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『彩生世界』

 見知らぬ場所で目を覚ますと、

「本当に、ごめんなさいっ」

 見知らぬ美少女にいきなり平謝りされた。

 いや、正確には『見知らぬ』ではない。見たことはあった。傍らに座って顔を覗き込んできている彼女も、その後ろに立ち並ぶ三人の男性にも。

 ついでに同様の意味でこの場所も見知らぬところではなかった。窓の無い幾つかの松明だけが掛けられた石壁の小部屋。背面の壁にはひび割れた大鏡。場所名は確か『交信の間』だ。

(……これは、異世界設定の夢ね)

 『彩生世界さいせいせかい』の夢を見ている。橘彩子たちばなあやこは、そう確信した。

 割と最近までよくプレイしていた『彩生世界』は、アドベンチャーパートと戦略シミュレーションパートから成る乙女ゲームだ。主人公の顔が表示されるタイプで、目の前にいる美少女がまさにそれ。ゲーム開始時に名前変更は可能だが、デフォルト設定は『八色美生やいろみう』。彩子もその名前でプレイしていた。

「八色美生」

 彩子が呼ぶと美少女が目を丸くして驚く。やはり正解らしい。

「よっと」

 このまま寝転がっていても仕方がない。彩子は上体を起こした。

 そんな彩子の動きを見て、男性のうちの一人が近付いてくる。彼は彩子の隣に片膝をつき、その手で彩子の左手を取った。

「健康状態に問題はなさそうですね」

 彩子の脈を測りつつ、その他諸々にも視線をやってから、彼が言う。

治療士ヒーラーのナツメがそう言うなら安心ね。まあ現実の私は、家で爆睡してるんだろうけど」

「その爆睡していたという貴女を俺が召喚しました。夢だと認識しているようですが、現実ですよ」

 彩子が呼んだ名前を否定せず、彼――ナツメが答える。

「いや、貴方に現実って言われてもね」

「俺が嘘をついていると?」

 サラリと流れる長い銀髪のやたらと綺麗な顔立ちの青年が、こちらをじっと見てくる。その瞳の色は紫。

 さすが、ファンタジー。

 彩子は感心しながら青年の瞳を見つめ返した。

「そういうわけじゃないわ。ただ根本的にってこと。だって、ナツメやここにいる面々て物語の登場人物じゃない」

(何を説明しているのかしら、私)

 はたと思って、気恥ずかしさに頬を掻く。

 素直に夢を楽しめない自分が少し恨めしい。この設定も設定だ。折角の異世界物だというのに、ご丁寧にヒロインまで登場させている。これでは自分がイケメンとイチャラブになる展開はまったくもって期待出来ない。まあ、十の位が一つ違う少女になりきるのは、夢ですら無理があるとも言えるが。

 もう一度美生へと視線を戻す。

 ああ、本当に美少女。これは無理。うん、無理。

 ゲームでそのキャラに合わせた台詞というものは大体わかるが、それを実際に言葉にする勇気は無い。あれは可愛くて誰からも好かれるヒロインだからこそ、言える台詞だ。もう別れたが彼氏がいた時期もあったし、寧ろ攻略される側の長身だし、それになにより最年長のキャラと同い年の二十七歳では、始まるものも始まりようがない。

「……あ、そういうこと」

 不意に斥候スカウトのルーセンの呟きが、遠い目になっていた彩子の耳に届く。ルーセンは緩やかなウェーブの金髪を三つ編みで纏め、緑の垂れ目に泣き黒子。典型的チャラい系イケメンだ。

 彼は「カサハ」と自分の隣に立つ騎士ナイトの名を呼んだ。

「僕たちにこれから起こる出来事を物語として先に知っている、だから彼女は予言者なんじゃないかな?」

「――なるほどな」

 ルーセンの言葉に、表情筋をピクリとも動かさずにカサハが頷く。カサハは口数が少ない無愛想キャラという設定だが、確かにこれは表情からは感情が読めない。褐色の肌に黒髪、アイスブルーの瞳、そして攻略対象キャラの中で最も長身で年長。うん、存在感がある。

