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記す憶え

 学院公爵侍女生活は早いもので気づけば一週間経過。


「アルハ!父上ったらまた母上以外の女の人を好きになっちゃったんだって!また僕の弟か妹ができるんだよ!」


 嬉しいのかそうでないのかよくわからない興奮を携えて殿下が突撃してきた。

 学院で学園以上の拘束時間のなか勉学等に励むライオットの寮室だ。誰もいなくて鍵がかかっていたり、アルハがいなかった場合どうするのか一抹の興味を抱きつつ、読んでいた薬効草辞典を閉じる。天使殿下は今日も眩しい。前世基準で父親の浮気愛人など銀河に種をばらまくような種馬的活躍を聞いてしまったら心底軽蔑する案件ではあるが、さすが王族さすが天使。もう!くらいの軽すぎる不満未満をご表明されている。


「元気な陛下ですね」


 下的な意味で。お盛んですね、というかお盛んなら天使殿下の実弟妹がいてもおかしくないような。王様としては可もなく不可もないイメージではあるものの、父親としては最低だなというのがアルハの率直な感想である。


「母上がまたご機嫌斜めさんになっちゃう。なんで父上は母上じゃだめなんだろう?」

「良心的解釈をすれば絶対的な王位継承者を一人に絞っておくためでしょうか。側室の子やら庶子であれば擁立は難しく、派閥も纏まりづらいかなと」


 不思議と側室やつまみ食いの相手の爵位は伯爵位下なのだ。後ろ盾のない姫や王子を量産するのも賢いとは言えないので結局アルハには王室の狙いが分からない。天使殿下が害されると阿鼻叫喚の泥仕合が開催されることになるのだ。

 良心的解釈をすれば、と前置きしたので天使殿下は次句をきらきらした瞳で待っている。良心的の逆はいうなれば悪態なので聞かないほうがいいのではないかな、とはぐらかしに笑ってみるも通じなかった。


「でも、殿下への配慮でないとするなら…ゼウスですね」

「ぜうす!?」


 前世単語に全身を輝かせて殿下が全力で食いつく。頂点で妻がいて種馬っていったらそりゃゼウスでしょう。

 ギリシャ神話の全知全能の神ゼウス。婚姻と離婚を繰り返し、婚姻中に実の姉と永遠の愛を誓い、有力者の娘がいればふらふら、美女の噂を聞けばふらふら、誰かの妻でも、姿形を変えてでも騙してでも無理やりでも不倫に浮気にやりたい放題、とにかく突っ込んで注ぎたい全知全能の神。半神の超人を生み出すためとかいう言い訳をしているようだが、禊対決でぽこぽこ神を量産する神のおわす国の民には通じない。


「__そんなこんなで血の力を振りまく使命、キリッ。といわんばかりに色んな女性と愛し合うことに全力で、正妻にばれないように小細工にも全力で、思い通りにならないと容赦なく粛清するゼウスという神が前世の世界の一部で語り継がれておりましてですね」

「ふわぁ!なんだか父上みたい!」

「女性遍歴だけを気に留めてしまうと、あの、アレな神なんですけど。権力の象徴という面では絶対だったんです。多々神々がいるなかで全知全能の言葉を冠したり多神教であるはずなのに唯一神と同様の扱いでとにかく別格ですごい神なのは確かなんですよ」


 おそらくは覇者の系譜と貴族のあやかり、占領地の有力者の取り込み。実際の人間としても宗教の形態としても飲み込み組み込んでいった結果こんな現代倫理観におけるクズ野郎最高神が出来上がったに違いない。キリスト教でも、神は唯一と定め他の神を貶めて神話に組み込み、布教として既存の価値観を塗り替えて人の心を支配し取り込んでいくのだ。

 神話は大昔の人間の系譜や戦記が尾ひれ胸ひれ羽に角まで付け加えられて伝えられたものだとアルハは思っている。


「遠い未来、陛下はゼウスのように神として伝えられるかもしれませんね」

「父上はぜうす、うん。なんかすっきりした!ありがとうアルハ!」


 殿下の笑顔が一層華やぐ。思い切りディスった神を王様と重ねるのだからアルハは気を揉んでしまうが、殿下は天使だからきっと『おんなのひとがだいすきなすごいかみさま』と、真綿に包んでふわっと軽いきらきらしたナニカに浄化して認知し使用するのだろう。

