良き縁
「どうしてこうなった?」
目覚め一番に自問してしまうのも仕方ないように思う。
あの後夕食も取らず夜まで熱に耽りそのまま寝てしまったのだ。ノーマルにと形容したけれど、普通とは言えない延長戦につぐ再戦。二度目だからか痛みもなく、初回から思ったけどライオット様は前の戯れが丹念だし、色々と弱いところを網羅されつつあることに謎の危機感を抱かされてしまう。なんて恐ろしい元童貞。まさかの異世界経験値ブーストなのか。寝顔のあどけなさがあざとく思えてしまう。
アルハは戦慄しながらもぞもぞと布団から這い出て、二週間前のような腰砕けにならないことを確認しながら慎重に使用人部屋の先にある風呂に向かった。とろりと伝う昨夜の残滓に一人気恥ずかしさに悶えつつ、前傾姿勢で腰を摩りながらのフラフラと危うい足取りではあったが、どうにか湯あみを終えることができた。
「アルハ様、おはようございます!」
下着を着けたところで部屋に入ってきたセレネアに大げさなほど肩が跳ねる。侍女としても護衛としても未熟な能無し発情股ぐら女でございます申し訳ございません。あばばばばとアルハは震えた。
「お身体に障りないですか?若旦那様を叩き起こしますので朝食にしましょうね」
セレネアの屈託ない笑顔に深みを感じてしまって、アルハは耐えられなかった。
「ごごごごめんなさい」
「なぜ謝るのです!?」
お互いにあわあわしたあとライオットを起こしに行ったセレネアを見送り、自分同様昨夜のままであろうライオットのために風呂に湯を貯めておく。この世界は割と何でも石コロにワンタッチであんなこといいなできたらいいなが発現するのだが、当たり前すぎて原理が理解できないし聞くこともできない。魔力なんだろうか、電気なんだろうか、アルハは機器を使うたびに頭を悩ませている。
「おはよーございまーす!若旦那様起きてくださいー!猿とお呼びしたほうがよろしいですかー?」
「・・・二週間ぶりで猿呼ばわりは納得しかねる」
お仕着せを着ているとセレネアとライオットの軽いやり取りが聞こえた。アルハより一つ下のセレネアと一つ上のライオットは乳兄妹ではないものの、兄妹のような間柄なのだとセバストから教えられた。ライオネル家内部の勢力関係で接触は限られていたが、家を出ることで気兼ねない交流ができているとのこと。
「おはようございます」
「・・・はよう」
支度を手伝いに扉をくぐる前にライオットから来てしまった。アルハの挨拶に未だ寝ぼけ眼のライオットは小さく返し、よたよたと風呂場へ消えていった。しゃんとした姿勢ながらも腰に手を当てていたのはそういうことなのだろうか。
湯浴みを終えたライオットにタオルを渡し、学院服を着せていく。すっかり完璧な公爵令息が完成すると達成感に口元が緩んだ。
普通は主人の配膳をするところだが、寮室では三人で今日の行程を確認しながら食べる。ライオットは学院へ、セレネアは所用、アルハは昼食時に学院のライオットの元へ行く以外は寮室の雑事に従事することに決まった。
二人を見送って腕まくりをする。ライオネル家の時とは違い、自分が汚したシーツを自分で処理できるのはとてもありがたかった。
しかし、いざ要洗濯物を洗い場に運んできて気付く。全ての侍従が一から十まで雑事をこなすわけではない。爵位が上がるほど侍従は多く、仕事は分担制になる。そして学院に連れる侍従は2人までである。結論として、寮専属の洗濯人がいるのでアルハがシーツを洗う必要はなかった。緊急事態である。
「新入生のメイドさん?汚れたリネンはそこ、衣類は部屋番号書いた布袋にいれてそっち!補充はあっちからもってって!」
乱れた茶色の団子髪の女性がアルハに声をかけるも、アルハは情事の名残があるそれをどうすべきか惑っていた。その様子に、ははーん、と物知り顔になった女性はアルハに快活に言い放つ。
「坊ちゃんがオイタしちゃった?構わないよ!混ぜときゃ誰のかわかりゃしないんだから!」
「すみません、ありがとうございます!」
「よくあることよ!」
提案の通りに汚れ物入れの中の方に紛れるように突っ込んで、新しいシーツをもらった。オイタとやらがナニからナニまでを指す隠語なのか把握しかねるも、そういう汚れが他にもあるらしいことにほっと胸を撫で下ろす。寮室に戻り掃除してリネンの点検補充も終えたらそろそろ昼前だった。
