事の後
翌朝、ベッドから降りたアルハの足はわなわなと震え床に崩れ落ちた。よれて汚れたシーツに衣類が床に散った惨状を鑑みるに人を呼ぶこともできない。ライオットは精根尽き果てたのか未だ夢の中。いつ回収したのか掛布団にくるまっている。寝顔は少しあどけないんだな、と観察しつつある程度の回復を待ってなんとか寝間着を着てベッドに這い上ってみるもライオットは起きないまま。
正午を過ぎてようやっと声をかけてきた使用人は侍女のミラースではなく、老齢執事のセバストであった。孫である侍女セレネアを連れて部屋に入ってきた彼はさっと目配せしてアルハを湯あみに連れ出させ、ライオットが何をどうされたかわからないが、アルハが湯あみと身支度を終え部屋に戻ってきたときには応接セットの椅子に座らされていた。
「ただいま昼食をお持ちいたします」
恭しく一礼してセバストが去り、セレネアが果実水を注いで机に置いた。ちらりとベッドに視線を投げるとすでに綺麗に整えられていて、昨夜なにが起こったかセバストもセレネアもわかってしまっているのだろうなとアルハはいたたまれなく身を縮める。
「昨日はすまなかった」
ライオットの謝罪にさあっと血の気が失せた。
「初めてなのに無理をさ___」
「あああ謝る必要はありません!ライオット様にご慈悲をいただき、晴れて処女卒業ですよ父親ざまぁですべて快傑ゾロルですから!むしろこんなちんちくりんの相手をさせてしまい申し訳ないといいますか!こんなの相手によくたっ、あんなに頑張れたなといいますか!さすがライオット様です!お見逸れしました!」
続いた言葉を遮って言い募るアルハに、くっとライオットの喉が鳴る。くふふふふと堪えるも持たず、ライオットは声を上げて笑った。アルハは初めて目にするその様子を唖然と眺めた。
「無理をさせた。障りないか」
「あ、はい」
「・・・後悔はないか」
「ありません。ライオット様こ__」
見やった端正は面はただ柔らかく、アルハにとっては気恥ずかしい沈黙が続いた。
運ばれてきた食事は温かなパンにポタージュ、ローストビーフの散ったサラダ。温かくさっぱりと疲れ切った二人への労りに満ちていて、再びアルハはいたたまれなさに顔を両手で覆い身を縮ませる。ポタージュに散らされたパセリも、サラダに咲くローストビーフも、見事に花を描いていて。そのあからさまに華やかなプレートが何を意図しているのかわからないほどアルハは鈍くなかった。
「セバスト、セレネア」
「坊ちゃま、おめでとうございます」
「若旦那様、おめでとうございます」
呆れたように名を呼んだライオットも、二人からの祝辞に言葉を重ねることを諦めたようだ。童貞卒業おめでとうございます、と揶揄うような二人からは悪戯っけな喜びが花となって舞っているようだ。
「アルハ様も、憂いがとれてよい顔になりましたね」
「へ?」
「アルハ様が精いっぱい頑張っていらしたこと、このセレネアがちゃんとわかっています。今日はゆっくり休んでいただいて、明日からまたご一緒できると嬉しいです」
アルハは自分も慮られている現状も、感情の起伏の少ない侍女たちのひとりのセレネアの言動にも理解が追いつかなかった。アルハは彼らの主人が抱え込んだ厄介事で、今も主人のお手付きになったただの居候の侍女見習いでしかないことを自覚していたからだ。
「あ、りがとう。ございます?」
「セレネアは女狐のような一部の侍女連中と違って、アルハ様のこともお慕いしておりますから」
「ありがとう、ございます」
「セレネアはアルハ様にまたお会いできて嬉しいのです」
一生懸命好意を紡ぐセレネアに様子に、アルハの胸からじんわりとあたたかさが広がる。セレネアの銀の髪、垂れた目元に紺碧の瞳は記憶にない。またと言われる覚えはないが、人に好かれるのは純粋に嬉しかった。
アルハとセレネアの会話がひと段落したところで、ライオットとセバストの会話もひと段落したらしい。むくれた表情のライオットを制してセバストが話しだした。
