08.魔獣の動向
おかわりした器も空になり、片付けも済んだところで空を見上げれば、星が出ていた。もうすっかり夜だ。
「今日は二回魔獣に遭遇したけど、あいつらいつ見ても黒いよね~。夜には出ないで欲しいなあ」
同じく空を見上げていたルーセンが、ランプの光量を調整しながら言う。
「俺の結界は肉体を持った相手にしか効かないですからね。まあ、怪我でもしたら起こして下さい」
「自分だけ起きてこないとかずるくない!?」
「あ、ルーセン。私も関与出来ない戦闘は放置だからよろしく」
ここでは戦闘は起きないことになっているが、今後のためにナツメの台詞に乗っておく。
以前ナツメも勘違いしていたが、ゲーム中戦略シミュレーションパートでないときにも戦闘は無いわけじゃない。『彩生世界』では、文章でこういった戦闘がありましたといった表現が出て来た場面が、幾つかあった。これまでルシスでそうだったように、美生が召喚されてからも彼女が関わらない場所で魔獣に遭遇する人はやっぱりいる。
「魔獣の数は大分減っているように感じた。深刻な事態でない限り俺が一人で対処するから、お前たちは寝ていていい」
「団長格好いい! 僕は惚れちゃうね」
「茶化すな」
「そういやカサハの言う通りこの辺りは魔獣の発生が激減してるけど、それが原因かどうかは別としてセンシルカの街周辺で逆に魔獣の発生が増えたみたいだね。カサハ、自衛団から何人か応援に出しているんだっけ?」
「今は七割は出しているな。それでも完全に被害を防ぐことは出来ないと聞いている」
「……水道のホースみたいなことになっているんでしょうか?」
ルーセンとカサハの遣り取りを聞いていた美生が、誰に言うでもなく呟く。
「ミウ、ごめん。僕にはその例えがわからない」
それを拾ったルーセンが、彼女に尋ねる。
「あ、えっとですね。水が通る柔らかい管がホースで、そのホースの一部を押さえて出口を狭くすると流れる水の勢いが増すんです。魔獣も出口が少なくなったから、残ってる境界線に偏ったのかなと」
「あー、なるほどね。それだと水の出所は同じ――あ、ミウの考えは合ってるかもね。今日遭った魔獣は魔法衣のカサハを無視してミウを狙ってきたし、奴らは意思を共有してるのかも。となると、イスミナに続いてセンシルカの境界線を消した場合、王都で魔獣が大量発生する可能性があるね」
「えっ、それってまずいですよね……」
「まずいはまずいけど、逆にそれが利用出来そうかな」
「利用ですか?」
「魔獣の湧き具合から、王都に境界線があるのは間違いないんだけど、実は現時点でそれがどこなのかわからないんだよね。境界線の場所がわからないと、玉の在処が尚更わからない。魔法を使うなら影響の出る範囲が一望出来る場所で行うだろうから」
「イスミナの境界線は、神殿がある丘に玉がありましたね」
ルーセンが美生の相槌に頷き返し、それから西の空をちらりと見る。西は王都がある方角だ。
「センシルカみたいに今も魔獣が増えているだろうけど、王都は対処する人間も多いから今はまだ大丈夫だと思う。ただ、王都だと対処が間に合わなくなった場合の反動がやばいかな。物理的に襲いかかってくるのと違って、記憶の方は寝ている間にものの数秒でスコンと抜かれるらしいから、人が密集している地域ほど一気に被害が広がることになる。遭遇した時に気絶して、記憶を抜かれた例もあったけど」
「記憶を奪われるのは、意識が無い時だけなんですか?」
「そうだね。例外中の例外で、いっそ大元を叩いてやろうと境界線に突入した勇者は、起きたまま記憶障害になってたらしいけど」
「そんな人がいたんですか!?」
「うん、いた。というか、そこにいる」
ルーセンがカサハを指差す。
自分が話題に上ったカサハは、剣の手入れをしていた手を止め、顔を上げた。