 でもなぁ、と腑抜けた呟きを殿下に拾われてしまった。観念して持論を述べる。


「私が女だからですかね、前世の影響ですかね。やっぱり一夫一妻が理想だなぁと思うわけです」

「…そうなの?」

「わかっているんですよ?身分の高い方は背負うものを継がせていくための次代とそれを支える身内が必要で、妻が一人では負荷がかかりすぎるし効率的でもない。日本と違って出産リスクも高いですし。結婚というひとつの事柄に子孫繁栄と愛情と政略的な事情が絡んでそう簡単に一人で完結できないんだろうなってことは」

「アルハは愛する人に妾がいたら許せない?」

「許せないというか、虚しい気がします。他人事に反感はないのですがどうにもハーレムものは苦手で、侍る側につい感情移入してしまって」


 皆平等に、なんて幻。どうしても扱いに偏りが出るだろう。自分には小さな綻びに囚われて心痛めて傷が膿んで広がってのたうちまわる未来しか想像できない。ならばいっそ同じ土俵で競って愛を求めるより、場外で粛々と気まぐれを授かるほうが楽。期待しない恋は恋愛とは別種だろう。


「そっか。僕がアルハと結婚したら絶対二人目が必要になっちゃうだろうな」

「王太子ですし色々ありますよね。でも、差し出がましいですが娶る以上は一人一人に心砕いてあげてほしいです」


 政略結婚でもできるだけうまくいくように紳士教育や淑女教育が施されるのだきっと。王妃教育も色々受け入れられるように下地を整えるのだろう。それでも人の心は多少外から形を整えたところで完全には制御できない。愛があれば唯一になりたいし、愛がなければ交わりたくない。


「むずかしいね」

「むずかしいです」


 天使殿下はアルハの『前世』をその純粋な心で受け止め、話を聞きたがる。アルハにとっても気兼ねなく率直な感想を吐き出せる天使殿下との語らいは貴重で、殿下そのものが癒しだ。スイッチが入ると長々と喋ってしまうことを咎められないのもありがたい。


「ねぇアルハ、殿下じゃなくてオルガイアって呼んでくれる?」

「ややややや、それはちょっと首が飛びそうです」

「飛ばさないよぉ!」

「いや、殿下は許されてもその他の方たちが許しませんて!私、しがない男爵嬢ですよ!」


 オルガイア殿下、もまさかの却下。まぁ長いわな。しかし、仲良しさんな呼び方がいい!と天使殿下は譲らない。アルハはうーん、と悩んでおずおずと候補を作る。


「オルガ殿下、ガイア殿下…うーん愛称なら…オルちゃ、いや、オルギィ?ルギィとか?」

「ルギィ!」

「流石に愛称はまずいですねオルガ殿下でいかがでしょう?」

「ルギィがいいなぁ」


 無理だなぁ。

 なんとか説得に成功してオルガ殿下で納得してもらった。が、実はアルハの脳内ではオルちゃんが一番しっくりきていたりする。


「あ、ライライがくるよ!ライライの足音!」


 扉が開き本当にライオットが現れるのだからオルちゃんは侮れない。ライオットは自室に上がり込んでいる従弟にも使用人にも特に機嫌を害することなく、立ち上がり駆け寄ったアルハに上着を託す。殿下はしばらくライオットと歓談したあとお迎えの騎士に連れられて帰っていった。


「ライオット様、オルちゃ…殿下が名前呼びをご所望されまして、オルガ殿下で妥協してもらったのですが大丈夫でしょうか?」


 どこをどう妥協したのかと呆れた声がかえってきて、殿下のお気に入りはルギィですと伝えたところ、妥協をくみ取ってもらえた。天使殿下ではなくてよかったのか、と問われ、なぜそれをと驚愕したところアルハの心の声が所々漏れているとのこと。かつて名付けた蜂蜜公爵、赤髪君、紺吉君について野郎三人に謝罪したのは記憶に新しい。オルちゃんという呼称も聞き分けられたらしく、ライオットは困ったように笑む。