「それで君は、どんなことを知っているの?」

「ルーセンのことだったら、自称二十六歳で、きのこ料理が嫌いなことから隠しておきたい秘密までかしら」

 興味深げに尋ねてきたルーセンにそう言ってやれば、彼が明らかに驚いた顔する。

「あ、その辺はバラすつもりないから、安心して」

 彩子はルーセンにそう肩を竦めてみせた。

「と、いうわけで私だけ自己紹介しておく。私は橘彩子。彩子でいいわ」

 すぐに目が覚めるかもしれないが、それまでは自分はここの住人だ。彩子はひとまず夢か現実かの問答は置いておくことにした。

「彩子さん!」

 ぎゅっと美生に両手を取られる。

「巻き込んでしまってごめんなさい! まさかナツメさんが本当にあなたを召喚するとは思わなかったんです。私が、あなたがまるで神のように全てを見通して采配する姿を夢で見たなんて言ってしまったから……」

 そして彼女に視線を戻すや否や、再び謝罪された。

(神のように全てを見通して……うーん、言い得て妙な)

 彩子は一度苦笑して、それから彼女の肩をポンポンと軽く叩いた。

「大丈夫、大丈夫。今言ったでしょ、私は貴女よりもこの世界に詳しいの。そう気に病まないで」

 美生の肩までの髪がふわりと揺れ、伏せられていた彼女の瞳がこちらを見る。美生は瞳の色こそ茶色だが髪の方は桜色。現代の女子高生で十七歳という設定だが、あくまで『彩生世界』の現代であり、彩子からすれば彼女もまた立派な異世界人である。

「彩子さん、ありがとうございますっ」

 弾む声でお礼が来て、美生が笑顔になる。

(うわ-、可愛い!)

 パァッと花が咲いたような笑顔とはこういうのを指すんだろう。ゲームをやっていた時も思ったが、やはり美生は可愛い。

「貴女をこの世界『ルシス』に喚んだ理由は、今ミウさんが言った通りです。――立ち上がれますか?」

 横からナツメに話し掛けられ、そちらを向けば立ち上がる彼が目に入った。元々体調が悪くてこんな体勢だったわけではない。彩子は立ち上がり、軽く伸びをした。

(あ、寝間着だ)

 そこで初めて自分の恰好に気付き、よれたTシャツの裾を思わず摘まむ。まあアウターもOKなカップ付きタイプだし、ボトムは高校時代のジャージのズボンだし、完全に部屋着専用の服というわけではないのでコンビニくらいならこのまま行ってしまうわけだが。

「近いうちに靴だけ調達して欲しいんだけど」

 髪は短いので手櫛で充分。気になるのは裸足なことくらい。彩子は一通り自分の恰好を確認した後、ナツメに要望を言った。

「わかりました。邸に戻り次第すぐに手配しま――」

「敵だ!」

 ナツメの言葉をカサハの声が遮る。

 ザシュッ

 と同時に、カサハの剣が『敵』の身体を薙いだ。

 『交信の間』と地上とを繋ぐ階段から降りてきたらしいそれが、カサハの剣によって部屋へ侵入する前に階段側へと追い返される。

(魔獣!)

 「グルル……」と声を上げる獣のような形をした黒い霧。それについても彩子は見覚えがあった。

(美生たちが出てくる夢だもの。そりゃあ魔獣もいるわよね)

 手負いの魔獣が身を翻し、階段を駆け上がって行く。

「追うぞ」

 言うが早いかカサハが魔獣を追って走り出す。

「ちょっ、カサハ。……あー、えっと取り敢えず団体行動ということでいい?」

 ルーセンが、突然のことに戸惑った様子の美生に声を掛ける。

「! は、はいっ」

「うん、それじゃあ行くよ」

 美生の返事にルーセンが頷き、それから彼は地上への階段に向かって走り出した。


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