛ければ折れますし、血管に穴が空けば血が漏れ出ます。何の不自然さも無い、当たり前の現象ですよ」

「その考え方が治療士に求められるスキルだとしたら、なれる人が少ないのも納得だわ……」

 治療士における正確な要件はまた違うだろうが、ルシスの治療士が使う回復魔法は、人体を再構成するものらしい。なので、腕や足くらいの欠損を再生出来る治療士はそれなりにいても、それ以上となると遠路はるばるナツメを頼ってくるそうだ。

(よく考えたら内臓損傷自体より、内臓まで的確に治せるナツメが一番ホラーなんじゃ……)

 けろりとした顔で彩子の両手を取ったナツメに、いつぞや観たホラー映画の狂人の姿が重なって、一瞬だけ背中がぞわりとした。

「治療のし甲斐がある怪我ですね」

「これくらいで来てごめんて」

 口を開けばナツメはナツメ。

 ホラー要素など瞬時に消し飛ぶ。

「皮肉ではないですよ、事実を述べただけです。貴女は怪我が痛くて治したいとここに来たのでしょう?」

 ナツメが魔法を詠唱し、初日で見た時と同じく傷の周りがぽわっとした光で包まれる。

 その光が消え、解放された両手を彩子はじっと見た。

「ありがとう。擦り傷一つ無くなってる。やっぱり魔法ってすごいわね」

「どういたしまして。俺も本来の用途で回復魔法が使えて良かったですよ。治した側から怪我をしてくる彼らを見ていると、俺まで下らないいざこざの片棒を担がされている気分になりますから」

 ナツメがうんざりといった表情で、溜息をつく。

 それから彼はその場に屈み、先程彩子が見つけた赤い点々を側にあった布で拭き取った。

 立ち上がったナツメが、例のシーツが入った籠にその布を投げ入れる。

「あまりに怪我をしてくるものだから、本心ではそろそろ止めを刺して欲しいのではと疑っているくらいです」

「絶対違うと思うから止めは刺さないでいてあげて……」

 不機嫌を隠そうともせず物騒なことを言い出した治療士に、冗談とわかっていても顔が引き攣る。嬉々として患者に止めを刺すナツメが、難なく想像出来てしまうのが怖い。

「彼らが安易に怪我をする原因が俺に有ると、本気でそう思っているわけじゃありません。ああいった類いの馬鹿は、俺が生まれる遥か前から存在していたでしょうし。それがわかっていて苛立つんですから、俺は怒りっぽいんでしょうね」

 籠を蹴って壁に寄せる仕草は、確かに「怒りっぽい」人がやりそうではあるが……

「うーん……」

 一つだけじゃなかったらしい籠の群れを見なかったことにして、彩子は唸った。

「ナツメくらいの反応なら、面白い話を聞いてつい笑ったり感動して勝手に涙が出て来たりしたのと、同レベルだと思う」

 そして、しっくりきた表現を彼に伝えた。

「――そう言う考え方は、初めて耳にしました」

 目を瞠ったナツメが、こちらを見てくる。

「怒るは怒ってると思うわよ? ナツメが思っているのとは別件でね。原因は俺じゃないと言いながら、しっかり怒りの矛先は自分に対する無力感のようよ。窘めるどころか、私からは「苦労性ね」といった感想しか出て来ないわね。「責め役」は貴方自身で間に合ってるんだから」

「……責め役は俺で間に合ってる、ですか」

 目を瞠ったままのナツメが、器用に口だけを動かす。

 かと思えば、次の瞬間には彼は肩を震わせて笑っていた。

「はははっ、やっぱり俺は好きですね。そういう俺とは異なる発想を持つ貴女が」

「……っ」

 笑いながら今日もまた迂闊に「好き」ワードを繰り出してきたナツメに、思わず息を呑む。

 何故これを公式で発揮しなかったのか、この男は。

 そうしたらゲーム中で美生が「私は好き、でもナツメさんは違うみたい」と、あんなにも悩まずに済んだだろうに。

 ここにいるナツメなら、少しくらいは自分のことを好きでいてくれるのではと、そう――

「え、えーと……明日からセンシルカに行くことになってるけど、イスミナや邸の状況はどうなの?」

 何故だか突然落ち着かない気分になり、彩子は思考を中断した。

 笑うのを止めたナツメはナツメで斜め下辺りを見ながら、「脈が無いわけでも……それなら――」と腕組みでよくわからない独り言を口にしている。

 ナツメの視線が真横へ斜め上へと動いて、彩子の視線と巡り会ったところでそれは留まった。

「――ああ、すみません。そうですね、平和なものです。突然未来に飛ばされる形になったイスミナですが、街単位で消えていたのが幸いして、割と普通に日常が再開していますね」

「あ、やっぱり? この前、美生と一緒にイスミナの街に行ってきたんだけど、聖女が来てるのに本当普通で。ちらほら彼女に向けられる視線はあったから、多分認識はされていると思うんだけど」

 自分としては、寄ってくる人波を縫って彼女を脱出させる場面を思い描いていた。なので、拍子抜けだった。

「アヤコさんは、例えば草原に突然城が現れたとして、建てた人や方法が気になったりします?」

「……意外にも気にならないわね。それによって自分に被害が及びそうなら調べるかもしれないけど」

「そういうことです。ルシスが再生されたからといって、誰がやったのかと熱心に探す人は案外いないんですよ。人の興味の先は大抵、それで自分の生活がどう変わるかであって、それを行った人物には向きませんから。アヤコさんたちが異世界人だと知られた場合の反応もまた同様だと、俺は踏んでいます」

 確かに便利な発明品の登場に歓喜はしても、だからといって発明した人が誰というのは特に気にならないかもしれない。異世界人の方も、現代で有名人とすれ違っても軽く目で追う程度で、特に感想を抱いたりはしなかったように思う。

「だから――安心してルシスにいて下さい」

 なるほどねと感心していた彩子の思考を、今度はナツメの声が中断させた。

「――そうね」

 何でもないはずの、添えられただけのはずの言葉がやけに響いて聞こえた事実を、彩子は気付かなかったことにした。


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