幼稚舎側である寮から学院へ向かうと所々に見事な庭園が広がる。点在する緑のひとつに見覚えのある植栽。ギボジムと呼ばれるその低木の葉は確か。懐かしむ様に近寄り、不自然にならないよう細心の注意を払って若芽を摘んだ。
学院の食堂館の二階に上がる。一階は普通の食事や手軽な軽食がでてくる食堂。二階は前世の創作物にありがちな上位階級者のための上位メニューが待ち構える。創作物のテンプレと違うのは、食事マナーの維持や勉強に使われる場合が主だということ。門は平民にまで開かれているが、料金が発生するので自然と客層は別れる。
アルハは勉強がてらライオットの給仕をすることになっていた。同様の侍従達がぱらぱらと散見される。主人が予約した卓を確認しカトラリーを並べ、メニューに対する茶葉を選びながらワゴンの取っ手を握った。
「悪い。茶は私と同じでいいからこれらのも頼む」
アルハの勉強のためだ、となっていた予約卓にはライオットの他に見知った顔がふたつ。
「み、未熟ではありますが精一杯務めさせていただきます。コンラード・キッツ様、ぎ、ギルスナッド・アルザ様」
落第点である吃りながらの声かけに、二人は幽霊でも見たかのような顔で固まった。
「…アルハ・リューン?」
「まじかよ…」
ライオットいわく、リューン男爵家は未だ存続はしていて、裏稼業は秘密裏に差し止められ夫妻は実質軟禁状態にあるらしい。 伯爵位以上ともなれば多少の情報は手にしているのだろう。しかしその犯罪男爵家の娘が公爵家の行儀見習いをしていることは掴んでいなかったようだ。
「ライオット、これはよく似た偽者じゃないか?」
「俺もそう思うぞ、だっていま」
「「ちゃんと名前を言った!?」」
アルハの見立ては的外れだったらしい。とりあえず追加のカトラリーを配膳するためアルハは卓を離れた。
「おいおいおい、どんな魔法だよ蜂蜜公爵」
「その呼び方はやめろ赤髪君」
「どれだけ言い含めても覚えやしなかったのに…コンキチとか呼んでいたのに…」
「調べによると日常的に呆惑香を焚かれていたようだ。自覚はなく、今現在記憶力にさほど問題もないが」
「「は!?」」
「夜中の業を悟られぬよう睡眠薬も盛られていたらしい。白痴となっていても不思議ではない薬漬け生活だな」
「…まじかよ」
「馬鹿な。人の名前こそ覚えられないが、彼女は初めて会ったときから理知的で…」
追加のカトラリーをそっと配置していると、どうやら話題はヤク中の女性の被害話らしい。アルハは自分のこととは思わず話題の女性に同情した。
「で、なんでお前のとこにいんの?」
「錯乱状態で危うかったので助けた」
「家の悪行でも告発しようとしてあれらに感づかれたのかい?」
「…そんなところだ」
できるだけ会話を聞かないように配膳をする。特にミスもなく胸を撫で下ろした。男三人は話しながらも所作は綺麗で感心する。特に口調の砕けたギルスナッドが優雅に食べ物を口に運び咀嚼する様はアテレコをしくじった映像を観ているかのようで違和感がすごい。
「どうせ男爵脅して行儀見習い名目で攫って匿ってんだろ?今後大丈夫なのか?」
「夫妻は私の監視下にあるし、彼女はすでに私の手篭めだ。問題はない」
「手駒ってお前なぁ」
「まあ、受け入れているからこんな場所でこんな格好でいるんじゃないか。よかったよ。あんな親のわりに善良な娘で心配はしていたからね」
うんうんと頷くギルスナッドとコンラードの二人が少し悩む。そして、迷った様子でギルスナッドのほうが口を開いた。
「悪い、さっき『手篭め』って聞こえたのは聞き間違いでいいのか?」
嘘だよな?と伺い見る二人にライオットは意図が分からないとでもいうかのように首を傾げた。
「手篭め、と言ったが?あれは必要に駆られた処置の割合がやや高いな」
「おいおいおいおいおいおいおい」
「やや高いってライオット、君ね」
ギルスナッドは額を、コンラードは眉間を押さえて眉を寄せる。するりと空いた皿を引き、次の料理を配膳するアルハにギルスナッドが絡んだ。
「アルハはよかったのか?困って助けてもらったからヤられてもしょうがねぇって諦めたのか?」
「へ?は、え?」
「急に不躾にすまないね。その、ライオットが君を手篭めにしたというのだけれど本当かい?彼が無理にことに及ぶ奴ではないことは十分承知なんだけど一応君からも聞いておきたいんだ」