「夜会を終えて二週間、そろそろ坊っちゃまは新学期に向けて王都の学院に発たねばなりません。そこで、アルハ様には・・・」
「あ、はい、馬小屋の掃除でもさせていただければそこに寝泊まりしますのでどうか温情を賜りたく」
「は・・・?」
正式な侍女ではないので学院には連れていけず、身柄預かりの名代であるライオットが屋敷を空けるとなればライオネル家としても使用人達の総意としてもアルハを保護し続けることはまかり通らないのだろう。
ライオットはアルハのつけたあたりに疲れたように否を放った。
「未熟だが私の侍女として学院に来るか、リューン男爵家令嬢として学院に入るか、屋敷に残って腕を磨くか、選択肢を用意している。選べ」
「坊っちゃま!」
「猿と一緒にするな」
「信用できません!」
セバストとライオットが剣呑なやり取りを始めるが、アルハは示された選択肢に思考をとられていた。未熟なままでは迷惑をかける、家名は未だ脱しきれてはいないが名乗りたいとは思えない、となるとやはり。
「私は馬小屋番に__」
「「それはない」です」
言い合いから一転アルハの言葉だけは声を重ねて否定したライオットとセバストに対し、アルハは馬小屋番としてすら置けないのなら居場所はどこにもない絶望に打ちひしがれていた。
「アルハ様、迷っておられるのでしたらセレネアとご一緒してください」
「え、ああ、はい」
勢いに押された返事を言質にしてセレネアは無邪気に両手を挙げて踊った。
「おじいさま!アルハ様はセレネアと侍女として学院に行きます!」
「セレネア、初めての感覚を知った青少年は捕らわれそれにふけります。しばらく坊ちゃまは猿だと思いなさい。危険です。巡り巡ってライオネル家の危機に繋がるのですよ」
「おいセバスト」
「セレネアは若旦那様にアルハ様を近付けません!」
「無意味に餌をちらつかせてはあなたに飛び火しかねない!おじいちゃんは反対です!」
「お前たちは私を何だと思っているのだ…」
やいのやいのと、ここ二週間滞在していたライオネル家の印象とはうってかわった状況に混乱していると、喧騒から一抜けたセレネアがアルハに微笑みかけた。
どうやら侍女として学院に行くことになりそうだが、アルハにはひとつ解せないことがあった。
「ライオット様と一緒に行くのはミラースさんではないの?」
今この光景をみるかぎり個人的な親密度はセバストとその孫であるセレネアに分があるとしても、ライオネル家としての侍女の立場が強いのは、ライオットに日常的に一番近く侍る侍女はミラースだった。今この場にいるのが不自然なほどセレネアは下っ端で関わりはなかったはずだ。セレネアがセバストとの連絡中継に付くとしても、二番手に添えるのはミラースの他ない。
アルハの推測にセレネアは朗らかに笑んだ。
「ミラースさんは伴えません。だってあの方は侍女でしかないですから」
ぶわり、アルハの皮膚は総毛立ち冷や汗が背を伝う。ただ笑んでいるだけのセレネアに底知れない恐怖を感じてしまう。セレネアに好意を向けられていなければ、叫んで逃げ出していたかもしれない。セレネアのわずかに発した嘲りに似た敵意はおそらくはミラースに向けられていた。
「あれ、セレネア少し怖かったですか?大丈夫です。アルハ様はセレネアの大切な方なので安心してください」
「ミ、ミラースさんと仲悪いの?」
「仲悪くないです!能なし発情股ぐら女達が大嫌いなだけです!」
「ごごごごめんなさい」
「なぜ謝るのです!?」
股ぐらで主人とアレした女だからです、と頭を垂れる。慕ってくれるセレネアに報いるためにも、ライオットに差し出した対価に価値をつけるためにも、侍女として護衛として技術を磨こうとアルハは決意に拳を握った。
そして詰め込みに詰め込んだ一週間、大した技術も習得できないまま王都の学院へと。