「殿下も君も人の呼び名を作るのが好きだな」

「…いやはや申し訳ないです」


 どうにもカタカナの羅列は覚えにくくて、と心中で言い訳しながら頭を下げた。


「責めてない。殿下と打ち解けてくれて私としては非常に助かっている。…殿下は悪意を晒すことがないが、人の悪意を意識することもない。賢くはあるが清廉純粋すぎる方なんだ」


 裏表なく善意に満ち、人の悪意を受け止められない。前者は他者を惹きつける武器にもなるが、後者は欠点でしかない。殿下がアルハに持ってくるのは処理できない自他を問わない持て余した悪感情なのだろう。アルハは何を諭すわけでなく適当に話し相手をしているだけだが、それがどうにも殿下なりの解釈を引出し容量を拡大させているらしい。


「殿下が王位を望んだだけで僥倖だった。感謝している」


 先日の『褒美』の意図はそこにあったのか、と。納得したアルハの顎が緩く持ち上げられる。ちょうど外の陽に雲が被さったのだろう、さっと陰る部屋に妖しく揺れる水面が光った。


「褒美をやろうか」


 ドラマのワンシーンみたいだなぁ、と一歩下がった状況把握をしながらアルハはゆっくりと横に首を振った。ライオットは意外だといわんばかりに片眉を上げる。


「『イケメン』の『ご褒美』がいらないと?」


 イケメンの口から『イケメン』が紡がれたことにアルハは小さく笑ってしまった。


「ライオット様、『イケメン』はイケてるメンズ、格好いい男性のことです。自称されるとちょっと」


 特にチャラい系でない真面目クール系の口から飛び出るとギャグだ。困ったように笑うアルハにライオットの表情も柔らぐ。色気を含んだ空気も無事散った。

 正直イケメンの相手は緊張するし、ご褒美など殊更身に余りすぎて気が引けるのだ。アルハの理想の男性は一緒にいて緊張しない凡庸な容姿の柔和で温厚な優しい人。今世で誰かと結ばれることはおそらくないものの、ライオットの身分や麗しさは画面の向こうの存在すぎて畏れ多い。ライオットが求めるならば否なく応じるが、進んで端正で美しくもある彼の前で凡庸な自身を晒すのは憚われた。


「いけてるめんず、か。いけてる女性はどうなる?」

「イケジョ、は微妙ですね。マブいは昭和か。うーん…美魔女?いやいや、芸能人だったらとにかく国民的アイドルとか国民的女優とか国民的って枕詞を多用してたような…」

「まぶいは眩しいの略か?しょうわ、あいどる…?」

「マブいの語源はわからないです。昭和は一昔前という時代の名前で、アイドルは直訳すると偶像ですが主に可愛い女の子の芸者?のことですかね」


 前世の単語の説明って難しい。いい篭るアルハにライオットは思案顔だ。そんな麗しく考え込むほどの単語ではありません申し訳ないとアルハは土下座したくなる。


「私や殿下の興味を惹いてやまない君の話の種はどこで手に入れているのだろうな」

「実家で創作小説をたくさん読んだ結果、ですかね。ははははは」


 ライオットにはまだ前世云々の説明はできてない。人畜無害純粋培養なオルちゃんという一見さんの子供だからこそ無警戒に吐露したのだ。トチ狂ってると認識されかねない転生前世論はなかなか打ち明けられるものではない。しかし実家に蔵書は皆無なうえ未だ読書を難なくこなせるほど今世の文字に強くはない。


「…今は流されておこう」


 見逃してくれる優しさが心地よい。本当にもったいないほどいい人に拾われたものだ。

 机にいくつか紙の束を乗せて執務らしきことを始めたライオットのために茶と菓子を持ってこようとアルハは揚々と部屋を出た。


「なぜ押し倒さないのですウキー!」

「私は猿ではないからだ。カゲに徹してろ」


 茶と菓子を嗜みながら執務を終えたライオットがワゴンを返し終えて戻ってきたアルハを枕にするまであと二時間。

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