食事中に何を言っているんだとは思ったものの、二人のアルハを慮る様子に恥ずかしさとこそばゆいものを感じながら答えた。
「女は生来一本の人参をぶら下げておりましてですね。それは大抵恋人あるいは夫に食べてもらうものなのですが、私の人参は、その、父が、食べ、たがっておりまして。それが死にたいほど嫌で逃げまどっていたところライオット様に助けていただきました。ところが未だぶら下がる人参を父が食べにやってくるのではないかと悪夢に苛まれてしまい、哀れに思ったライオット様がいっそのことと食べてくださったのです。なので合意というか、ライオット様にとっては不可抗力に近いものであったと思います」
ギルスナッドは意味が分からないと顔を歪め、コンラードは察したのか憐憫に眉が下がる。ライオットはアルハの一から十に近い説明と唐突な人参の例えがおかしくて口端を上げていた。
「よくわかんねぇけど、もう嫁にいけねぇぞきっと」
「もとより碌な嫁ぎ先ではなかったようですのでマイナスよりはゼロで大団円です」
「んだよそれ」
「幼い時分から悪事を掴んだら手を掴めと言っておいて何もできなかった。すまなかったね」
「コンラード様がギルスナッド様に連れていかれたときは本当に、もう駄目だと絶望したものですが助かりましたし。コンラード様の差し出してくださった手をとることは叶いませんでしたが、そのお気持ちは幼少期に私を支える大きな柱でございました。ですので気に病まないでください」
人脈派の紺吉君改めコンラードは、卑しい親を持ちながら善良の区分にいるアルハに対し、両親の悪行のタレコミをするのならば自分を頼れと言ってくれていた。あの夜会の日に出荷前の奴隷侍女のことを知らせるついでに助けてもらおうとしたのはその経緯からだった。
アルハの言葉にコンラードの胸のつかえはとれたようで、彼の安堵の笑みにアルハもつられた。
「なんだ?俺が悪役か?」
憮然としたギルスナッドにコンラードが言いかけるも、ライオットが奪う。
「あの夜会が、アルハの嫁あるいは奴隷としての出荷前最後の外出だったそうだ。そんな状況で何があったかは私よりお前たちの方が詳しいだろう」
回想する二人の顔が青く染まっていった。
会話に引きずり込まれたアルハとしては、そんな大して親しくもない他人の状況や都合など知らんがな、で結するものだし青褪める様子に申し訳なさすら感じるわけだが、相手の立場で考えると後ろめたさも理解できる。
「手紙なんかろくなことにならねぇとは言われたんだ…」
ギルスナッドは独りごちてからアルハと目を合わせ、勢いよく頭を下げた。
「悪かった!俺が色々甘かったのにアルハを疑ってあたっちまった!」
「ぎぎギルスナッド様!?頭をあげてください!」
「ギルでいい!お前と仲良くしてえと思ってたんだ。様付けするくらいの敬意があるなら俺を許して仲良くしやがれ!」
「ふぁい!」
あわあわするアルハに、呆れるライオットとコンラード。
「私も、様子がおかしいのはわかっていたのに浅慮で後回しにしてしまった。許せるなら私も輪に加えてくれるかい?」
輪ってなんだ、何が形成されるんだ?と疑問に目線を泳がせながらご自由にどうぞと告げるとコンラードは満足気に頷いた。
とりあえず皿が空になっているので給仕を再開すべく食器を回収し卓を辞した。
「ライオット、今度酒盛りしようぜ!」
「構わないがどうした」
「そりゃ、いち抜けでひと皮剥けたセンパイの話を聞かなきゃなんねぇだろ?なぁコンラード」
「そんな話聞いたら彼女と顔合わせられないよ。詳しい状況の説明は聞きたいけどさ」
「決まりだな。私からも共有したい事柄がある」
戻ってきたアルハがデザートと茶の用意を終わらせて一礼する。
食事を終えて三人が三様に労いを述べて立ち去った後、アルハは後片付けをしながら呟いた。
「赤髪君、ほんとにギルスナッド・アルザ辺境伯令息だった…」
いまさら手にできなかった手紙が欲しいといったら困るだろうか。
ギルスナッドもコンラードもアルハを心配してくれて、友の縁を繋ぎたいとも言ってくれた。なお欲しがるなんて浅ましいなと自嘲しつつそれでも、目に見える自分の物がほしかった。
ぐらりと足元が揺れる。足先は冷えているが、心が温かいから大丈夫だとアルハは床を踏みしめた。
後日行われた酒盛りは、ギルスナッドに酔い潰されたライオットが脱童貞を仔細に語る猥談会になったとかならなかったとか