「幸い失ったのは過去一年程度で、直前の記憶は残っていた。魔獣は境界線から出て来るだけと思われていたが、境界線へ戻っていくものもいた。それを見るに、人間の記憶は魔獣の餌で、境界線の向こうに巣でもあって持ち帰っているのかもしれない」
「直前の記憶があれば、一年分の記憶が飛んでも幸運とか……」
「前日までの約束や取り決めなどは、記録を読み返せばわかる。魔獣に記憶が抜かれるのは周知のことで、記憶障害になったからといって奇異の目で見られることもない」
「そういう問題!?」
「……やっぱり魔獣を生み出したのは、セネリアなんでしょうか」
「どうかな? 人間が適当に庭に置いた編み籠に、鳥が巣を作っちゃうこともあるからね」
「あ、そうですね。私の世界でもそういうのありました」
ルーセンの例え話に、美生が頷く。
次いで彼女は、考え込む様子を見せた。
「編み籠は何かしようとしていたかした後で置き忘れたかですけど、セネリアが境界線を作った理由って何なんでしょうか? そういう行動に出る人って、普通は何か要求があってそれを呑まなければ実行するってパターンだと思うんですけど。そういうのは無かったんですよね?」
「そうだね。だから僕が思うに、多分セネリアは自分が神に取って代わろうとしたんじゃないかと思う」
「神に取って代わる、ですか?」
「境界線による世界の遮断は、人間で言うなら四肢を切り落としているようなものだよ。そうしておいて、いよいよ心臓を刺しに神域に入って。それでもルシスを取り込むのは失敗したみたいだけどね」
「でも、そのせいで神様は、その……亡くなられたんですよね?」
言い難そうに小声で言った美生に、ルーセンが「え?」とキョトンとした顔になる。
「あー、去ったって説明がこっちの方じゃそう伝わっているんだ。いや、死んではいないよ。創造神ルシスと世界の名前が一緒なのは神への敬意とかそういうんじゃなくて、この世界が神そのものだからなんだ。神が死んでたら境界線だの魔獣だのの騒ぎどころか、今頃天変地異のオンパレードだよ」
「つまり言葉通り、神殿から出てどこかほっつき歩いてるということですか?」
「ナツメは神に対してもぶれないよね!」
「あの、ルシスの神域にセネリアが封印されているんですよね? 神様でも、自分を殺しに来た人間と一緒にはいたくないんじゃないでしょうか?」
「確かに何かの拍子に封印が解けて、寝首を掻かれるのは避けたいかもしれませんね」
美生の考えにナツメが首肯する。
それから彼は、体育座りでボヤッと皆を眺めていた彩子に、「アヤコさん」と声を掛けてきた。
「やけに静かですけど目を開けたまま寝ていませんか?」
「起きてるわよ。でも口を開くと色々ポロッと言っちゃいそうで黙ってる」
「ちょっ、アヤコ、絶対口を開かないで」
「わかってるわよ、ルーセン。悪いけど、先にテントで休んでるわね。皆、おやすみ」
彩子は立ち上がりながら、やや早口で就寝の挨拶をした。
「おやすみなさい」
「おやすみー」
「よく休め」
「その言葉通り休んで下さいね」
歩き出した後ろから、皆の返事がくる。最後に来たナツメのそれが彩子の頭の中を見透かしているようで、彩子は苦笑した。
彩子の手には既に懐から取り出したメモがある。
これは単純に選択肢と選んだ結果を箇条書きで書いたものだ。けれど、そこに書かれていない何故そういった展開になるのか、その時に彼らがどう思いどう行動したかまで、彩子には思い出すことが出来る。
目の前の彼らがこれから傷付いていく未来を、自分は知っている。
(まだ観てない人に映画のあらすじをバラしたい人の心境って、こんな感じかしら)
敢えてふざけた例えを考え、彩子は無理矢理口角を上げてみた。
明日の朝は、きっとナツメから「よく休めたようですね」と皮肉を言われることだろう。
彩子はそう考えながら、彩子と美生用に用意されたテントに入った。




